合わせ鏡 #127
子どもの気になる姿が目についたときに、よくよく考えると、思考パターン・行動パターンが自分と一緒だということに気づくことがよくある。
カエルの子はカエル。
「そうか、私だって同じだ」ということに気づくと、何かを無理強いしても意味がないことに気づく。
「友達とうまく遊べていなさそうな姿」に対して「どんどん友達と遊ぶように」と、声かけをしたり、行く気もないキャンプに送ろうとしても、本人が居心地ばかり悪くて楽しめないのは明らかだ。
とりあえず、放り込んじゃえば、うまくいくパターンもあるだろうけれど、本人の意思を無視した環境を与えるのは、かなりの賭けだと思う。
人間関係は合わせ鏡のようだと言われる。
親子や夫婦はもちろん、職場でも、友達でも同じことがおきる。
「あの人は、挨拶をしない。」と怒っている当本人が、挨拶をせずにいつの間にかいなくなっている、なんてこともよくある。
人間の脳は、意識したものしか見ないそうだ。
これは、自分の心の状態や考えていることが相手に「投影」されているに過ぎないということなのだそうだ。
つまり自分の中の、潜在的な見たくない自分が相手に映し出されているということ。
よくないところばかりが目につくのならば、実は自分も同じ行動をとっていないかを自問する必要がある。
そのうえで、「では、私はどうすべきか?」と自分の行動や言動を見直すきっかけにするのがいい。
誰かの良いところに着目出来たら、もう私もそこに近づきはじめているということ。
「環境が大事」「コミュニティを選べ」などとよくいわれるけれど、つまり、よいところに着目する機会、目指すべき姿を具体的にイメージする機会が増えると、上昇気流にのりやすい、ということなのかなと思う。
大きな声では言えないが、今の私は、「すごい!」と思う人に出会うと、無意識のうちに荒探しをしてしまう残念な癖がある。
その人の主義主張に対して、「いや、それは違うんじゃない?」なんて心のなかで突っ込んでみたり、「こういうところはイケてない」「センスがない」だなんて自分のことを棚に上げて、欠点に着目する。(そしてそれもやっぱり合わせ鏡)
欠点を知って安心したいのだろうか。とにかく我ながら残念な思考習慣だ。
そんなことが自然と頭に浮かんでしまう自分に自己嫌悪を覚える。
まだまだ、私の自己肯定感のコップは空き容量がたっぷりあるということなのだろう。
無意識の思考のクセを意識的になくすのは難しい。
でも、意識的に良いところばかりに注目して、それを合わせ鏡で自分に投影し続けられたら、理想の自分に近づき、自己肯定感も満たされ、自信がついて、、、気がついたら人の荒さがしなんてしょうもないことをしなくなる。
そんなシナリオがイメージできた。
後はそこに寄せていくだけ。
そう、いいところだけに着目する。
いやいや、現実にはそうはいかないことのほうが多い、注意しないとあかんときもある、なんて突っ込みどころもあるだろうけれど、そういう時は、単にやり方を知らないか、間違っているだけだと考える。
そういう問題ではなく、注目すべきところ、自分に投影させるものを「よいところ」だけにする。
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