量を質にかえるために必要なこと#146
量質転化と言う言葉がある。
仕事や学習の「量」を重ねると「質」にかわる。
質よりまず、とにかく量をこなす。
それが最終的には「質」につながる。
これまでの人生、それなりに量を重ねることで「できる」ようになったことは多い。
ずっと水泳を習っていたから泳げるようになったし、勉強を続けてきたから進学したり、資格をとったりしてきた。
量質転化は確かにそうだと実感としてもあるのだけれど、その言葉だけをとらえるとツッコミどころも多い。
同じことを繰り返すだけで成長していない人いるやん
確かにそうだけど、時間かかりすぎやん。
私もまさにそうだった。
私が最初に専門職として仕事をしたのは「栄養士」だ。
料理が得意なわけでもなく、レシピを作るのが好きなわけでもなく、栄養に関心があるわけでもなく、なんとなく雰囲気で選んで、なんとなく病院で働くことがステイタス、みたいな感覚しか持ち合わせていなかったのだから、常に「なんちゃって栄養士」だった。
いつまでたっても「なんちゃって」な自分が嫌で、とりあえずホンモノの栄養士になりたくて、スキルアップのための研修によく出かけていた。
最初の勤務先の病院は、給食を作って、栄養指導をしてくれたらそれでいい、ほとんど栄養に関心がない田舎の病院だった。
「このままではダメだ」
自分を成長させてくれるかもしれないセミナーに通い、自分を成長させてくれるかもしれない仕事に取組んだ。
誰かから勧められた、チラシをみていいなとアンテナがたったセミナーに申し込み、学びにいくところでまでで満足してしまっていた。
学びに行くことが主目的になっていた。
一見、主体的に動いているつもりで、常に受身で言われたことしかできない人間だった。
学んだところで、それを実践する環境が職場には整っていなかったし、環境を整えるために私が第一歩を踏み出そうという考えは残念ながら全くおきなかった。
自分を変えてくれる、成長させてくれるかもしれない環境に依存しすぎていたのだと思う。
その後、恩師の紹介で栄養治療を積極的にしている大学病院に転職し、そこでひたすら症例と向き合った。電子カルテの患者情報や検査値を読み込んで病床に出向き、患者さんの話をきいて栄養管理計画をたてたり、栄養相談や栄養教育を行う毎日。
栄養指導は学んだことをアウトプットする場だったから、どのように伝えたらわかりやすいか?相手の行動変容につながるか?
そうやって考えて、学んで、工夫して、その繰り返しで、自分の知識の引き出しが充実し、必要な時に必要な情報を取り出せるようになった。
たんぱく質と炭水化物の違いをいまいち理解していなかった私も、さすがに一通りのことがわかるようになっていた。
『あ、今なら「栄養士です」って胸をはって言えるかも。』
そう思えるまで、10年ほどかかった。
仕方なかったとも思うけれど、40歳を過ぎた私が今から同じだけの時間をつかって何かをしようとするのは違うかな、と思う。
明確なゴールがあると、そこにむかうための目標をたてて動くことができる。当時の私にはそれがなかった。
自分のゴールがわからないから、目の前のタスクをこなすことしかできない。
ぼんやりとしたイメージの「ホンモノ」にむかって、カメのスピードでも毎日やっていれば、もちろん進むけれど、ゴールがわからなければ、前進しているのかわからないし、後退している可能性だってある。
それになによりも時間は無限ではない。
受験勉強のように期限があると、そこに照準をあてられる。
カメのスピードだと受験の日には間に合わない。
(だからゆっくりさんは特に早くスタートしないと時間切れになる)
「時間」を意識し、スピード感を持つこと。
「なんのためにやっているか(ゴール)」を意識し、自ら動くこと。
「失敗」を歓迎する。完璧にしようとせず、とりあえずやってから工夫していくこと。
要領よく見える、何をやってもうまくいく人は、その部分が目立っているだけで、うまくいくまでやり続けているだけのこと。
「量」は反復による鍛錬はもちろんだが、たくさんの失敗を通して考え工夫すること。