小2、年長と沖縄県平和祈念資料館を訪れて
ちきりんさんのブログを見て、沖縄旅行中こちらに寄ることを決めました。
沖縄県平和祈念資料館を訪れて、感じた事は、いかに日本人が沖縄のひとの思いを踏みにじってきたか。
その前にどのような場所だったか説明します。
無料開放されている1階部分には、子供たちの興味を惹くような可愛いキャラクターなどがあり、子供向けのゾーンとなっていました。
そして、300円のチケットを購入して2階に上がると、全く違う世界が広がっていました。
照明も暗く、沖縄の歴史を文字で追って行くところから、日本人であり、大人向けの展示であるとすぐにわかりました。
ちなみに子供達はこの雰囲気だけで怖くなって逃げ出してしまい、子供たちは公園へ夫が連れていき、別行動します。
(またいつか、一緒に訪れたいですが、リトルマーメイドの悪役も怖くて見られない我が子には早かった。)
明治政府は、もともと琉球王国として独立していたところに突然を沖縄藩にして琉球処分を行った。
さらに、第二次世界性では、アメリカとの戦争の舞台として、本土に攻め込まれることを1日でも遅らせるために沖縄の人を見捨てた。
そして、沖縄返還の際に、米軍基地を残し、縮小することなく、自衛隊の駐屯地も作った。
今でも、沖縄の海を埋め立てて米軍基地を拡大しようとする。
改めてこの歴史の中で踏み躙られてきた沖縄の方々の心を感じたからこそ、基地問題に簡単には納得できないということが感じられました。
1番印象深かったのは第4展示室でした。
こちらで私が目にしたのは、アメリカへの恐怖より、守ってくれるはずの日本兵への恐怖。
天皇陛下は日本国民を守りたかった。
でもその天皇陛下を守るために日本兵が日本国民を殺し続けた。
この展示を見た後、再度、玉音放送を聞き直しました。
涙が止まらなかった。
きっと展示室を見た後のこの景色を忘れない。
資料館に続く平和の礎(いしじ)には25万人もの人の名前を刻むことができる刻銘碑がある。
刻まれた人の名前を見ていると、いかに沖縄の人を犠牲にしてしまったかを2次元ではなく、現実として強く感じざるおえなかった。
簡単に沖縄の基地を縮小するべきだとか、事故の多いオスプレイを稼働させていいのか、簡単に私が考えられる問題ではないが、沖縄で見た感覚(基地の多さや近さ、そこから来る安全への不安)を忘れずに生きていこうと思う。
終戦記念日に、いつも被害者の気持ちになって、原爆で亡くなった人たちに黙祷を捧げていたが、それ以外にもたくさんの名もない方たちがこの戦争で亡くなった。その方々にも改めて黙祷を捧げるとともに、加害者である日本人としての戦争の歴史も学ばなければと決意新たにした。
改めてブログを読み直していると素敵なまとめを見つけたので添付させていただきます。
ちきりんさんのおかげで日本人として大切なことを学ばせていただきました。
ありがとうございました。