古代遺跡謎解きの旅: 風水ウォーキング (小学館の謎解き古代史シリーズ 1) 単行本 – 1999/4/1松本 司 (著) Amazonレビュー
町田市の境川上流域の風水的配置が、出雲(山陰地方)と合致しているという指摘は 大変 重要です。
2019年11月20日に日本でレビュー済み
町田市の境川上流域の風水的配置が、出雲(山陰地方)と合致しているという指摘は 大変 重要です。素戔嗚尊が ヤマタノオロチを退治した場所の地名は「木次」ですが、これは、小山ヶ丘 札次神社の「札次」では ないでしょうか。ちなみに、神功皇后が籠もった場所の地名は、「小山田」邑です。下小山田 小山田神社は、「内御膳神社」と呼ばれました。「内御膳」とは、正妻です。境川上流域は 古代産鉄が行なわれ、古代養蚕も 行なわれました。境川を渡れば、相模国があり、鶴見川を渡れば、武蔵国が ありました。ヤマトタケルは、相模国から武蔵国へと移動しています。
※『古事記』、『日本書紀』には、古墳も銅鐸も出て来ません! 富士山が出て来ないのは不思議です。
※山陰地方に 東北弁があるのは 入植が行なわれたということではないでしょうか。奈良の奥吉野地方にも 東日本方言があり、東日本から 入植が行なわれたと考えられます。
※私は、鶴見川流域の町田市三輪が大和国の出発地と推定しています。鶴見川の河口は、東向きであり、朝、太陽が昇ります。そこから「日本」と名付けられました。
鶴見川は、関東平野(海から見て、山が迫っていない)を流れており、流れが緩やかです。大陸、特に朝鮮半島からの入植者が、玄界灘を渡ることを避けて、北海道の方から、周って来て、船で侵入するのに適しています。鶴見川流域には、大陸式古墳が 数多く存在します。特に、町田市三輪に多く存在します。
※[2023/02/28追記] GPTとの対話で上記仮説を確信するに至りました。更に追加します。
町田市三輪の隣は、横浜市青葉区奈良です。ここには「こどもの国」があり、歴史的にずっと天皇家の所有でした。天皇は、江戸時代以前、ここの住んでいました。
園内の「白鳥の湖」はヤマトタケルが死んで白鳥となり、降り立ったという伝説の湖です。稜は、近くの「しらとり台」にあったはずです。
平城京、平安京は、それぞれ「奈良山公園」の北側と南側とにあったと推定されます。現在の奈良川=「鴨川」です。
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