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史実があった【日記】

 貴方は、どうだろう、催眠術とか。信じる方だろうか。
 貴方が信じようが信じまいが催眠術は存在し、催眠術が存在しようが存在しまいが、私たちは催眠術を信じたり信じなかったりする。その交差のために、つまり、催眠術などまやかしだと信じている人に催眠術を信じてもらうために、ないし催眠術が当たり前の日常に溶け込んでいる人に催眠術を疑ってもらうために、必要なものはなんだろう?

ワン・ツー・ジャンゴでお前らは眠くなる
いいか いくぞ
ワーン…ツー…ジャンゴ ZZZ…

尾田栄一郎(1998)

 海賊が来たぞ、と聞いて貴方は初め信じないかもしれない。なるべくなら古式ゆかしい海賊がいい。そんな形した荒くれたちが、髑髏の旗のガレオン船に乗って来たのを目の当たりにして初めて、彼の言葉はウソではなかったのだとわかる。彼の言葉が、郵便が来たぞ、だったなら貴方はすんなりと信じたかもしれない。

 では"ひとつなぎの大秘宝"だったらどうだろう。このさい愛でも平等でも神でもいい。ポン、と目の前に出したり引っ込めたりできないもの。そんなものについて、在るとか無いとかいう話はある程度宙に浮かざるを得ないが、令和も既に六年だ。
 使い捨て然とした端役に「海賊が夢を見る時代が終わる」と言わせるだけ言わせておいて、本当に終わったぞ、という方がむしろ予想外というほどには機は熟したと言えるのではないか。

 もちろん、これは単なる少年漫画の読み過ぎだと言われれば読み過ぎだ。それはそうと、神は実在していたらしい。

まともだから悪魔の攻撃を恐がっちまう
恐怖が悪魔の力になるからな

藤本タツキ(2019)

 西暦の神々と比べて古代ギリシアの神々のなんと人間くさいこと、と常々思っていた。それも頷ける。ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』を読んだ。大変に誤解を招く言い方をすれば、西暦の神々は道徳であり、道徳は神々の残響だ。

 モノが存在するとはどういうことだろうか。ああ、さあ大変だ。おそらくいま哲学の歴史に明るい諸兄らがガタガタと一斉に立ち上がったことだろう。そしていや待て、自制する。こんなnoteの片隅で大したことなど書くるべくもない。身も蓋もないが、それについては全く申し開きのしようもない。

 目の前には蜜柑色をした蜜柑がある。手に取って皮を剥き、一房齧れば酸っぱい! そして甘い。張りのある砂瓤の連なって弾ける音。爽やかな香り。そして酸っぱい!
 そういった類の一連の電気信号から蜜柑だけをスった場合、その不在は鞄の中の財布のようにバレるものだろうか。目の前には蜜柑色をした蜜柑がある。と電気信号は言っている。蜜柑は、いや、そもそも初めから蜜柑は「在った」のか?

 存在は認識にとって十徳ナイフのようなもので、欲を言うならそれだけだ。あとはすごく長くなる。ただ一つ言えることは、栓抜きがあるなら栓は抜けるということで、貴方は「はるみ」という果物をご存知だろうか。そう、あの「清見」のような果物だ。ニンジンはオレンジ色をしているが、ニンジンはオレンジではない。

 そんなこんなで神は実在した。被比喩語は何だったのだろう。"norm"であるとか。noteの片隅には過ぎた密度だ。

お母のとなりに埋めたら
お父の声聞こえなくなった

山口貴由(2016)

 エリニュス、人魂、バルビゾン派、ダニイル・ハルムス。史実であることは種明かしのようなものだ。ところで、さて私たちは? 
 二十万年前だか十五万年前だかに私たちは生まれ、七万年に脳内の海図に異変が起こり、三千年前までは神々の声が聞こえていた。五十年前にジェインズ氏は私たちは未だ移行期にあると言ったが、私たちが史実となるような時代がやってくるだろうか。

 "とてつもなくゆたかな"今日、日常的に幻聴が聞こえる人間はそれなりの割合で患者だ。先日『バッタを倒しにアフリカへ』を読み終え、今は『海馬を求めて潜水を』を読んでいる。次は『バッタを倒すぜアフリカで』も読みたければ『きのこのなぐさめ』も読みたい。
 アファンタジア、ビジュアルシンカー、共感覚、"自伝的記憶の深刻な欠如"等々。当世風に多様性と謂おうか。それらは必ず患者ではないし、その意味で患者の診断を下すのは文化だ。
 例えばあの憎きスギ花粉めらにあるとき突如、激毒が宿るようなことはあるだろうか。自由意志、心裡的シミュレーション、心の理論、そして虚構。カードの既に配られた私においては、精々配られたカードでどうこうするほかあるまい。私たちも十分に史実的であり得る。しかしそれは診断が下るか否かに掛かっているだろう。

How many special people change?
How many lives are living strange?
Where were you while we were getting high?

Oasis(1996)

 私はパラレルワールドだとか、輪廻転生だとか、それほど信じていない方だ。存在の認識に存在は必須ではなく、"集団内で強制力を持つ共通認識"に集団は必須ではない。要するに、「悪魔の実」が史実的であったとして、私は「能力者でないやつ」となるだろうか。

 私たちはより正確なアナログ製作とカロリーの節約との二つの要請を抱えており、あと五十年のうちに世界が海に沈む可能性はーーいや、やめにしよう。令和も既に六年だ。世はまさに大"とてつもなくゆたかな"時代である。社会淘汰があったとして、それはアナロジーに過ぎない。時計は去年から午後二十三時五十八分三十秒を指しているが、手に持ち投げるのが柔らかな雪玉か、滑らかな爆弾かという、ある意味においてはそういった差異しかないだろう。
 私たちの抱える時限装置はニセフトタマムシが絶滅しかけたのとちょうど同じ要領で私たちを生かし、ニセフトタマムシが絶滅を免れたのとちょうど同じ要領で私たちを殺し続けるだろう。今さらこの平和が慕わしくてならない。

 結局はこの有様だ。ミュンヒハウゼン症候群のことを聞いてからというもの、私はどうも自信を喪った。私たちの神々の空位には私たち自身の意識、すなわち精神が着いたのだと、ジェインズ氏はそういえばそんなような表現もしていた。悪魔の実なり、未来の悪魔なり、好きにするがいい。曰く、暇を持て余した神々の遊び、として。


【主な関連資料】

  • 尾田栄一郎(1998)『ONE PIECE』第3巻 集英社

  • 藤本タツキ(2019)『チェンソーマン』第3巻 集英社

  • ジュリアン・ジェインズ(2005)『神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡』(柴田裕之 訳)紀伊國屋書店

  • ジャスティン・グレッグ(2023)『もしニーチェがイッカクだったなら?:動物の知能から考えた人間の愚かさ』(的場知之 訳)第3章 柏書房

  • 山口貴由(2016)『衛府の七忍』第2巻 秋田書店

  • ダニイル・ハルムス(2023)『ハルムスの世界』(増本浩子&ヴァレリー・グレチュコ 訳)白水社

  • 橘玲(2022)『バカと無知:人間、この不都合な生きもの』新潮社

  • 前野・ウルド・浩太郎(2017)『バッタを倒しにアフリカへ』光文社新書

  • ヒルデ・オストビー&イルヴァ・オストビー(2021)『海馬を求めて潜水を:作家と神経心理学者姉妹の記憶をめぐる冒険』(中村冬美&羽根由 訳)みすず書房

  • Oasis(1996)『Champagne Supernova』Helter Skelter

  • 上出遼平(原作)&山本真太朗(作画)(2023)『ハイパーハードボイルドグルメリポート新視覚版』第1巻 秋田書店

  • モンスターエンジン(2007-)『神々の遊び』吉本興業


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