透析室看護師の頃
中学生の頃宮子あずささんの『看護部だからできること』と言う本に出会い、看護師になりました。
総合病院新人看護師=病棟看護師だと信じきっていたのに…
配属されたのは透析室。
思い描いていた看護師像とは程遠く、憧れだった看護師とも全く違う、看護師人生の始まりでした。
総合病院の透析室は日勤のみ。
隔日(月水金、火木土)で4〜5時間の透析を受けるために患者さんが通院してきます。
病棟勤務よりも早く出勤し透析機械の準備。
準備が終わると患者さんの入室。
体重測定(オシッコがでない患者さんの増えた
体重分を機械で引いていくのです。)
ここで体重の計り間違いがあると大変なことになるので、簡単な作業ですがとてつもなく重要な業務です。
そして、穿刺。2本針を刺します。
透析開始後は全身状態の観察のために血圧測定などを実施。
そして終了時間が来たら機械操作をして針を抜いて終了となります。
これを毎日繰り返していくのです。
私にとって業務の中で特に苦痛だったのが穿刺でした。
普通の注射針よりも長く太い針を毎回2本刺さなければ、透析は開始できないのです。
患者さんは一日おきに通院しているとはいえ、
体重の増加具合や体調によって血管の出方も見え方も違う。今みたいにエコーも無い時代。
とにかく、自分の勘と感覚が頼りでした。
看護師は患者の血管を考えると、毎回少しずつ穿刺の場所も変えなければいけないと言われ、
毎回、血管の見定めは本当に大変で、
新人看護師には穿刺はとてつもなく大きなプレッシャーとなってのしかかってました。
技術が未熟な私が失敗すれば患者に怒鳴られ、嫌味を言われて、面と向かって『あなたはイヤ。○○さんを呼んできて』と拒否される。
もちろん、拒否されても先輩は簡単に交代はしてくれず、とにかく患者を説得して、刺させてもらえるまで信頼関係を築けと。
失敗して手を変わってもらう時には先輩からも嫌味を言われ…逃げ場のない毎日でした。
今ではMEさん(臨床工学士)が準備や穿刺などをしてくれていますが、私が新人の頃は院内に臨床工学士の採用はなく、機械の管理を含めすべてが看護師の仕事でした。
腎臓内科医も1人しかおらず、外来と透析の掛け持ち。
患者の急変やトラブルが起これば先生にコールをするのですが、外来を簡単に抜け出すこともままならず、看護師が出来る限りの対応で乗り越えるのが当たり前でした。
何年経験しても、透析室が好きになれず何度も病棟へ異動したいとお願いしても、
数年ぶりに来た新卒の新人を大切に育てている。今を乗り越えて透析のプロになりなさい。
ここで辛抱すればどこでも務まるから。
と当時の上司からは叱咤激励のみ。
諸先輩方は異動していくけど、私はいつも置き去り。
気付けば、透析室勤務歴は1番長くなってました。
でも、相変わらず周りは子持ちの病棟勤務が出来ない先輩看護師ばかり。
夜間や休日の緊急呼び出しは当たり前のように私が呼び出され、勤務希望も子持ち先輩が優先。
その後8年も在籍したのですが、何から何まで我慢の連続でした。
時間の経過とともに、様々なトラブル対応が出来るようになり、医師とも阿吽の呼吸で仕事が出来るようになっていました。
それでも透析室は好きになれず、病棟への憧れは消えないまま。
結婚、妊娠して産休に入るまで透析勤務が続いたのでした。