サイレント毒親と高学歴系アダルトチルドレン
監修:妹
1. 結局いつまでも改まることのない毒親の裏切り
かつて虐待を受けていた私。
しかし、親を許すことに決めた。
それは、最早信仰心としか言えないかもしれない。
まず、私は過去の経験から、人は必ず接し方で変わるという強い意志を持った。親を恨み続けるよりも許し、いい関係を築いたほうがいいと思った。
また、儒教を学び、仏教を学び、この社会秩序を守るためにも、自分のできる親孝行をするのだと思った。それから親がおかしいのは、前世でたぶん自分が親が傷つけてたからだ、現世で親を許すことで私のカルマはなくなり、そして親の悪行も清算されるのだという理論もうち立てた。
がしかし、この前、私が追納しようとしていた年金を代わりに手続きをして払うと父が詐称して母から金を騙し取り、金が足りなくなった母は、私が祖父母から受け継いだお金を降ろして父に与えてしまった。その額60万円。
また、今回、博士課程を落とされた私に対して、最初は、何とかなると言っていた両親だったが、2日も立つと、今まで払ってきた金はなんだったのか、博士になると思って出してたのに、すべてはお前のコミュ力のなさが原因だ、教師になるにしても恥ずかしいから地元でやるな、でもどっちにしろ軟弱なお前にできるわけがないかもしれないが、とりあえず働け、当たって砕けろの覚悟だ、ということを言われた。
正直、発狂してしまいそうだが、耐えた。
やっぱり親を許せないかもしれない。
毒親の精神性はいつまでも変わらないのだ。
2.理解されにくい「サイレント毒親」×「高学歴系アダルトチルドレン」
毒親と言ってもいろんなタイプがいる。
明確にネグレクト、暴行などがあれば、それはもう間違いなく、犯罪者としか言えないかもしれない。
価値観の押し付け、過保護、過剰な管理、恋愛・進路・就職などへの干渉も毒親の特徴とされる。
しかし、明確にこれらの特徴が無くても、急に豹変してこれらの特徴が出てくる「サイレント毒親」というべき存在がいる。それが私の両親かもしれない。
このような親は金払いもよかったりして、一見すると、子どもは甘えているように周囲からとられてしまう。
それがどれだけ苦しいことか。
毒親は周囲と子どもを隔離する。すると、礼儀やしつけ、常識がなってない子どもは学校などでいじめられる。
頑張ってそこを脱しても、周囲に対する警戒心が強くなって、時に不自然な振る舞いをしてしまう。
そうすると、そこに陽キャ・体育会系の中の一部の人間は漬け込んできて、マウンティングをとってくる。
それでますます社会への不信感が強まり、就職できなかったり、仕事が続かなくなったりする。
本当に恐怖のデフレスパイラルだ。
だが、さっさと働きに出て自立しなさいなどという人もいる。もう心がボロボロですぐに働くこともできず、ある程度親に依存するしかないのだ。
当事者からすると、今までひどい目にあった分、お金を取り返したいのだ。
親からお金をむしりとってでも特殊な技能を身に着けて、差別が生じにくいような環境で働こうとする。いわゆる教育虐待などを受けてある程度の学歴がある人間がこのような思考になりやすいのではないかと思う。
このような「サイレント毒親」×「高学歴系アダルトチルドレン」的な属性は、周囲からの理解得られにくい属性だと思う。
よく虐待を受けた子どもが親を思いやる言葉を言うことがあるが、そのグルーミング的な精神状態や真心がわからず、さっさと親と縁を切って努力すべしといい、そのような努力をした、格闘家・タレント・肉体労働系の人間などが称賛され、宣伝されているのが現状ではないか。
3.私が目にした毒親育ちのエリート系教師達
さて、また私の経験談に戻るが、
1回目の教職系大学院を修了するとき、飲み会があった。酔いがまわると、今まで言わなかったようなことを言う人がいた。
「俺は、親からお前は避妊に失敗して生まれた」と言われた人がいた。その人は、彼女以外の女性と〇るのが至高の快楽だと言っていた。
「親からあなたを愛すことができない」と言われた人もいた。その人は、父性を求めていたのか、かなり年上の人と結婚した。私は、歳の差結婚は悪いこととも気持ちが悪いこととも思わないが。
こういう人たちが教師になっていったわけだが、彼らは、苦しみを理解する心情があり、自らの経験を受け止め、他人(私)の経験も受け止めてくれた。彼らはいい教師になったのだろう。
いいところの大学を出ているような人たちにもこのような境遇の人達がいるんだと胸が締め付けられるようだった。
対照的に、2回目に行った研究系大学院では、自分語りをすることが許されない雰囲気があった。正直インクルージブだ、多様性だ、障がい者や外国人に向き合えと言っている人たちに、人間の中身を本当に慮る意志は感じられなかった。あくまでこれらを飯のタネにしようとしているとしか思えなかった。
このようなことは、社会はきれいごとで動いていて、弱い人間を助けてはくれないし、一度どこかで道を踏み外すと、それだけで社会で生きていくのは難しいということを感じさせられた。
本当に笑えてくるのが、私はかなりブラックな飲食店でバイトをしていたのだが、実は厳しいイメージがある、このような一般社会の組織の方が、私の変わったところや苦しみを認めてくれて、私に配慮してくれて、私の得意なところを伸ばしてくれた。
あくまで感想だが。