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地獄からの生還で得たモノ③

それは
凄まじいモノであった。が
この飽く事のない集中力の継続力...

それは
元来の自身に宿っている性質である事に
気が付いた。

私はADDである。
普段は落ち着きないが
1度興味へ傾いたら
恐ろしい集中力が湧き上がる。

覚せい剤とは
私が元来持つ性質を
瞬間的に呼び覚ますモノだった。

恐ろしいまでの異常性欲は
元来持っている。
恐ろしいまでの集中力は
元来持っている。
しかし
それをホメオスタシスにする事が出来なかった
それ故に
苦しみのたうちまわっていた。

2008年という年は
覚せい剤の研究をした年であり
それにより
生と死の境界線を
3日半彷徨う事になった
人間では
生きては帰る事が出来ないであろう
灼熱地獄であった事実を
誰よりも私は知っている。

1月〜10月末日まで
甘い煙を吸収し続けた。

10月31日
秋葉原に住んでいた私は
朦朧とした意識の最中
新幹線で故郷の大阪へ戻っていた。
感覚的には
ほぼ夢に近い状態であり
現実乖離したデジャヴ感に見舞われる様な
状態だった。

私は新幹線に乗車する直前に
母親に電話をしていた様だ。
当時の事を母親に聞くと
「俺、自分が何の為に生まれてきたか
 分かったわ。
 俺は人生3回目で
 今回が最後の人生やねん。
 やから
 やらなあかんねん。
 俺は無謀な選択をしてん。
 けど
 俺はいけるねん。
 危ないけど
 やったるねん。
 行ってくるわ。」
まぁこんな感じの事を言っていたそうだ。
(私は全く記憶に無い)

新大阪に着き
当時の仕事の同僚の家へと
タクシーへ向かったのは
覚えている。

そして
タクシーの車内で
リバーブがかった男の声が脳に響いた。

「なんで助けてくれなかったんですか」

私はその声を聞いた瞬間
身体が燃え盛る様に熱くなり
叫び声をあげながら
全ての衣類を脱いだのを覚えている。

そして
気づいたら
ICUのベッドの上で
身体を拘束されており
鼻に酸素吸入チューブが装着されていた。
それと同時に
恐ろしく息苦しくて
今すぐにでも酸欠で死にそうな状態だ。
心電図の数値は明瞭に覚えている。

血圧上:285
心拍数:233

この値がずーっと続いている。
医療関係者なら分かると思うが
私はこの数値のまま
3日半過ごしたのだ。というより
生き抜いたのだ。

魔の悪い事に
運び込まれたのが
金曜日の午後3時ごろであり
翌週の月曜日は
祝日という
最悪のタイミングだった。

医者が言った言葉を覚えている。

「8割、覚悟して下さい」

私は完全に狂乱状態だった為
今振り返れば
まともだったと思われる医者が
私に問いかけてきた。

「大丈夫ですか?
 私達で出来ることはさせて頂きます。」

と言ってくれていたのだが私は

「お前らの力なんか借りんでも
 生きて証明したるわボケが!」

と言ったのをよく覚えている。

医者は私の目をずっと見つめた。
真剣な眼差しだった。
私は狂乱状態だったので
ただただ凄まじい憎悪に支配されていた為
助けてくれる医者を
強烈に10秒位睨み付けた。
医者は

「わかりました」

そう言って部屋から出て行った。

その後は..........

地獄が待っていた。

とにかく息が出来ない

そして焦ると更に苦しくなる

そんな刹那の瞬間を冷静でいなければ

死ぬよりも恐ろしい苦しみゾーンに突入する

これを

絶対絶命というのだろう

これがいつ治るのか分からない

永遠にこの地獄が続くのか!と想像したら

恐ろし過ぎて更なるパニックを巻き起こす

もう1時間は過ぎたかと必死に時計を見る

10分しか経っていなかった

それに更なる絶対絶命感が拍車をかけて

更なる地獄に陥る

体感時間で24時間経過した辺り所謂

現実経過時間の4時間だ

私は限界を超えていた

限界を超えてから

死ぬ事の困難さに気がついた

色々と死んで行った人々が記憶に現れた

「苦しかったやろうな」と

何度心の中で供養の念を唱えたか分からない

24時間✖️6=144時間(体感時間)→現実の1日

私は3日半この地獄を耐え抜いたので

体感時間で約3週間だ

3日半飲まず食わずで点滴も投薬も無し

精神力だけで耐え抜いた

現実時間で3日程経過した頃

私はもう身体を動かす力も無ければ

目を開ける力も残っていなかった

そんなとき

僅かな下痢が出た、その瞬間

排泄物でさえも

貴重な栄養源であった事に気づいた

下痢が出た瞬間


もはやこれまで


そう確信した。

その時

看護婦が巡回に来ていた事に気がついた

私は身体中のエネルギーを集結させて

何とか瞼を開いた

看護婦の顔は

涙を堪える為にキリッとした眼光を貫いていたのがすぐに理解できた。

あ〜俺は死ぬんか

そう心の中で呟いている瞬間も

もちろん地獄の呼吸困難は継続中だ

その直後に母親が来た

私は前々から
自身が先に死ぬ事があるならば
母親の事を
おかあさんと呼んだことは1度もなかったが
その日が来れば
おかあさん、ありがとう。
と言おうと決めていた。

とうとうその日が来た

最後のエネルギーを全集中させて
頭を左側に向けて

「おかあさん、ありがとう。」

と言った。

感覚的には悲しくて仕方なくて
涙が溢れる感覚であるのに
物理的に
表情筋を動かす力も残っていないし
涙を流す水分も残されてはいない

その時は
火曜日の午前9時ごろだったんだろう

医者が巡回にきて

「おはようございます!」

と清々しい声で挨拶をしていた。その時

私の方を振り向いたのであろう

医者は大声を張り上げた

「この人生きてるぞー!!
 早くしろ!早くしろ!!」

注射を打たれたのか
痛みは全く感じなかったが
腕に細長い異物が入ったのが分かった
その瞬間に
私は意識が無くなった。


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