ジェンダー・セクシュアリティを学びたい娘
私が通うICU(国際基督教大学)という大学は、ジェンダー平等の観点からの学びに力を入れてきた大学だ。
それを知ったのは、ICUに入学して少し経ってからだった。
もともと、「女なら化粧をしなさい」といった文化(?)や、「女なんだから皿洗いをしろ」といった役割の押しつけに対してなんか嫌だなぁと思っていた私だったが、高3の時点ではジェンダーに関する問題に取り組んでいきたいとは思っていなかった。ただ単に、「私はそんな押しつけは嫌だ!」と言い張っていただけだ。
しかし大学で学びを深めていくうちに、私はジェンダーフリーの観点から世の中を見つめ直してみたいと思うようになった。私は異性愛者だが、大多数の、世間に望まれる女性像とはやや違う性質を抱えていることもあり、ジェンダーやセクシュアリティの問題は身近に感じられた。
ICUには、「ジェンダー・セクシュアリティ研究」という専攻がある。専攻を決めるのは2年生の終わりだが、私はこの学問を専攻したいと思うようになった。そのことを、一度父に話したことがある。
「ジェンダー・セクシュアリティ研究ってやつを、専攻しようと思ってるんだ」そう言うと、父はしばらく沈黙したあとこう言った。
「お前には、あんまり偏らずに育ってほしい」
最初、父が言った言葉の意味がよくわからなかった。しばらく考えて、父は「ジェンダーやセクシュアリティの問題を学ぶことは、偏った考えを身につけることにつながる」と考えているのだなと理解できた。別に驚くことではない。父の世代の人々にとって、ジェンダーフリーのような考えは新しく、受け入れ難いのかもしれない。だけど、やっぱり少し悲しかった。
父は大学で経営学を学び、大手の保険会社に長年務めてきた人だ。昇進もして、家庭もあって、地位もある。私は、そんな父はある種の「特権」を持った人間だと思う。自分が性別のせいで差別されたり、偏見を受けたり、道を閉ざされたりした経験とはほとんど無縁だろう。それはもちろん父の努力の賜物でもあるのだが、境遇も関係していると感じる。そんな父の世界は偏っていないのだ。だから、わざわざセクシュアリティのことで偏見を受けて苦しむ人がいる世界のことを学ばなくたって問題はない。ジェンダーフリーの世界になろうが、ゲイやレズの人が差別を受ける世界だろうが、父にとっては関係ないのかもしれない。
父のことを悪者だとは思わない。男女二元論が当たり前だった世界に生きてきた人間に、突然ジェンダーフリーについて理解してほしいと言ってもそれは難しい。
私は、無知こそが一番恐ろしいことだと常々感じる。父のような、なかなか同性愛について理解できない人や、ジェンダー平等の観点の大切さを実感できていない人はたくさんいると思う。私自身も、ジェンダーやセクシュアリティについて学ぶ中で、まだまだわからないことや、時には同意できないこともある。だからこそ、学ばなくてはいけないと思う。娘が学ぶ姿勢が、親の考えを少しでも変えるきっかけになったらいいなと願っている。