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わんチャンス

𝑷𝒓𝒐𝒍𝒐𝒈___
   29歳にして初めて出来た彼女、その彼女に別れを告げられていた。

「嫌なところダメなところ全部直すから!別れたくないんだ!」

「ごめんね。言いたくはないけど顔がどうしても好きになれないの。麻雀が趣味っていうのも、ね。麻雀なんてギャンブルでしょう?」

   男はこうして失意のどん底に突き落とされた。
   顔で男を選ぶ女に強い恨みを抱きながら。

​───────

店長「ゴール君、久しぶりだね」

 ゴールと言うのははもちろんあだ名である。顔がゴールデンレトリバーに似ているという理由でこの雀荘の爽やかイケメン店長に付けられたのだった。

ゴール「ここのところ仕事が忙しくて。店長、点5打ちたいんだけど打てます?」

 19時という時間帯は日中から打ち続けている客と仕事帰りに立ち寄った客が入り交じり店内は大盛況だった。

店長「ゴール君、ごめん。今回は点3の卓でもいいかな?ラス半の人が一人打ってるんだけどあの人抜けると点3の卓が割れちゃうからさ。店を救うと思ってこの通り!」

 軽く何半荘か打つつもりだったゴールはレートにそれほど固執していなかった。それにこの店長に頼まれると断れない。そういう不思議な魅力があるのだ。だからこの店に居る客達は店長から変なあだ名を付けられても怒ることはなかった。
 しばらくすると点3の卓が空きゴールが案内された。

ゴール「よろしくお願いします」

 卓の3人が軽くお辞儀をした。下家には店長から顔が長いと言う理由でバナナと呼ばれている大学生が、対面にはザビエルと呼ばれている小太りの中年男性が、上家にはマスクと眼鏡をしている女性が座っていた。
 バレッタで髪を止めており、服装も黒で目立たなかったため遠目からでは初めゴールは女性だとは気付かなかった。
 女性客がこうして増えたのも某Mリーグの影響かと麻雀人口の増加にゴールは嬉しくなった。
 しかし女性だからと言って手加減するつもりもない。

ゴール(東発、配牌はまずまず良いかな……)

 ゴールが卓上で早々に目を見張ったのは上家の女性の牌捌きが美しかった事だった。馴れた手付きで小手返しをしている。牌を切るのも速くゴールは女性がただ者ではないと感じた。

女性「代走お願いします」

 東一局が終わると女性は代走を頼みトイレへ向かった。

ゴール「あの女の人、めっちゃフリー慣れしてるよね?もしかしてプロ?」

 ゴールは思わず代走に入ったチョビというあだ名のメンバーに質問してしまった。

チョビ「元々セットのお客さんだったんですけど1ヶ月くらい前からウチでフリーデビューしたんですよ。普通に上手ですよね、点3しか打たないみたいですけど」

    ちなみにチョビというあだ名は色んな人からチョビっとだけお金貸してという口癖が由来である。

バナナ「めっちゃ強くてやられてます」

 バナナが悔しそうに言った。

ザビエル「女なのにあの子強えんだよなぁ。とにかく運がいい!若いから運が太いわ!」

 ザビエルも同様だ。どうやらあの女性は本日絶好調なのだとゴールは感じた。
 女性はレジで店長と何やら楽しそうに話している。この局はメンバーに任せるようだ。
 局が終わり女性が卓に戻った。

 ゴールは女性の他家リーチへの押し引き、副露仕掛けへのケアがどの程度のものか注視していた。
 気付いたのは女性がぬるいと思われる牌を切ることが非常に少なかったことだった。

(手牌を全て見たわけじゃないから断言は出来ないけど多分マジで強くね?)

 そしてオーラス、ゴールはこの女性の麻雀を知ることになる。

   トップ目でオーラスを迎えた上家の女性は幾度も点棒状況を確認していた。
   ゴールはマンツモ圏外のトップを狙うよりも2500点差の2着目を落とすことが現実的であると判断した。
   そして十分3900以上が見込める配牌をもらう。

   456三色まで見える手牌。上手く行けば跳満まで伸びる可能性が出てきた。

   5巡目、早々に🀝を鳴けた。これでゴールは3900をアガっての2着取りに舵を切ることになった。

   そして🀋のチー。前巡、既に🀓🀔🀕で出来ているため鳴く必要のない🀖が切られている。

ゴール(これはアシストか!?この女ホントに何者なんだよ!これは点3ファイターの麻雀じゃないだろ!)

   しかしながらゴールの手はタンヤオ風のバック仕掛けである。456三色に出来なかった事が悔やまれるが手順上仕方がなかった。

   そんな心配をよそに上家から放たれるゴールの風牌の🀂。

ゴール(マジ?バックも読みに入ってる?)

    そして次巡🀆が出てゴールがこれをロン。3900点の上がりとなり2着に浮上した。
   女性はゴールにアシストする事でトップを堅守した。

   終局を見守っていたチョビがトップを確認した。

チョビ「環奈さんトップおめでとうございます!」

   ゴールはこの時、上家の女性の名前を知った。こういう謎めいた野良の猛者に会えるのがフリー雀荘の楽しみの一つだ。それをゴールは久しぶりに思い出していた。

   次の半荘が始まった。ゴールは普段、同卓者とそれほど会話をする事はないが女性の麻雀の強さに興味を持った。

ゴール「環奈さんは麻雀初めてどのくらいなんです?フリーデビューしたのも最近だと代走に入ったメンバーから聞きましたけど」

   話しかけられた事に少し驚いたのか女性は少し焦りながら答えた。

環奈「えっと、4年くらい?……多分。子供の時からルールは知っていて本格的に始めたのがここ4年って感じです」

   ゴールはたった4年でここまで強くなれるものなのかと感心した。

ゴール「普段はネトマとかを?」

環奈「そうですね。ネトマはよくやってます」

   やはりネトマか、とゴールは小さく頷いた。牌譜検討がリア麻と違い非常にやりやすいのだ。麻雀を教えてくれる良い師もいるのだろうと思った。

   先程の半荘から対面のザビエルが何かと環奈に話しかけ、それを環奈が少し煩わしそうにしていた。
   ゴールはザビエルが声を掛けようとするタイミングで環奈に軽く話しかけてザビエルの自慢話しや軽い嫌味を遮っていた。

環奈「リーチ何待ちでした?」

ゴール「🀈‐🀋です。環奈さんが仕掛けてから萬子高くなって上がりにくくなっちゃいました」

環奈「萬子の下以外イケそうな河になってたので押しやすかったです」

   環奈は局面をよく見ていて更によく記憶しているような印象を持った。
ゴールも場況をかなり鮮明に記憶している方なので話しやすかった。

   ザビエルもバナナも打牌が速くテンポも良い。次の日仕事のあるゴールは長く打つつもりはなかったが楽しくなり4半荘目に入ろうとしていた。

ゴール「これラス半で」

   やはり仕事の事を考えるとそろそろ帰って寝なければならない。社会人の辛いところだ。

環奈「じゃあ私も……」

    環奈もゴールに続きラス半コールをした。
    結局、4半荘打ってゴールはトップなし、環奈は3トップの結果だった。

ゴール「ありがとうございました」

   ゴールはそう言って立ち上がった。ザビエルとバナナは点5の卓へと案内されていた。さすが大学生バナナ、若いと言ったところだが、ザビエルは謎だ。仕事は?と問いたくなる。

   ゴールはレジ脇のソファに腰掛け麻雀漫画を手に取った。
   女性である環奈と同時に退店するのは相手に気持ち悪がられると懸念したからである。

   環奈はラックに掛けていた白のコートに袖を通し、スカイブルーのマフラーを巻きドアへと向かった。

   環奈はソファに座るゴールに向かって軽く会釈するとゴールも軽く会釈した。

   5分ほど過ぎゴールもジャケットに袖を通すと退店した。

   雀荘の入ったビルから出ると息が白い。疲れはあったが良い麻雀が打てた心地良さのある疲れだ。悪くない。ゴールはそう感じた。

   ふと横を見ると白のコートとスカイブルーのマフラーが目に入った。
   環奈だった。

環奈「あの……ちょっとお話ししませんか?」

   バレッタ、眼鏡、そしてマスクを外しており卓上の環奈とは全く違う印象を受けた。
    白いコートとスカイブルーのマフラーが印象に残っていなければ分からなかったかもしれない。
   美人なのである。
   ゴールは即座に警戒した。わざわざ自分が店から出るのを待っていたのだ。真っ先に頭をよぎったのはアムウェイのようなマルチ商法だった。

ゴール「いや、あの、明日仕事が早いのでちょっと今からは無理です」

環奈「えっ……!」

   驚く環奈を残しそそくさと立ち去ろうとしたゴールだったが環奈の言葉に足を止めた。

環奈「3半荘目の南1局!」

   それはゴールが今日一番悩んだ局面だった。ゴールが最も時間を使っていた局面を覚えていたということだ。この局面について上家の環奈の意見が聞けるという可能性がゴールの足を止めたのだった。

ゴール「えっと……あの局面の手牌、覚えてます?」

環奈「ちゃんと覚えてます。捨て牌とかもだいたい記憶してます。でももしかしたらすぐに忘れちゃうかも……」

ゴール「わかりました。あっちにまだやってる喫茶店があるのでそこでお話しするのは?」

環奈「行きましょう!忘れないうちに!」

   こうして二人は喫茶店へ駆け込んだのだった。

環奈「今日はたくさん勝てて浮いてるので私が出します」

   財布を出そうとしたゴールだったがそれを先に制されコーヒーの支払いを環奈にされてしまった。

ゴール「普通男が払うところだと思うんですけど……」

    それと同時にゴールは点3で浮くことの出来る雀力にも恐れおののいていた。

環奈「じゃあ、あそこの席で検討始めましょう」

   コーヒーを受け取ると二人はテーブル席に腰掛けた。
   ゴールは環奈からコーヒーを奢られた手前、既に強く出られなくなっていた。
   もしも環奈からコーヒーと同価格程度の商品を売り付けられたら買うしかないだろう、少なくとも勝手に帰ることは難しい。先制された事はゴールにとって思ったよりも痛手だった。
   しかし今はとにかく検討である。そう思ったゴールはカバンからiPadを取り出し、牌譜作成アプリを開き記憶している牌姿と捨て牌を入力していく。

ゴール「とりあえずあの局面で僕が覚えているのはこのくらいです」

   環奈はiPadの画面を観て記入されていない部分に牌を淀みない手付きで入れて行く。

環奈「私も重要な部分の手出しツモ切りは覚えてますけど序盤と警戒してない相手の河の手出しツモ切りには自信ないです」

ゴール「いえ、これで十分です。良く覚えてますね。僕も局面を記憶出来る方だと思ってたんですけど」

環奈「リア麻するようになってからなるべく局面を記憶するよう努力しました!」

   ゴールは思わず環奈の麻雀への情熱そして向き合い方に感心してしまった。
   牌譜が完成した事でゴールが悩んだ形、そして場況について検討が始まった。

ゴール「そう。だからマンズに手を掛けにくかったんですよね。セットで落とせるソウズ切りは手が遅くなるし」

環奈「ネトマなら安全に進行出来るソウズ落としが優位っぽいですけどトップ狙いに行くならちょっとリスク負うしかなさそうなので私は気合いでマンズ行きます!」

ゴール「やっぱりマンズかぁ。守備寄りの麻雀しちゃったなぁ」

環奈「あとちょっとマンズが押せそうな理由もあって、私の上家のオジサンってダマテンと鳴いてテンパイした時ツモのモーションが変わるんですよね。なので私はオジサンには押せそうって思ってマンズ切っちゃいます」

ゴール「そう!笑っちゃうけどあのオジサンそのテンパイした時のその癖まだ直ってないんだ。久しぶりの同卓だったから忘れてました」

環奈「皆にバレてる癖なんですね。学生さんもテンパイしてる時は手牌をあまり見なくなるのでテンパイケアしやすかったです」

ゴール「他家の癖、見抜き過ぎでしょ。僕にもなんか特有の癖ありました?」

環奈「うーん、初同卓でしたし4半荘しか打ってないので癖までは。でも牌の扱いや切り方は綺麗で良かったと思います」

   環奈から褒められてゴールは照れくさそうに笑った。

ゴール「ネトマだと牌捌きとか所作には言及されることがないので褒められるとちょっと嬉しいです」

   照れたゴールを見た環奈は可愛らしく微笑んだ。

環奈「ネトマってどのアプリやってるんですか?」

ゴール「雀魂メインでやってます。一応魂天です」

環奈「えっ!すごい!私も雀魂やってます、この間やっと雀聖になれたんですよ」

   環奈の段位が自分より低かったことでゴールは安堵し少し優越感を感じた。

ゴール「いや雀聖になるのもたいへんですよ。てっきりもっと段位が高いのかと思ってました」

環奈「あっ、天鳳は九段です。天鳳で本格的にネトマを始めたので」

   ゴールは後頭部を鈍器で殴られた気分になり優越感が消え去った。まさに天国から地獄である。

ゴール「それはリア麻も強いはずですね……」

   思いの外、話しが弾み23時を過ぎていた。

ゴール「すみません!もうこんな時間に……僕はここから歩きなんですけど電車ですよね?」

環奈「あっ!そうですね。……連絡先って交換出来ます?」

   ゴールが再び警戒した表情になったのを環奈は見逃さなかった。

環奈「えっと……連絡先を交換しておけばネトマの悩んだ局面の話しも出来ますし、リア麻の相談も出来るのでちょっとお得かな〜……なんて、ハハハ」

   環奈の言葉にゴールは真剣な表情になった。

ゴール「たしかに天鳳九段の方とやり取り出来るのは有り難い……LINEでいいですか?」

環奈「大丈夫です!これが私のQRコードです」

   こうして連絡先交換が行われた。

ゴール「環奈さんのアイコン、ゴールデンレトリバーなんですね。おうちで飼ってるんですか?」

環奈「あっ、そうなんですよ。実家で飼ってるんです。ゴールデンレトリバーのチップくんです」

ゴール「可愛いですね。僕ってゴールデンレトリバーに顔が似てるらしく雀荘でゴールって呼ばれてるんですよ」

   自虐気味にゴールは笑った。

環奈「それは……すぐ気付きました。てゆーか名字、犬飼って言うんですね!私は今そっちに衝撃受けています……!」

ゴール「あー……そうなんですよ。犬顔で犬飼って名字だから子供の頃からずっとイジられてました。ネコの方が好きなのに」

   苦笑いするゴールの顔と実家のゴールデンレトリバーのチップがたまにする顔が重なり環奈は思わず笑ってしまった。

環奈「連絡先交換出来て、名前も知れて本当に良かったです」

   二人は喫茶店を出た。ゴールは差し障りの無いような話しをしながら環奈を駅まで送った。

ゴール「じゃあ、お気を付けて」

環奈「また同卓したいですね!出来ればお店に行く時連絡ください」

ゴール「……わかりました。ではまた」

   初めて出来た彼女と別れて半年ほど経ち女性不信気味だったゴールだったが、麻雀を通せばそれほど緊張もなく話せるのだと少しだけ安心した。

   手を振りホームへ消えて行く環奈を見送るとゴールは駅を背に歩き出した。
   ゴールはふと思い出した。
   その昔連絡先を交換したキャバ嬢に貢いだことを。結局そのキャバ嬢に100万以上使ったが恋人関係に発展することはなかった。
   連絡先を交換した環奈もあのキャバ嬢と同じではないのかと不安になった。
    また貢がされ惨めな思いをするのではないかと。
   突如鳴った通知音にゴールは驚いた。

環奈『連絡先交換ありがとうございました。牌譜検討とても楽しかったです。気を付けて帰ってください。』

   ゴールは既読を付けずに環奈からのLINEに目を通した。
   やはりこうして自分に積極的に接して来る事を怪しまずにはいられなかった。
   やはり危険だ。そう思ったゴールの指先はブロックボタンに掛かろうとしていた。

   その時である。

「しゃあああああ!!!!!」

   駅からこだました叫び声にゴールは思わず何事かと振り返った。
   何かあったら大変だと思ったゴールは仕方なく環奈にLINEを送った。

ゴール『絶叫するような雄叫びが聞こえましたけど大丈夫ですか?』

環奈『大丈夫です。ホームに酔った大学生が何人か居てちょっと騒いでるみたいです。週末って予定空いてますか?空いていたら都内に行ってみたい雀荘があるので一緒にどうですか?』

   それはゴールにとって魅力的な提案だった。週末は特に予定はない。二人きりになるような怪しい場所なら断っていたが雀荘ならば人も多く安心だろうと思った。

ゴール『雀荘なら是非行ってみたいです』

環奈『じゃああとで行くお店のホームページ送りますね。待ち合わせ場所とかも帰ったら決めましょう!』

ゴール『わかりました』

ゴール「まぁブロックはいつでも出来るか」

    ゴールはスマホをポケットに仕舞うとまた歩き出した。
   環奈の乗るであろう電車が轟音と共にゴールの脇を通り過ぎて行く。
   再び駅のホームで絶叫がこだましたがゴールの耳に届くことはなかった。

​───────

   松本環奈は中学・高校時代はバスケ部に所属しており、県大会の準決勝ではブザービーターを決め決勝へと進出した。
   専門学校を卒業するとクリニックの受付として働き始めた。
   環奈は勤めているクリニックの受付が医院長の好みで選ばれていると風の噂で耳にした。それほど綺麗どころが揃っていたからだ。
   ある時、医院長と話す機会があり環奈はそれとなく医院長に質問した。

医院長「ああ、受付ね。顔で選んでるよ」

   医院長の好みで選ばれているのかと嫌悪感を抱きかけたが言葉が続く。

医院長「受付が綺麗だったり可愛いとクレーマー客が減るんだよ。医院長呼べとか騒ぐ客を受付で止めてもらえれば我々は助かるからさ。受付は前衛職だね、タンクだよタンク!」

   思ったよりエグい事実を知り環奈はショックを受けたが、受付の給料をもっと上げてくださいと軽く返しておいた。1ヶ月後、本当に給料が上がった。

   勤務当初は大変だったが2年もすれば慣れていった。暇潰しに始めたソシャゲは長続きはしなかった。環奈はアクションやロールプレイングと言ったジャンルのゲームが得意ではなかったからだ。
   環奈は中学、高校、専門学校時代とどの期間も彼氏がいなかったことはなかった。
   しかし社会人になってから一年付き合った彼氏と別れ、その彼氏がストーカー化してからは付き合うことが億劫になっていた。
   そんな時、麻雀がネットでできる事を知った。幼い頃から家族麻雀をしていた環奈はルールは知っていた。
   休日はルームウェアのまま一日中打ち続け、仕事中も昼休みなど空き時間があれば打った。
   女であると分かると絡んでくる男が多いことをソシャゲの経験で知っていた環奈はアカウント名を『チャッソーおじさん』にすることで性別バレを完璧に防ぐ事に成功した。
   麻雀が生活に入り込んでしまった環奈はすっかり自堕落な日々を送っていた。
   天鳳九段という高段位と引き換えに失った女子力を取り戻すべく出掛けようと思うものの、ほぼ全てがネットで良くない?で思考が停止し段位戦を打ってしまっていた。
   
   ふと何切るをTwitterで見ていた環奈は女性主催の女性限定セットの募集をSNSで見掛け意を決してその募集へ飛び込んだ。
   ネトマ経験が主だった環奈はリア麻の楽しさを知ることになった。
   女性だけのセットは定期的に開催された。雀荘の店員達とも顔見知りになり、雀荘に行くことに慣れた環奈は女性限定セットに毎回参加していた。

   そして6回目のセットが開催された時だった。

   環奈はフリーで来店していたゴールを見掛けたのだった。
   ゴールの犬顔を見た瞬間、電撃が走ったような衝撃を受けた。環奈にとって初めて出会った好みの顔だったのである。

    そう、27年間で初めての一目惚れである。

    環奈は遠目からゴールを何度も見つめていた。
   ゴールは環奈のセットが終わるよりも先に帰って行った。

    環奈はゴールが雀荘から出たタイミングでレジに向かい店長に話しかけた。
   こうして積極的に行動出来るようになったのは社会人になり図太くなったこと、そして受付でヤバい客をいなしていた経験が大きかった。

環奈「今の人ってよく来るんですか?」

   水木圭一店長は少し驚いた顔をして答えた。三十代らしいが二十代前半にしか見えない爽やかイケメンである。そしてバツ5の怪物でもある。

店長「あーゴール君のこと?」

環奈「もしかしてゴールデンレトリバーに似てるからゴール君ですか?」

店長「そうそう!似てるよね!えっ?なに?環奈ちゃん、ゴール君のこと気になっちゃった?」

   店長は直球だった。しかし環奈にとっては今はそれが有り難かった。

環奈「彼女いるんですかね?」

   環奈の言葉に店長はニヤリと笑った。

店長「OKOK!ピョン助〜、ちょっと来て」

   店長はちょうど立番中だったメンバーを呼んだ。

店長「ゴール君と仲良かったよね?ゴール君って彼女いるの?」

  ピョン助はその場に居た環奈の様子を見て全てを察した。ちなみにピョン助のピョンはバイトを何回かトんだ経歴を揶揄して店長が付けたあだ名である。メンバーは基本、社会不適合者のクズしかいないと言う事を添えておきたい。

ピョン助「ゴールさん、彼女はいないですね。半年くらい前に人生で初めて出来た彼女にひどいフラれ方して女性不信みたいになってます。超可哀想でした」

店長「うーん、これは厳しいかな」

ピョン助「でもゴールさん麻雀大好きだから麻雀好きな女の子ならワンチャンあるかも!」

環奈「人間を信じられない野良犬を保護する感じですね!私頑張ります!」

    学生時代ならば絶対にこんな行動はしていなかった。ゴールと出会えたのが今で良かったと心の底から思っていた。

店長「となると、まずはゴール君に環奈ちゃんを知ってもらうためにフリーデビューとかしてみる?1日店貸し切りにしてフリー麻雀のお勉強会とかする?」

ピョン助「おお!いいっすね!麻雀女子のフリーデビューはアツい!」

環奈「いやいや貸し切りって……良いんですか!?」

店長「いいよ!どうせ麻雀店なんてオレの趣味でやってるだけだからね」

環奈「え?」

店長「ここ瑞稀ビルって言うんだけどオレの名義なんだ。本名瑞稀だから漢字だけ変えて店では水木にしてんの。近くに駐車場とかマンションも瑞稀って名前入ってるの知らない?オレ、地主のボンボンなんだよね」

環奈「知らなかったです。だから店長って苦労もした事がないから若く見えるんですね!」

店長「よし!女を殴る禁を破るわ!環奈ちゃん、歯食いしばって!」

環奈「冗談ですって!」

   笑いながら店を貸し切りフリー麻雀のマナーやルールの勉強の日程などの話しを進めて行く。

店長「環奈ちゃんが居る時にゴール君が来たら上手いこと同卓させてあげるから任せておいて。彼、仕事終わりの夕方以降に来ることが多いからその時間帯を抑えておくといいかもね」

   ゴールの来店時間などの個人情報は完全に無視され話しが進んで行く。
   それと同時に環奈は気になっていた。ゴールの本名である。

環奈「ゴールさんの名前って教えてもらえます?」

店長「いやこのご時世それはプライバシーの問題で教えられないかなぁ」

   店長のプライバシー保護により環奈はゴールの本名を知る事が出来なかった。ちなみにゴールの勤め先や住まいは教えてもらえた。

   とにもかくにも環奈は店長達との勉強会ののちフリーデビューを果たした。
    松本環奈というフルネームを知った店長から、橋本環奈と一文字違いということでパチ本環奈というあだ名を付けられている。
   そして、フリーデビューからひと月ほど経ったある日ついにゴールと同卓に成功する。

環奈「代走お願いします」

   環奈はメンバーに代走を頼み店長と話しをした。

環奈「ありがとうございます。ついに同卓!めちゃ緊張してます。でも嬉しい!」

店長「ここからは環奈ちゃんの頑張り次第だよ!ゴール君、麻雀の話しは大好きだから局面の話しをすると話しが膨らむかもね」

環奈「了解です!超頑張ります!」

   環奈は店長のアドバイスを有り難く聞くと卓へと戻った。
   環奈は卓上でゴールの顔をまじまじと見つめたい衝動を抑えていた。
   麻雀牌に触れているうちにいつもの冷静さを取り戻して行く。手牌そして局面を記憶する。
   アシスト後、ゴールから話し掛けられる事が増え、上家のオジサンから守られているのを感じた。
   ゴールがしてくる話の内容は全て局面についてだった。やはりゴールとの会話の鍵は麻雀が握っていることを環奈は強く感じていた。

   そして4半荘目ゴールがラス半を掛けた。環奈もあとに続いた。

   環奈は店を出るタイミングが同じならゴールに話し掛けやすいと思い期待したが、どうやらゴールは店を出るタイミングを環奈とズラすようだった。

   環奈はこれまで恋愛に関して全て受け身だった。それは環奈が男性から非常に人気があったからだ。
   環奈は雀荘の入っているビルから一歩出ると、過去に積極的にアピールして来た元カレや男性のことを思い出していた。

環奈(そっか……元カレ達も勇気をだして頑張ったんだな。自分から相手を好きになるってこういう感じなんだ……。よし!ガンバレ私!)

    環奈は軽く化粧を直すため手鏡を取り出した。鏡に映った頬が赤かった。

   しばらくするとゴールがビルから出てきた。

環奈「あの……ちょっとお話ししませんか?」

    環奈が声を掛けるとゴールがビクッと驚いたのがすぐわかった。
    とりあえず話しは出来ると思った環奈だったがゴールは次の日の仕事が早いことを理由に環奈の提案を断り立ち去ろうとした。

   環奈にとって予想外の事態だった。バレッタを取り髪を戻し、眼鏡とマスクを外し軽く化粧も直し気合いを入れた。顔で選ばれているクリニックの受付だ。かなり可愛いはずだ。だからこそ断られる事を考えていなかった。

    容姿が良すぎたために逆に怪しまれてしまう松本環奈27歳、人生最大の誤算だった。

環奈(どうする!?どうする!?どうする!?本当に帰っちゃう……!)

   追い詰められ絶体絶命の環奈の頭に浮かんだのはゴールが時間を使って悩んでいた局の光景だった。

環奈「3半荘目の南一局」

   環奈が絞り出した言葉にゴールは足を止めた。
   ここから先、環奈は麻雀の話しだけで道を切り拓くしかない事を理解した。

   喫茶店では優位性を得るためコーヒー代を支払った。男性に奢るという初体験。環奈はそれだけ本気だった。
   ゴールと面と向かって話すことが出来た。ゴールの犬顔を間近で眺められるのは幸せだった。
   決して顔が格好良いとも整っているとも思わないのにずっと見ていられる顔なのだ。
   これが人を好きになる事なのかと環奈は実感していた。
   牌譜検討も楽しかった。共通の趣味、それも同レベルの者同士で意見交換が出来るのはなかなかない経験だった。

   環奈を驚かせたのは連絡先を交換した時に知ったゴールの名字が『犬飼』だったことである。
   名字に犬が入っているとは思っていなかったのだ。
   この時環奈は将来、犬飼環奈になる妄想をしていた。

   23時を過ぎ喫茶店から出た環奈とゴールは駅へと向かった。

環奈「もう来月はクリスマスですね。犬飼さんは予定あるんですか?」

ゴール「ないですよ。今年も一人寂しく仕事をしていると思います。環奈さんは?」

環奈「ネトマばかりしてるので全く予定なしです。あっ、あのミッキーもクリスマス仕様ですね」

ゴール「そうですね。季節が早い。1年ホントあっという間ですよね〜」

   環奈は参っていた。クリスマスの予定なし、ミッキーマウス、ここから導き出されるクリスマスはディズニーに誘って欲しいという答えにゴールが辿り着かないことに。

    それでも駅まで自分を送ってくれたこと、僅かな時間でも一緒に話しながら歩けたことはとても嬉しかった。
    改札を通り、ホームへ向かう途中ふと振り返るとゴールがまだ見送ってくれていた。それが環奈にとってとても嬉しかった。
    環奈はゴールに向かって小さく手を振った。

   ホームに着いた環奈は同卓したこと、連絡先を交換出来たこと、1日の出来事を思い出した環奈は高校時代バスケ部でブザービーターを決めたあの瞬間のように叫んでいた。

環奈「しゃあああああ!!!!!」

   この環奈の雄叫びがゴールのLINEブロックを躊躇わせたことを本人は知る由もなかった。
   この絶叫を聞き、環奈を心配したゴールからのLINEに対し即座に雀荘へ誘う返信はファインプレーだった。
   ゴールも流石にクリスマスディズニーには思い至っていたからである。だからこその環奈への警戒。
   しかし雀荘へ誘ったことでゴールの警戒心を解くことに成功したのである。

環奈「しゃあああああ!!!!!」

   ゴールとの約束を取り付けた環奈は再び雄叫びを上げた。環奈のこの声は電車の音にかき消されることになる。

epilogue​───────

   東京まで電車で一時間程の郊外の新築の一軒家。

   幼稚園に通い出した女の子がペットのゴールデンレトリバーを撫でながら母親に尋ねた。

「ママはパパのどこが好きなの?」

「んー顔だね。犬みたいな顔がすっっっごく好きだったんだよね、一目惚れを経験したの。趣味も同じだったの、奇跡じゃない?」

   犬飼和真、人生の東一局が幸せに幕を上げていた。

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