憧れの看護師を目指した話
9歳の時に虫垂炎で入院し、病院に興味を持ち、看護婦さんがとても優しかった事で大きくなったら看護婦さんになろうと漠然と思ったのです。
そして、中学生の頃に宮子あずささんの『看護婦だからできること』と言う本に出会いました。
その本を読んであらためて素敵な職業だと感動し、看護婦になろうと決意しました。
中学3年の時には一日も早く看護婦になりたくて、衛生看護科のある高校を希望しましたが学校の先生や親からはこの時期に職業を選択してしまうのは早い!職業として看護婦以外の選択が無くなると強く反対され普通科の高校へ進学しました。
ところが…
高校3年の夏に友人とのトラブルから保健室登校となり、なんとか高校卒業はできたものの、
看護学校、看護大学の受験はすべて失敗。
私が何をした?何で私だけ?(もちろん私にも非があったんですが)と引きこもりの期間を経て、老人専門病院で介護士として勤務しながら、受験できる学校を探し、
翌年地元の准看護師養成学校に入学。
2年間働きながら准看学校に通学し、卒業と同時に定時制の進学コース(働きながら正看護師を目指す学校)へ進学。
不器用で要領が悪い私には看護学校時代の実習や記録はとても辛く、時に心が折れそうになりながらも、仲間との楽しい時間もあり人よりもかなり長い有意義な5年間の看護学生時代を送りました。
結果、高校卒業から6年の時を経て、24歳を目の前にしてようやく看護師となり、現在の総合病院へ就職したのです。
私が中学生の頃に目指していた看護師人生からは大きく遠回りをして現在に至ります。
あの時、反対を振り切って衛生看護科に行っていたらこんなことにはならなかったのでは?と
人生の選択が間違いであったと後悔しました。
正看護師となり地元の大きな総合病院へ就職は出来たものの、同期の中で私だけが透析室へ配属。
(同期はみんな病棟や手術室へ配属)
透析室のスタッフはみな既婚者の子持ち。
指導者は30代後半。20代の独身は私1人。
共通の話題もなく、話が合うわけもなく、年上のスタッフとクセの強い透析患者という環境の中で私の本当の意味での看護師人生がスタートしたのです。
同期が同僚や先輩と食事、飲み会なとど緊張の中からも楽しい感じが伝わってくる中、私は本当の自分を出す事も、思いを伝える事もできず、毎日、毎日、同じ事を繰り返し、患者の穿刺(針を刺し治療をすること)に苦戦し、患者に罵られ、
怖い先輩達に囲まれ弱音を吐く事も許されず
いつ辞める話を切り出そうか、今日こそは仕事を辞めようと悶々と考えながら過ごす日々。
食事や飲み会に誘ってくれる同期や同僚もおらず、ただただ透析室と自宅を往復するだけ。
なぜ、こんな病院に就職してしまったのか、
何で自分だけが透析なのか、、
どうして病棟勤務じゃないのかのと
自分の選択が間違いだらけであることを恨み後悔していました。
幼い頃からの夢だった看護師になるまでも時間を要し、透析室勤務に絶望し、人にも職場にも恵まれないと卑屈に過ごしていた20代。
ここから少しずつ、看護師人生、私の人生を振り返っていきます。
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