知り合いのひと
おのみちの知り合いのひとに帰り際、
元気ですか?
と、聞かれた。
さっきまで、知り合いのひとの近況を聞いていたのに。
ばれたと思った。
いや、まぁ、そこまでは…と、少しはぐらかそうと思って応えた。
生きてるだけですごいんですよ
偉いんですよ
明日を生き抜くことだけ考えれば
それでいいんです
それだけなんです
と、言われた。
ばれてる。
全然はぐらかせてない、自分のコミュニケーション能力不足を感じながら、
今ほしい言葉をかけてもらえた充足感もあるという不思議な心境になった。
知り合いのひとに会ったときは私的にはいろんな人と話をした後だったので、割と社交的スイッチ且つおしゃべりスイッチというのがONになっていると思っていた。
大概、そういうときは、みんなに元気だねぇって言われることが多い。
それは、自分的にはうまく円滑にその場を凌いでいるということが感じられて、安心できる。
でも、ほんとにごく稀に、
大丈夫?
などと言った言葉をかけてくれる人もいる。
不思議だ。
というよりも、ばれたっていう思いが強くて、なんだろうか、例えるなら…
突然、身ぐるみすべてを剥がされた気分。
これが1番近いかもしれない。
如何にも元から自分は強くてたくましい人間であると偽ってきたことを見え見えだよと言わんばかりのタイミングで言われ、恥ずかしさで死にそうになる。
でも、私は
その知り合いのひとの言葉や他のごく稀に声をかけてくれるタイプのひとがとてもとても、好きだと感じる。
その人たちは、その時ほしい言葉をかけてくれるから好きというよりも、
その人たちは、今の自分を、私をしっかり目で見て、声を聞いて、肌で雰囲気を感じて一人の人間としてみてくれている。
そんな気がするのです。
笑っていても、笑っていないかもしれない。
泣いていても、笑っているかもしれない。
怒っていても、楽しんでるかもしれない。
本当の気持ちというのは見えないもので、それでも、言葉や表情、声色の少しの変化がヒントになってどんな気持ちなのかというのは予測できてくるものだと思う。
すごく、すごくそれは難しいことで、こういう私はそんな神業はできない。
でも、なるべく心がけるようにはしていて…
長々となったが、
その知り合いのひとに言葉をかけてもらえたこと、
そして、あなたのようなひとになりたい。
そう思ったことをひっそりと、書き留めておきたい。
みなさん、明日を生き抜くことだけ、
はたまた、今日を生き抜くことだけ考えましょう。
それだけで、ずっと偉いんですから。
受け売りの言葉をみなさんにも。