課金する前にこれを見よ(自分へ戒め用)
最近はやりの本に「三千円の使い方」という本がある。それではないが、三千円をガチャの課金に使ってはいけないと思った。そのときの気持ちを忘れないためにこれを記す。
きっかけはたくさんあった。課金したら効率がよくなる(気がする)と思っていたこと。なんとなく無課金での限界(おそろしく時間を貢ぐ必要があること)が見えてきたこと。たまたま同じゲームをやっていた方が微課金していたこと。Googleplayのポイントが倍増する期間だったこと(個人的にはこれが大きい。Googleplayを通して課金すればするほど、ランクが上がってサービスを受けられるようになるのだ。冷静に考えれば、全然サービス使ったことないけど)
考え出せばキリがない。後悔先に立たずという言葉があるが(私はこの言葉を見るたびに初代プリキュアの黒い方の子が「後悔」を「あとうめ」と読んだことを思い出す。なぜかこのシーンだけ今でも覚えている。キャラの名前も覚えていないのに。というかまともにほとんど見ていないのに)まさにそのとおりだ。何度も同じような後悔を人生でしている気がする。
思えば無課金で遊んでいたころは楽しかった。あのときは課金すれば、強くなるだろうな、という漠然とした夢想があって、その中で遊んでいることができた。いや、そういう風に考えれば、今課金して後悔することによって、幻想が壊されたことを幸運に思うべきかもしれない。ただ漫然と課金すればどうにかなるのではないか、という浅はかな期待や金銭感覚の欠如、社会人になっても数千単位での損失を本気で後悔するみみっちさ(そのわりに対して節約や投資など増やす努力はしない)、自分の嫌なところを見せつけられたような気がする。この金額でおいしいものでも食べたほうがよほど満足感は高かったのではないか。なぜこんなお金の使い方をしてまったのか。
金を使うこと自体は問題ない。私が使ったお金で、私が判断したことだ。ガチャが渋かったことも問題ではない(爆死といえないのが、本当になんともいえない)
問題は自分の中で優先順位が高くない行為にお金を使ってしまったことだ。冷静に考えて課金するゲームではないと公言していたではないか。本を買ったり、友達との遊びに使ったりする方がよほどよかった。いやそもそも後悔する時間が無駄だ。人生の満足感を下げている。お金を損してさらに時間と気持ちも損しているのだから本当に救いがない。
いや、本当に一番嫌なことは課金したことでゲームの楽しさが削がれたことだ。課金をしたのだから、やらなけれなイケナイという不純物を自分から入れてしまった。ただ、無料でゲームできるだけよかったはずなのに、ちょこちょこスキマ時間のメリハリにできればいいはずだったのに。くぅ~、悔やまれる。
まぁ、仕方がない。自分でも書いたが、後悔は先に立たないのだ。
課金したい、と思い課金して、結果後悔したのは学びを得たともいえる。また、これをきっかけにソーシャルゲームとの向き合い方を考えるきっかけにもなった。ぶっちゃけサービスがいつかは終了するゲームなのだから、そのときに恨みを残すような付き合い方をしてはいけない。これは人間関係でも一緒だ。
お金の付き合い方もそうだ。お金を使うことはまったく悪くない。むしろ自分への投資などは積極的に行っていきたいし、自分が欲しい、したい、と思う気持ちを満たすことは大切だ。決断することと熟考することの間をとることが大切だと思う。
ソシャゲに限らず、無理をせずに楽しむことが大切だ。課金して強くなったり、ランキングで上位に入ることだけがゲームではない。
ゲーム時間を楽しめるように無理なくプレイすることを心掛けていきたい。