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 高台から眺めるこの海の見える景色が一番好きだった。
  黒井鯛之助は港町に生まれた。
 漁師をしていた父は長男が産まれたことを喜び祝いの意味を持つ『鯛』の文字を名前に付けた。
  しかし名字が黒井だったため祝いの意味を持つ真鯛ではなく黒鯛というアダ名になってしまうことにこの時誰も気付かなかった。

 黒鯛少年は漁師の父を尊敬していた。
  将来は自分も父のような立派な漁師になるのだと決めていた。
 なので幼い頃から率先して父の仕事の手伝いをしていた。力仕事も多くしていたため子供とは思えないほど頑強な身体になっていた。

 父から泳ぎや釣り、海での遊びはほとんど全て学んだ。
 しかし天候が悪い時は海で遊ぶことは出来ない。
 そんな時、父が教えてくれたのは麻雀だった。

 ルールは子供の黒鯛にとって複雑だったが4人で遊べる対人ゲームということもありいつの間にか覚えていた。
 父の漁師仲間の大人達も集まって一緒に麻雀をすることは楽しかった。
 大人に混じって大人と同じ時間を過ごすことが子供の黒鯛にとっては自分が少しだけ大人になった気分になれる一大イベントだった。

  そんな子供だった黒鯛も29歳となり一流の麻雀プロになっていた。

  名だたる麻雀プロがドラフト指名によって集められたSupreme League(シュプリーム リーグ)、通称Sリーグ。
 今期の優勝チームが決定する最後の試合が既に始まっていた。

 南3局を迎え厳しい展開続きでラスに沈んでいた黒鯛は焦る気持ちを落ち着かせるため大きく深呼吸をした。

 黒鯛の所属するチーム『大和(ヤマト)OCEANS』は現在首位。とは言え、近年稀にみる僅差の首位でありラスを引けば一気に4位でシーズン終了となるほどの僅かなポイント差で4チームがひしめき合っていた。

 チームが優勝は黒鯛がラス回避出来るかどうかにかかっていた。

 チームの命運がかかっているラス前、南3局、黒鯛は配牌を素早く理牌して行く。


   配牌は1メンツもないものの幸いブロックは足りている。赤🀋があること、ドラの🀖が使い切れる形であり満貫を十分に見込める配牌だった。
   しかしそれでも悪くはないが良くもないというのがこの配牌の第一印象である。

黒鯛(この局で和了りを取れなければラスが相当濃厚になるな。絶対にミスによる和了り逃しだけは出来ない!)


   最悪の事態を避けるべく不要牌🀐を切り出して行く。


  黒鯛は有効牌の引きが良さを感じていた。456の三色まで見え手牌の可能性に思わず期待が高まる。

  🀊🀋🀌🀚🀛🀜🀜🀝🀞🀠🀠🀓🀔🀕この配姿が理想である。

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   ここまで厳しい展開が続き沈んでいた黒鯛の所属するチームの楽屋がこの日一番の盛り上がりをみせていた。

町田「タンピン三色あるぞ!!!!!」

   チームのムードメーカー、町田猪斗(いのと)が叫んだ。

馬場畑「ああ、さすがエースだ。跳満、倍満の可能性も出てきた!頼むぞ!黒井!」

   監督を務める馬場畑五里彦(ごりひこ)がテーブルの上で祈るように手を組んだ。

姫乃「悩まないツモが来て欲しいですね!変なの来たらミスりそう!」

   チームの紅一点、姫乃いおりが期待と不安の入り交じった瞳でモニターを見つめる。

猫宮「ラス目でタンピン三色の最高形まで見える手が入るのはやっぱりスター性みたいなのを感じるな」

   黒井と実力は同格、複数のタイトルホルダーの猫宮一朗が静かに呟いた。その言葉には仲間としての頼もしさと同じ麻雀プロとしての嫉妬が混じっていた。

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  ここで絶好の🀊ツモ。理想としていた456三色が現実味を帯びてきた。
  しかしここで何故か黒鯛の脳内に幼少の頃に言われた父の言葉が流れた。

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  父「どうだ?鯛之助!あの配牌がこうなるとは思わなかっただろ!?」

  麻雀を後ろで見ていた黒鯛へ父は得意気に笑った。
  ドラも赤もなかった手牌が鳴きを交えることで清一色へと進化した。

父「クソ配牌って諦めて降りたりクソ安い手を上がってもつまんねぇだろ?魅せる麻雀が俺の浪漫型麻雀よ!常人には見えねぇ役を見てくんだよ!」

  子供の黒鯛には父のこの和了りが魔法のように感じたと同時に父の凄さを目の当たりにし感動した。

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黒鯛(いや、あれはただのクソ鳴きが100回に1回上手く行っただけなんだよな、純粋だった子供の俺を騙しやがって……クソ親父め)

  今や黒鯛は麻雀プロだ。プロとして見れば父の言葉は理にかなっているわけではないが、別に全て間違っているわけじゃない。

黒鯛(常人には見えないモノ……か)

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  この🀊引きで456三色が見えた楽屋は大盛り上がりしていた。

町田「うおおおおお!引いた!三色ほぼ確定!🀙一択!」

馬場畑「ああ、こりゃこっちの期待も高まる!」

姫乃「勝ちだよ!コレ!三色三色!」

猫宮「うっかり🀙以外を切り間違えしなきゃ問題なし!黒井、味方だと本当に心強いな……!」

  次の瞬間、黒鯛の見せた打牌選択が楽屋を驚愕させることになる。

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  黒鯛の選択は打🀓。456三色を否定する一打。公式の実況解説もこの打牌意図を理解出来ずに困惑した。

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町田「えええええ!?なんで🀓!?せっかく三色になる🀊引いたのに!?」

姫乃「三色なくなっちゃった……」

猫宮「🀜🀜🀞🀠🀠の形を崩さないため!?とは言えタンヤオ三色最高形をみすみす逃すことになるぞ!?合ってんのか!?本当に!?」

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黒鯛(さすがに楽屋のみんなも驚いたか?親父の言葉を思い出さなかったら選べてない🀓だったな。親父は牌効率なんて無視した麻雀だったが俺は理で食ってる麻雀プロだ!)


  打🀙の場合、テンパイチャンスは🀝4枚、🀔4枚、🀖4枚の計12枚。
  一方、黒鯛の選択した打🀓の場合、テンパイチャンスは🀜2枚、🀝4枚、🀟4枚、🀠2枚、🀖4枚の16枚。

黒鯛(🀓切りは4枚分優位。🀗ではなく🀓なのは🀟引きした時にドラの🀖だけは絶対逃さない構え。だが赤🀔、貴様だけは来たらマジで許さん!!!!!)

  🀓が選択肢に上がったのは父の言葉を思い出したからだと黒鯛は言ったが、数多の実戦経験から紡ぎ出された1打だった。
  ラス目のこの状況、鳴いた3900を取るつもりがないこと。
  対面と下家の河の早い巡目に🀗が切れていることも🀖の受け入れが悪くないと判断した理由だった。

  🀝が場に2枚見え僅かに焦る。そして黒鯛のツモは🀎。テンパイしたい気持ちが黒鯛を焦らせる。

  卓に集中しているはずの黒鯛だったが父の言葉を思い出してから幼少時の記憶が再び甦る。

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  中学に上がりそれまで素直だった黒鯛にも反抗期が来た。普段家にいる母親とは大きく関係が変わることはなかったが、仕事で家を空けることの多い父親との関係が悪化していた。
  切っ掛けは些細なことだった。一緒に遊ぶ約束をしていた日曜日、それを父は忘れ友人と出掛けてしまったのだ。
  約束を守る大切さを日頃から黒鯛へ語っていたにも関わらず、父本人が約束を反故にした事を子供の黒鯛は許せなかったのだ。

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黒鯛(本当に些細なことだったな。あれから親父とまともに喋ることが少なくなったんだっけか……)

  父を許せなかった自分の器の小ささと約束を破った父が悪いと思う気持ちがせめぎ合う。

黒鯛(今でもこう思うってことは未だに俺は親父を許せてないんだろうな……)

  黒鯛は苦笑した。

  うっかり両面に取りそうな🀛引きも🀚🀝だが見え過ぎなのとフリテンになるためノータイムツモ切り。

黒鯛(そういえば中学に上がってからか、俺の人生の分岐点って)

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  中学1年の時、黒鯛は友達と駅前で遊んでいた。
  そこで同い年くらいの学生服を着た中学生が何人かの不良らしき少年達に絡まれているのを見てしまった。

父「おう、鯛之助!悪ぃことしてる奴がいたらぶっ飛ばせ!俺が許す!」

  昔、父から言われた言葉が黒鯛の頭に浮かんだ。今現在反抗している父の言葉に従うのは黒鯛にとって屈辱だった。

  が、しかし。

黒鯛「お前ら行くぞ!」

  親を漁師に持つ仲の良いヤンチャしている友人達にそう声を掛けるとと黒鯛達は駆け出した。
  黒鯛は身体が大きかった。父の麻雀仲間から格闘技や喧嘩の仕方を教わったりもしていた。
  黒鯛の友達も同様だ。
  黒鯛グループは街の不良の間で名が通っていた。

  そんな黒鯛達に恐れをなし子供に絡んでいた不良達は蜘蛛の子を散らすように去っていった。

子供「あ、ありがとうございます」

黒鯛「気にしなくていいよ、まぁ気ぃ付けてな。ああいうクソ野郎共はたまにいるし」

  黒鯛は照れた顔を見られないようすぐに後ろを向いた。だが悪い気分ではなかった。

友達「上(かみ)の子かな?」

黒鯛「たぶんそうじゃね?なんか小綺麗だったし言葉使いとかも丁寧だったしな」

  黒鯛の住んでいる街は駅のある北部を上と呼び、新興住宅地になっていた。区画整理がなされ大都市に務めている引っ越してきた住人ばかりである。
  一方、南部の港町を下(しも)と呼び上の風景とは異なり寂れた街並みが続く、昔からの住人がほとんどである。
  この二極化が上と下の対立を生み子供同士の関係性にも歪みとして表面化していたのだった。

  黒鯛が上の子を助けた日から少しだけ時間が流れ、定期テストが返却された。
  勉強などしていない黒鯛の成績は散々なものだった。

黒鯛(将来漁師になるんだから勉強なんか出来ても意味ねぇよ)

  そう楽観的に言い訳した黒鯛の脳裏に父の顔がチラついた。

黒鯛(ちっ……なんねぇよ!漁師なんか!親父と同じ仕事なんかしたくねぇ!くそ!気分悪ぃ!)

  そんな最悪な気持ちからかその日、黒鯛は友達の誘いを断り放課後珍しく一人図書室にいた。

黒鯛(あーくそ!俺は何してんだろうな)

  図書室の端の椅子に腰掛けぼーっとしていた時だった。

「この前は助けてくれて本当にありがとう!」

黒鯛「うおっ!?」

  完全に油断していた所に声を掛けられ変な声が出た。

「ビックリさせてごめん。隣りのクラスの白沢拓馬(しろさわたくま)って言うんだ。この間は本当に助かったよ」

  白沢拓馬。黒鯛の通う中学では定期テストの成績上位50名が発表される。黒鯛は学年成績1位の名前だったと思い出した。

黒鯛「あ、あーそういえば助けたっけか」

白沢「何かお礼でも出来ればいいんだけど……」

黒鯛「礼なんか……いや、お前勉強出来るんだよな?俺に勉強教えてくれないか?」

白沢「え?それは構わないけど」

  黒鯛の思わぬ提案に白沢は目を丸くしたものの了承したのだった。

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黒鯛(あの時が俺の人生の分岐点だったんだろうな、今考えると)

  黒鯛はそう苦笑した。


  黒鯛のテンパイに必要な🀝が連続して2枚打たれた。
  456三色に受けていれば3900のテンパイを取れていた。
  鳴いて赤🀔で和了れていたら?そんな仮定の思考が脳裏をよぎる。

黒鯛(この手は鳴かねぇって決めたから打🀓したんだよ!……赤🀝だけは鳴くけど)

  黒鯛はそんな悪い予感を捩じ伏せた。

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  こうして黒鯛は白沢拓馬から勉強を教わるようになった。

黒鯛「わざわざ放課後に勉強教えてもらって悪いな」

白沢「いいよ。こんなことがお礼になるなら。それに僕の復習にもなるからね。」

黒鯛「ふ、復讐か……」

  黒鯛は本気で頭が悪かった。

白沢「勉強にはコツがあるからね」

黒鯛「は?コツがあんの?がむしゃらにやればいいってもんじゃないの?」

白沢「勉強は効率よくやるもんなんだよ、鯛之助くん!」

黒鯛「白沢先生!お願いします!」

白沢「先生はやめてよ!」

  照れる白沢の意に反して黒鯛の先生呼びは定着することになる。

  白沢は自己流だった勉強方法を黒鯛に教えるためにシステムとして確立した。
  白沢式勉強法と黒鯛は自身の努力によって学力を上げて行くのだった。

  ある日、黒鯛は白沢宅へお邪魔することになった。
  そこで黒鯛は衝撃を受ける。

  モダン建築の西洋風の家。壁に飾られた絵画。美しいインテリア。

黒鯛「すご……!」

白沢「父さんが趣味で集めた物だよ。こういうのが好きらしくて」

  照れくさそうに父の話しをする白沢だが少し誇らしそうだった。
  それが父と関係が悪化していた黒鯛には羨ましかった。

黒鯛「親父さん良いとこに務めてんだ?」

白沢「トリス10製薬ってとこ」

黒鯛「めっちゃCMで流れてるとこじゃん!俺ガキの頃から風邪薬はトリス10の飲んでるわ」

白沢「マジ!?鯛之助くんお客様じゃん!」

黒鯛「そんな大手に勤めてるってことはいい大学とか出たから?」

白沢「そうだね。父さんは東大出てるよ」

黒鯛「東大か!マジか!やっぱ東大ってすげぇんだな」

  この会話がきっかけで黒鯛の目標が決まった。
  この日から黒鯛は東大入学を目指し猛勉強を始めた。

  黒鯛と白沢はいつしか親友になっていた。黒鯛は白沢に釣りや海での遊び方を教えた。白沢は趣味だった洋楽やギターを黒鯛に勧めた。
  白沢は苦手だった不良達とも黒鯛が間に居ることで次第に仲良くなっていった。
  一夜漬けの勉強法を教えたことで黒鯛の友人からも先生呼びされることになってしまう。
  上(かみ)と下(しも)の対立構造は黒鯛と白沢の周辺からはすっかり無くなっていた。

  中学3年時、黒鯛は県内で1番の高校へ入れる学力を手に入れていた。
  そして進路について両親と話しをしなければならなかった。

父「漁師の息子が勉強なんか出来て意味あんのか?」

黒鯛「は?」

  母親が二人の間に入り宥めるが、これまでの努力を無下にする父の突き放した言葉に黒鯛は怒りが込み上げ爆発した。

黒鯛「漁師なんかになんねぇよ!俺はこの高校へ行って東大行って大手の企業に就職すんだよ!俺の将来勝手に決めてんじゃねぇよ!」

  父が言い返して来ると身構えた黒鯛だったが、父は力無く目を伏せ消え入りそうな声でそうかと呟いた。

  こうして進路の話し合いは早々に終わり、黒鯛は無事第1志望の高校へ合格した。
  そして白沢も黒鯛と同じ高校に合格していた。

  中学、高校を共に過ごした二人だったが大学は異なる進路になった。

黒鯛「お前は東大へ行くもんだと思ってたのに」

白沢「勉強を教えることの面白さと楽しさを鯛之助くんのおかげで知ったからさ。先生になりたいんだ。」

黒鯛「俺の功績か。まぁ俺みたいな馬鹿の学力をここまで上げたのは素直に誇っていい!」

白沢「でしょ?僕本当にすごいよ!」

黒鯛「少しは否定しろよ!」

  帰り道、二人は大笑いした。

  そして黒鯛は東大へ合格する。

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黒鯛(東大に入ってからなんだよなぁ……)

  黒鯛の牌を掴む指に力が入る。


  念願の🀜ツモ。456三色を追っていたら逃していたテンパイ形。

黒鯛「リーチ!」


  黒鯛の🀞宣言牌、魂のリーチが炸裂する。

黒鯛(居てくれ!🀖!)

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  『大和OCEANS』の控え室は皆が椅子から立ち上がり大騒ぎをしていた。

猫宮「456三色追ってたら確実にテンパイ逃してたわ、実際オレはテンパイ逃してる。黒井すげぇわ……これは運じゃなく完全に腕」

町山「でもこれ三色逃してたらいろんなところでめっちゃ叩かれてるよね?三色追ってミスったならギリ許されそうだけど。俺前にミスったの未だに飲み会とかで言われるし」

馬場畑「だよな。ネットの声とかが足枷になるのホントプロの宿命だよな。大変だよ、選手は。監督で良かった。でもエゴサするとたまに無能監督とか言われてるから泣きたくなる」

姫乃「自分の麻雀を貫くって心が強くないと難しいよね。私すぐフラフラしちゃうけど打牌擁護してくれる騎士が湧くから救われてる!」

猫宮「うーん、チン騎士たちめ」

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  東大に入学した黒鯛だったが目標が達成されたことでいわゆる燃え尽き症候群になっていた。

  東大に入ってからの自分を具体的にイメージ出来なかった。それも大きなモチベーションの低下に繋がっていた。

  そんな黒鯛が実に小学生以来ぶりに麻雀牌に触れる機会があり、そこから麻雀漬けの大学生活が始まってしまう。

  少し調べると麻雀が強くなるための戦略本やサイトが大量にあり、それらを読み込み黒鯛は順調に強くなって行った。

  貯金を切り崩しフリー雀荘へ通う毎日、そして貯金が底を尽き雀荘で働く選択をしたことで麻雀熱が更に加速して行く。

  黒鯛は麻雀プロ試験にも合格し、麻雀で生きて行こうと決めていた。
  結局、大学にも行かなくなり東大を中退した。

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黒鯛(何してたんだろうな、俺は)

  麻雀にハマったことで輝かしい学歴が泡のように消えてなくなった。
  しかしこうして日本に僅かしか居ない高給取りの麻雀プロになった事実は否定したくない。

黒鯛(親父の跡を継いで漁師になってた人生もあったんだろうな……)

  様々な人生のルート選択があったことに思いを馳せる。
  もうしばらく父と母に会っていない。Sリーグのドラフトに選ばれたことを母親に連絡したくらいだ。
  父親も自分がプロになったことを知っているのだろうか。

黒鯛(……優勝したら親父に良い酒でも持って行くか。そう考えると我ながら長い反抗期だったな。)

  そうすれば幼い頃に刺さったこの父親への心の楔が抜けるかもしれないと黒鯛は心の中で苦笑した。
  そして第1ツモ。


黒鯛(一発ツモってことはないか)

  ラス目の黒鯛のリーチだ。わざわざ向かって来る者はいなそうだ。


黒鯛(いないか!?)

  ツモって来る黒鯛の指に力が入り、思わず強打になる。


黒鯛(いない!)

  経験と腕で辿り着いたこのテンパイ形。和了れないはずがないと麻雀経験が言っている。
  しかしまだ牌は黒鯛に応えてくれない。

黒鯛(これが麻雀だよな。思い通りにならねぇ。親父から見た中学の時の俺もこんな感じだったのか?いやもっと言うことの聞かない悪態をついたクソガキだったろうな)

  黒鯛はそう自嘲した。

  親父、ごめんな……そう心の中で謝罪をした時だった。

  黒鯛は心の楔が消えて行くのを感じた。


黒鯛「……ツモ!」

  値千金の🀖ツモ。これ以上ないほどの快感が黒鯛の身体中を駆け巡った。
  最高の舞台、そして優勝のかかったこのシチュエーションでしか得られない体験だった。

  全てに感謝したい気持ちが黒鯛を支配していた。

黒鯛「リーヅモ、赤、ドラ……2000・4000!」

  大きな分岐があった黒鯛のこの和了り手順が『大和OCEANS』ファイナル優勝の牌譜としてSリーグで大々的に取り上げられた。



  そしてファイナル優勝から数日、今黒鯛は帰省していた。帰って来たのは10年ぶりだった。
  久しぶりに帰って来た実家の玄関はリフォームでもしたのだろうか、昔とかなり変わっていた。
  勇気を出してインターホンを鳴らす。子供の頃はこんな事はしなかった。久しぶりの実家とはこんなに緊張するものなのかと痛感した。

黒鯛「俺だけど……久しぶり。帰ってきたよ」

  玄関を開けると父と母が立っていた。子供の頃はあんなに大きく見えた両親が小さく見えた。
  白髪も皺も目立つ。

 時の流れを強く感じた。

父「優勝……したみてぇだな。まぁそのなんだ、おめでとう」

 気恥しそうな父から祝われ黒鯛の緊張が解け笑みがこぼれた。

黒鯛「ああ、ありがとうな、親父。良い酒買ってきたんだよ。超美味いぜ!飲むか?」

父「お、おお!昼間から飲むのも悪くねぇな!飲むぞ、鯛之助!」

  黒鯛は時が全てを洗い流してくれるという歌詞でよく見るフレーズを実感した。
  父とのわだかまりはすっかり消えていた。
  また仲の良かったあの頃に戻れたことに黒鯛は安堵した。

  親父、飲むぞと玄関を上がった黒鯛に母から「おじいちゃんとおばあちゃんに線香あげてからにしなさい」と頭をはたかれた。

  幼い頃に戻った気分に黒鯛は堪らなく嬉しくなった。

  長い時間が経ってしまったが二人はゆっくりと親子の時間を取り戻して行く。

  少しずつ……少しずつ……。

 

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