【断捨離】”無駄”と定義されるものたちへ
効率重視の社会の中で、コロナ禍の波によって
さらに”無駄”が省かれていくように思う。
またそれを嘆いたり尊い遺跡のように言う人もいる。
ただ”いらないものが多すぎた”だけじゃない?
私は、とてつもなく、生きにくかった。
雑談がなくなって寂しい?
雑談がなくなったこの空白を
どう過ごすかって
逆にすごく興味深い。
寂しい寂しいと言って
思考停止している人に
なんの興味も湧かない
私たちは潜在的に余白が好きなはずだ
日本庭園のように
余白こそがデザインのように
効率と無駄という言葉は
どちらも思考停止に思える
どちらにも共通点がある
それは統一化
なんの個性もない
大量生産された何かを追い求めるのか
この空白、
真っ白なキャンパスに
自分なら何を描くか
そのことに
人はもっとワクワクしないのかな
この時代に
生まれてよかった
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