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エッセイ:地元のスーパーが閉店した話

 数日前、地元の友人から連絡が届いた。

 ○○が閉店したらしいぞと。

 〇〇は地元のスーパーでイオンとかそういう大手の系列ではなく、明治時代から続くお店がスーパーとなって経営されていたお店だった。

 そのお店には、子どもの頃から行っていた。保育園の頃、突然転園してきて、さらに1年で去っていた謎の美少女と手をつないで見学に行ったな。魚の匂いを嗅いだその少女が具合悪くなって私に向かって吐こうとしたのと、店員さんがこの店は明治時代からやってるんだと言ってたのを思い出す。

 あと、そうだ、水槽があって魚が泳いでいた。どじょうとかも生きたまま売られてて、誰が食べるんだよこれ、と思いながら見つめていたな。

 フードコートがあって、おばあちゃんがまだ元気なころは、食べに行ってたな。安くてお袋の味がする中華丼うまかったな。

 高校を退学したとき、高校生が来るのをみて、なんか隔世の観がした。自分も同じ歳なのに、私服を着て何でここにいるんだろうと思ったけ。

 最後に行ったのは年始だっけ。正直思い出せない。

 後で母から聞いた話だと、いつもは別のスーパーに行っている母が突然ふっとそのスーパーに行ったら、臨時休業の張り紙がでていたそうだ。

 世の中は無常というけれど、たったここ20年くらいで地元は大きく変わっている。ここ10年で祖父祖母も亡くなり、知っている人もそれなりに亡くなった。お店はつぶれ、新しくできた店もつぶれ、小さいころからある店も少ない。学校の校舎も取り壊された。

 でも、忌まわしいけど実家と、博物館と神社と市役所さえあれば、そこが故郷だと認識できると自分は思っている。

 私の数年に及ぶ悪あがきも遂に終わり、来年は地元に戻るだろう。その時に再び行けると思っていた〇〇はもうないけれど、ふるさとにやさしく包まれたい。

 「こがらしや あきんどどもが ゆめのあと」

 

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