陽気なおじさん

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最近の記事

AI AF-S 80-200㎜ f/2.8で撮った短い秋

NIKONのAF-Sニッパチズームが出そろったころ、F5にAI AF-S 80-200㎜ f/2.8とテレコンバータTC-14Eを組み合わせて曼殊沙華を撮りに行きました。 このレンズは赤の発色が独特でファインダーを覗いているだけでうれしくなりました。さらに木漏れ日の作るコントラストが花を奇麗にライトアップしてくれてよい思い出です。 このAI AF-S 80-200㎜ f/2.8は、超音波モーターで、フォーカスロックボタンなど機能も充実しているが、いつも持ち歩くというわけにも

    • 初めての祭りショット

      物欲で買ってしまったF5の活躍の場を求めて地元の祭りへ同伴した。お祭りは社会人になってからは縁がなかったが、せっかくのF5で初体験に至った 撮影データが残っていない(正確には残っているのだけど今ではデータを開くアプリがない)のだけど、AF-Sの3本セットしかない頃なのでレンズはそれだと思います。 日差しも強くややコントラストが高めなショットが多いけど、光が作るドラマも感じることができ、いい時間を過ごすことができました。 凛々しい姿や無邪気な笑顔が、その時の空気を感じさせて

      • 初めての海外出張 minilux 思い出7

        もう20年以上も前の話・・・GR-1Sに慣れた頃、ヨーロッパ出張に仕事でアサインされた。 初めての海外出張であり、人生初の海外でもあった。行先はオランダとドイツ。・・・雑誌でしか見たことのない世界に期待は膨らんだ。 とは言え・・・仕事が主題であることは変えられない。ホントはF5を持ち込みたかったが、30人ほどの社員との団体行動で周囲の視線を気にして目立たない(?)カメラにしようかと・・・でもGR-1Sだけでは淋しいのでライカのミニルクスを中古で購入し2台を同伴した。 当時高級

        • コンパクトカメラ GR-1S 思い出6

          カメラと出会った時の父の影響と思うが、カメラは旅行の同伴者として扱っていた。 なので、カメラの出番には、まず旅行が先行する。その場合・・・例えば仕事の出張だったり、好きなスポーツの試合での遠征がほとんどで、「観光」が目的になることは年に一度あるか否か・・・仕事・趣味などに没頭するので、都度F5がお供というわけにはいかない。 2000年頃、仕事で出張が増えてきた。F5は重くて大き過ぎる荷物なので、回を重ねることなく挫折した。そこで田中長徳氏の”押し”であるGR-1Sを購入した。

        AI AF-S 80-200㎜ f/2.8で撮った短い秋

          BRUTUSの「写真はもっと楽しい」

          ブルータスNo.995 を読んだ。 ここで紹介されてる写真家の作品、コメントが楽しめる。 写真家の考える「写真」と、その作品をどんな気持ちで撮っているかは「なるほど〜」と納得する。 それぞれの写真感があって、気持ちに従って作品に仕上がっていると感じる。 西本喜美子氏の「遊び心」は、たった一枚で笑いを取れる力を感じた。発想が異次元で楽しく、肩の力を抜いて写真を楽しみたいと感じさせてくれた。 この中で俳優の中野太賀さんが『携帯やデジタルカメラで、“写真を撮る”という行為が気軽に

          BRUTUSの「写真はもっと楽しい」

          「涼」は撮れたかな

          猛暑が続いている中で、「涼」を求めて霧ヶ峰に行ってきました。 この日も東京は35℃を超える猛暑日、しかし24℃程度でした。「涼」は見えるでしょうか。。。 自然を撮ろうと思う時 広角ズーム、標準ズーム、望遠ズームの3本をリュックに入れて出かけます。今回はAI AF-S Zoom-Nikkor 17-35mm f/2.8D IF-EDがメインになりました。 このレンズはニッパチズームの超音波モーター、EDレンズの先頭を切って発売されましたが、それまでのニコンレンズとは違った色合

          「涼」は撮れたかな

          カメラジャーナルとの出会い

          写真家の田中長徳氏が執筆する『カメラジャーナル』と出会った。当初A4の8ページで、初めはパンフレットのようにも見えたが、しっかりした雑誌であった。 この書誌はカメラやレンズを毎回紹介するが性能云々ではなく、カメラやレンズに対する執筆者の「思い」と「感情」が記され、機材が与えてくれる世界を説明している。 月刊誌のようなテクニカルな話は一切無い。スポンサー(広告収入?)を持たないので、”もち上げ”もなければ、メーカー希望のアピールもない。 紹介するものは新発売が稀にあるが、既存

          カメラジャーナルとの出会い

          TAMRON SP 20-40mm F/2.7-3.5 Aspherical IF

          DC135mm以外では、F5が浮いて見えるほどのチープなレンズしかなかった。チープなレンズ群も望遠寄りで、広角レンズを持っていなかった。それは「写真はアップで撮るほど見栄えがする」と思っていたのと、広角レンズをどう楽しめば良いのかイメージがなく、ほしい写真を作ってくれそうもなかったのが理由。 それでもトライしたい気持ちと、レンズの範囲を拡げたいと言う物欲があった。 ニコンからAF-Sのニッパチズームが発売される噂が雑誌に書かれ始めていたが、待てど暮らせど・・・だった。DC1

          TAMRON SP 20-40mm F/2.7-3.5 Aspherical IF

          AI AF DC-Nikkor135 f/2D

          よく考えるとズームが人気を急上昇させていた当時で単焦点は下火ぎみの頃に、ニコンはズームレンズでは機能面、ズーム幅で他社に遅れをとっており、ラインナップを見ても単焦点の方が光っていた。F5にはカッコ良くあってほしかったので、私にはペンタックス200mm以来で生涯2本目の単焦点レンズになったがDC-Nikkor135 f/2Dを買った。 高かったがディスフォーカスコントロールとレアなレンズは、どちらかと言うと望遠系に人気のニコンらしい。 調整次第でソフトフォーカス的な絵になるこの

          AI AF DC-Nikkor135 f/2D

          フラッグシップ 思い出5

          転職をして懐に余裕ができた頃にF5を買った。これは完全に物欲である。ハイスペックなカメラを持つことに大きな満足感があった。この頃仕事に追われ休みもほとんど取れず自分を見失いそうになりかかっていたかもしれない。ふと目に止まった雑誌のF5が光って見え、ご褒美が欲しかった。 入手して間もなく「こんなハイスペックなカメラを素人がもつものではない」と思い知った。 重く頑丈過ぎるボディは周囲の物を壊し、私のウェストに多数のボディブローを放ち甚大な被害をもたらした。 それでもF5は眺めて

          フラッグシップ 思い出5

          憧れのニコン 思い出4

          二十代後半。スポーツ繋がりの友人が、ある分岐点でドン底に落ちた出来事があった。私はその友人の導きで、その時の自分があると恩を感じていたので「彼のために何かできることはないか!?」と考え、友人の勇姿を記録に残そうと、ピント合わせに自信のない私(?)は流行の「オートフォーカス」のニコンのF70Dを買った。 ニコンは当時”高級ブランド”で他社よりヒト越え高くて躊躇いがあったものの伝説の信頼性にお金をかけた。 ・・・と言ってもF70Dなので当時の私の懐事情がハッキリわかる。勤め先の輸

          憧れのニコン 思い出4

          レンズの差 思い出3

          初めて買ったスーパーAと、サードパーティ製のレンズは、高校生だった私には”記念写真”専用機でしかなかった。 修学旅行への同伴はスーパーAとの関係を考えさせられたできごとだった。こんなにカッコいいカメラがありながらスゴイ写真は撮れないものかと。。。。 長いレンズを使うと「きれい」と思える写真が撮れそうだと知ったのは更に半年後。ペンタックスの200mm/f4のレンズを買った。中には「コレだ」と感じるショットが稀に撮れたものの、確率は低かった。ほとんどはピンボケ・手ブレが酷すぎて

          レンズの差 思い出3

          初めて買ったカメラ 思い出2

          高校生の頃、友人に誘われて始めた時給¥600の週末のアルバイトで貯めた貯金を使ってペンタックスのスーパーAを買った。 アルバイトは「働く」に興味があり、それで大人に近づけ、次のフェーズに進めると思ったからでお金が欲しかったわけではなかった。親は勉強優先とウルサかったし、部活の剣道にも夢中になっていたので練習のない週末限定で社会体験のような感覚だった。 なので、たいした額ではないが、もらった給料はタンス預金になっていた。 スーパーAは比較的安価でAEなど多機能であったことが決

          初めて買ったカメラ 思い出2

          東京マラソン 2024

          選手は、それぞれの思いをもって前進されていました。ガンバレ! AI AF DC135mm/F2と東京マラソンの応援に行きました。解放付近で撮るとこんな感じです

          東京マラソン 2024

          カメラとの出会 思い出1

          それは小学校の頃、銀行員だった父がカメラを買って帰ってきた日だった。父が買ったのはペンタックスのSPOTMATIC F ブラックボディ。 当時カメラは高級品で、ましてや日本製の一眼レフは職業で使う物でなければ、お金持ちの証のような存在。 兵庫県西宮市にある社宅に住んでいたが、ペンタックスの最初の被写体は「家族写真」であった。父は新調したペンタックスに満遍の笑みを、母はやや呆れてはいたがお化粧をなおして営業的笑みを作り、兄は長男らしくキリッとした顔をしていた。私はと言うと〝あ然

          カメラとの出会 思い出1