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どぶ川の思い出 昔話02

 昭和40年代前半の札幌は道路わきに「どぶ」と呼ばれる側溝があった。
 床屋の横のようなバス通りはまさに小さな川のような側溝だった。もっとも、モーちゃん自身が小さいから川のように見えたのかもしれないけどね。
 そういえばバス通りにはダンプカーよりも大きな荷車を引く馬車もよく通っていた。子供心に「クソしたぞ」なんて騒いでいた記憶がある。クソは道路に落ちなようになっていた。それでも時々馬糞を見つけることがあった。馬糞はわらみたいなもので汚い感じがしなかったが、クソであるという知識がモーちゃんの行動に制御をかけていた。
 話をどぶに戻すが、当時はまだ下水道が完備しておらず、どぶと呼ばれる道路わきの溝に各家庭から生活排水が流れ込むようになっている。だからどぶは汚い水の上に藻が繁殖するような大変な状況になっているところが多かった。匂いもなかなかのものだった。ちなみに便所は汲み取り式。各家庭で溜め、業者が集めにくるから、どぶとは別系統なのだ。
 道路のわきには常に罠があるようなもの。ぼやぼやしてどぶにはまると大変なことになる。モーちゃんはあまりはまったことはないが、よくボールを落としてそこから取るのに苦労した。やっと取れてもほぼ緑色になり、臭いけど草で拭いて何とか使った。何せその頃は空き地はもちろん、公園でさえ水道なんてなかった。
 モーちゃんの家の前にもどぶがあり、木の橋が架かっていた。モーちゃんが幼稚園児の頃その木の橋がぼろぼろになってきた。そこで、父さんが大きな土管を買った。まずはボロボロの木の橋を父さんが撤去。「危ないから近寄るな」と、落ち着きのないモーちゃんはしつこく注意受けた上に母さんに捕まえられていた。大きな土管を2本どぶに埋めて、ここからみんなの出番。周りから石を拾って土管の周りに詰めた。その上に父さんが土を盛って橋が完成。
 その橋は木の橋と違ってどんなに飛んだり跳ねたりしてもびくともしないのでうれしかった。
 
 小学生になったある日、母さんと街にお出かけしたときのこと。
 バス停に向かう途中で、ジープのパトカーが2台道路わきに停まっていた。そこで半袖の警察官が数人で何かをしていた。パトカーも警官もモーちゃんの知っている形じゃなかったので、なんとなく本物の警察という感じがしなかった。
 帰りに同じ道を通りかかったときにもまだパトカーがいて、母さんはそこにいたおばさんと話をしていた。モーちゃんは「もっとパトカーらしい、本物のやつがいいな」と思いながら眺めていた。昭和40年代にジープのパトカーがあったかどうかわからんが、屋根に赤い回転灯があって、ジープの後部に無線機のような機械から長いアンテナが立っていた。
 家までの道、何があったのか母さんに聞いたけど、何て教えられたのか覚えていない。それでも何か事件があったことは間違いないが、今思うとそこにいた部外者と思われる人はそのおばさん一人、特に野次馬のような人はいなかった。
 家に帰ったあと、友達と外に遊びに行った。一緒にあの場所に行ってみると、すでにパトカーも警官もいなかった。
 友達は「子供がどぶに落ちて死んだんだ」と言う。そして、パトカーが停まっていた表通りから中通りの突き当りの家のベランダに近づき、「その子の家はここだ」と教えくれた。
 家は真っ暗だったようだ。今でも残っているモーちゃんの記憶は部屋の真ん中で死んだ子を抱きしめて座っている母親の姿。これは外からなんか見えているはずがなく、多分モーちゃんの勝手な想像だろうとは思う。
 子どもの話の中には、作り話をもっともらしくドラマチックに語られることが多い。
 でもこの直後、パトカーが止まっていた道路のどぶは、幅3メートル長さ50メートルくらい一画すべて板で覆われた。
 本当にそういう事故があったかどうかは今でも不明。以前、母に確かめたことがあったが、母は全く覚えていなかった。

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