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彼女は不思議な器具を持っていた【日記】

 真言宗の十善戒の中に不両舌というのがあって、どうやら二枚舌の由来らしい。朝令暮改、ダブルスタンダード、でまかせ、でたらめ。言葉がコロコロ変わることを揶揄う言葉は数多い。
 「正しい言葉遣い」も記憶に新しい。チグリス川の流れに棹さした覚えのない人間は学習なくして揶揄を免れない。また、言葉は積み上がる。若者言葉やインターネットミームなら学習するまでなしという姿勢もまた草極まりない。

 私は、何だか言葉は可哀想だと思った。言葉の根っこに意思があって、意思の根っこに意識があって、意識の根っこに無意識があるとするなら言葉は可哀想だ。コロコロ変わるのは意識だ。言葉は振り回されて可哀想だ。
 言葉は動員される。西へ東へ呼び立てられては意識の頭を撫で回し、意識を庇って矢面に立ち、撃たれたことをやんわり翻訳している。罪を憎んで人を憎まず? まるで罪と人が離れているかのようじゃないか。言葉は槍玉に上げられて可哀想だ。文脈や為人、表情や状況は棚に上げられ、俎の上には言葉と意味だけが残った。

青年よ、さあ立ち上がれ!
胸の炎を真っ赤に燃やせ!

SNK(1999)

 ああ、つまらん。つまらん。銃を持ったやつの言葉はつまらん。銃を持ったやつが誰某を打ち負かしたとすれば、それはまさに銃によってであって、以て誰某を言い負かしたと宣うのは掠奪に等しい。

 創を負ったやつの言葉もつまらん。瑕を持ったやつの言葉もつまらん。もの知らぬやつの言葉も、もの知るやつの言葉も、勝ったやつも、負けたやつも、それらに相向かうやつの言葉も押し並べて聞いて評するに値しない。
 意識と言葉の強靭さが統計を抜けることはあるだろうか。同じことだ。聞いて評するに私が用いる言葉が既に私を祀り上げている。

 私は荒木飛呂彦先生の『JOJO』が大好きだ。どのキャラクターにも癖になる魅力があって、どの決着の仕方にも謎の凄みがある。
 言葉がつまらんのは見え透くからだ。それは安物買いで銭を失うのを厭うような、逆に、ただ私が楽しいだけのスポーツにムキになるような。死者の言葉なら価値を持つとすればこの点に於いてだ。一貫性を謳いながら科学することは結局のところ自傷行為に他ならない。

 一方、無常の向こうを張るのはゲノムだ。茨の道は薔薇の道でもあった。カオスが濾過されるのはそれ自体快感だ。人を納得させるものは"美しい"。「『JOJO』の言葉」はスポーツだが、『JOJO』には納得がある。それは連載中だってそうだ。
 『JOJO』は不透明で、しかし信頼があった。これは単なる幸いだ。要するに私は、未だに言葉によって私を表現し、また、言葉によって他者を理解できるべきだという類の幻覚を解毒できないでいるのだ。

 言葉は濫用され、或いはされないとに関わらず下流の石のように減価してしまう。言葉は磨かれて可哀想だ。そうして捨てられたかと思えば物好きに拾われて重宝される。言葉は落ち着かなくて可哀想だ。
 しかし、言葉の何がいちばん可哀想かって、私のような馬の骨にこんなに可哀想がられて可哀想だ。

 ひょっとして、これほど注意深く築いてきた人生が、ほとんど恣意の一貫性の産物にすぎないのだろうか。

ダン・アリエリー(2013)

 今、ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』を読んでいるところだ。言葉は呼び声が作為性を纏って、修飾語から命令、それから名詞に至ったかもしれない。
 分かることは分けることだ。名前が世界を個性に切り分けた。ラスコーの洞窟の壁画にもそうある。そこにハラリの虚構が投射される余地が生まれた。

 言葉の転用については昔からそうだったらしい。ジャスティン・グレッグの言う"欺き"や"嘘"に言語はうってつけだった。
 そして言葉は比喩によって自己増殖する。子供の頃、私はダンデライオンは花の見た目がオスのライオンの立髪に似ているからだと誤解していた。比喩が"言語の土台"であるなら、転用は転用とも言えないのかもしれない。

 何でもジュークボックスの"juke"はクレオール言語だとか。カタカナ英語は英語ではないが、ジュークボックスは問題なく伝達されている。とはいえ、"翻訳できない世界のことば"も依然として存在する。
 そして、それは、どうだろう。カブトムシだと言えるだろうか。いや、カブトムシではあり得ない。何にせよカブトムシは三千年前までは問題ではなかった。なぜカブトムシはアポロンのようではないのだろう。無理からぬことだ。カブトムシでないものを虫籠に入れて、私たちは愛でるべくもないのだから。

今、彼女が僕の手を取って
情熱の温度を測ろうとしている

ウラニーノ(2006)

 言葉は偶像に取って代わったかもしれない。シビれる話だ。神々の声はトラック別にレコーディングされ、文章へとミックスダウンされた。しかし、プレーヤーの位置といったらウェルニッケ中枢の逆側で、備え付けのアンプの具合はまちまちだ。
 神々は"チャッター"に垂迹した。スピーカーから漏れ出る言葉を頼りに、畏れ多くも天上の歌い手のご機嫌を窺い知り、あまつさえ注文を付けようという流行が業界の常識となったのは、意識がEQとして任官したその時からだったのかもしれない。

 "言葉に出来なくても、形にならなくても、ただ静かに燃やし続けるーー情熱は、情熱はそんなもんだろ"。実験心理学に勤しんだ学部生時代、FUZZFACEの回路のような大学生の悲鳴に聞こえたその歌は、今やヴィンテージの凄みを身に帯びた。
 『ビジュアル・シンカーの脳』を読んでいない。ひょっとして、意思はストラトのボリュームポットであって、言葉はノブの時刻のカンニングペーパーなのでは。つまり、私はまた何か、盛大な勘違いをしているのでは…

おっと 会話が成り立たないアホがひとり登場〜〜

荒木飛呂彦(2013)

 先日、友人と駅の書店に立ち寄った。『犬の気持ちがわかる方法100選!』。平積みされた本のタイトルはそんなだった。
 愛犬家の彼だ。私はその本を勧めた。「こんなのはどうだい?」
 彼は答えて言った。「ああ、ウチの犬なら、俺は目を見れば会話ができるから。」

 私たちは駅の喫茶店でコーヒーを一杯ずつおかわりし、それで別れた。彼とは次の次の日曜日、映画を見に行く約束をした。

 花を手向けなければ。カブトムシが天窓に閊えて困っている。棚下ろしの時間はそろそろだ。

【主な関連資料】

  • ウラニーノ(2006)『情熱の温度』消えた村長レコード

  • 松木いっか(2023)『日本三國』第4巻 小学館

  • SNK(1999)『餓狼:MARK OF THE WOLVES』SNK

  • 小林朋道(2024)『モフモフはなぜ可愛いのか:動物行動学でヒトを解き明かす』8:ヒトにとって「音楽」とは何なのか? 新潮社

  • ダン・アリエリー(2013)『予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』(熊谷淳子 訳)早川書房

  • ジュリアン・ジェインズ(2005)『神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡』(柴田裕之 訳)第1部-第2部第4章 紀伊國屋書店

  • ジャスティン・グレッグ(2023)『もしニーチェがイッカクだったなら?:動物の知能から考えた人間の愚かさ』(的場知之 訳)第2章 柏書房

  • エラ・フランシス・サンダース(2016)『翻訳できない世界のことば』(前田まゆみ 訳)創元社

  • ズノウライフ(2021)『思考実験「箱の中のカブトムシ」とは?具体例付きでわかりやすく解説』思考実験「箱の中のカブトムシ」とは?具体例付きでわかりやすく解説| ズノウライフ (zunolife.com) (参照日2024年7月30日)

  • 橘玲(2023)『世界はなぜ地獄になるのか』頭のなかのおしゃべりがあふれ出す 小学館

  • テンプル・グランディン(2023)『ビジュアル・シンカーの脳:「絵」で考える人々の世界』(中尾ゆかり 訳) NHK出版

  • トール・ノーレットランダーシュ(2002)『ユーザーイリュージョン:意識という幻想』(柴田裕之 訳)第9章 紀伊國屋書店

  • 荒木飛呂彦(2004)『STEEL BALL RUN:スティール・ボール・ラン』第4巻 集英社

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