やさしさと優しさ
最近、というか、今までもたまに、
優しさの中に底しれない怖さがある。
と、言われることがある。
彼女ら曰く、突然、何かの拍子で嫌われたり、いなくなったりするのではないかと、不安になるそう。
そんなこと、私に言われても。
ただ、人にみんなにやさしくしてるだけなのに。
みたいな、謎の虚無感というか、
ホットコーヒーがいいと言われたから
ホットコーヒー買ってきたけど、
このホットコーヒー熱すぎじゃん。
って、文句言われたときの
ひょっ。
とした感じに似てる。
やさしくしないと、あの人はやさしくない。なんていうのに、やさしくしたらしたで優しすぎて不気味だと言われる。
何が正解なのか。
もしかしたら、押し付けなのかもしれない。
そんなに、人にやさしさを持って接しなくてもいいのかもしれない。
ただ、自分の嫌われたくないという思いのエゴからくる行動なのかもしれない。
そんな風に考えてしまう。
でも、わたしは人にやさしくされたいし、危害を加えてくる人以外にはやさしくできる人間でありたいだけなのに、
優しくなってしまう。
やさしいと優しいは違う気がしている。
意味は一緒だけど、ニュアンスが違う。
やさしさにあふれている人間と優しさに溢れている人間
なんだか、後者のほうが漢字表記だからか固く、闇が感じられる。
たぶん、わたしもそんな感じなんだと思う。
そんなこと考えてたときに
他の事柄で人に相談をした日があった。
考えすぎだと人に言われたけれど、
考えることで人を困らせているわけでもないし、考えなくなったらその時までに見えていた問題を無視することになるのに、どうしてそんなことができようか。
それはつまり、今の価値観も全て根底から否定されている。
うむ、わたしが悪かったのか?
なんて、相談しておいてイラッとしてしまった。少しだけ。
でも、きっと、これが人の優しさなんだと気づけた。
人を変えるより自分が変わる方が早いというけれど、本質的にはきっと変わる必要がなくて、
たぶん、きっと、
もう少しメガネを外して世の中をぼんやり見るぐらいでちょうど良くなる世の中なんです。
やっぱり、やさしさを求めてやさしさを配り歩きたい。
でも、それが誰なのか、どういう人なのか、そういったことはふわっとしか影だけしか見ずにしておきたい。
見すぎてしまうと、エゴになってしまうから。
で、ここで言いたかったのは、
わたしはあまり何も考えてないよ。
求めてないよ。
だから、素直に受け取って素直に伝えてくれればそれで。
ということです。
ただそれだけなんです。