『病が変えた美と歴史』の感想 肺結核がファッションや女性の役割にもたらした影響
私は「病」という言葉に惹かれるのでこの本を手に取った。
(どうして「病」に惹かれるんだろう・・・)
同時に生とか死とかそういう厨二っぽいテーマも好き。これも理由は分からないけど多分「恐れ」があるから知りたいと思うんだろうなぁ。と今は考えてる。そんな「恐れ多い」テーマに好きなファッションという要素が加わった本なんて、読むしかないじゃん!ということで読んでみたわけです(;^ω^)
この本、タイトルにあるように「肺病」(肺結核)がファッションに及ぼした影響についてかいてあります。
18世紀(1700年代)から19世紀(1800年代)のヨーロッパに焦点が置かれてます。
この頃はまだ医学が発達していなくて肺結核が不治の病でした。なぜ不治かというと原因が分からないからです。原因が分からないから現代から見ると検討外れの所に原因と思われるものを見出すんですよね。たとえば、労働者階級に蔓延る肺病の原因は姦淫、アルコールなどの「悪徳」が原因とされ、上流、中流階級の肺病に関しては「繊細な感受性」というなんとも曖昧なことに原因を求めていました。(それでも当時の医者たちにとってはこれが最善の答えだったし、200年後の人が現代の医学を見たら同じような感覚を抱くのだと思うけれど)
今サラっと流したけれど、なんと当時は階級によって同じ病気でも別のものに原因を求めていたんですね(Σ(・□・;)
現代で例えると年収○○万円以下のグループがコロナに罹る原因は自制心がないからだ~とか、高所得者がコロナに罹る原因は頭が良すぎるからだ~とか、そういう信じられないことが言われてたんですね。
原因が分からないというのはそのくらい怖いことなんだと改めて感じました。
ちなみに労働者階級の肺病罹患の原因には不衛生な生活環境というのもありました。これは確かにそうですよね。密集した不衛生な場所で長時間労働を強いられれば、そりゃあ肺病も蔓延ります。
そこで疑問に上がったのが、そういった環境にいない上流階級が肺病に罹るのはなぜ??という疑問です。
当時の人々はこのことを説明するために「遺伝」と「体質」という言葉を使いました。つまり、肺病にかかりやすい遺伝的体質を持って生まれた人とそうでない人がいるから家族内でも必ず接触伝染するわけではない。ということです。うーん、確かにこれなら説明できなくはないですよね・・・
実際は結核菌を保有していても免疫力が働いて発病しなかったり、発病までに時間がかかったりしていたのが原因なのですが、結核菌の存在が確かめられていない以上遺伝病と解釈したくなる気持ちもわかります。
さあ、ここからがややこしくなります!
結核が遺伝病とされるとそこにはどんな気質のものが肺病に罹りやすいのかという「解釈」が色々に加わってきます・・・
肺病にかかりやすい気質①→天才
これは当時の医学で神経の敏感さが肺病への罹患しやすさへと結びつけられていたことと関連します。
神経が敏感→感性が鋭い→天才(!?)
ということです。え!?という感じです。こういった風潮の中で才能ある芸術家が肺病に罹ったことが大きく取り上げられ、さらに天才の病気というイメージが広がったのでしょう。また、敏感性が強いことと関連して心とも結びつけられていたようです。ある詩人が自分の作品を雑誌で酷評されたことで気を病んで肺病に罹ってしまったというようなエピソードです。
肺病にかかりやすい気質②→美しい女性
当時、女性は男性よりも敏感性が高いとされており、それ故肺病に罹りやすいとされていました。また、肺病に罹ると次のような症状が現れました。
・肌が白くなる
・頬がばら色に染まる(消耗熱)
・体が細くなる
・首が長くなる(?)
・瞳孔が広がる
・葉が白くなる
・静脈が浮き出る
・肩甲骨が浮き出る
これらの症状が女性を美しく見せた事から、肺病に罹ると美しくなる→美しい女性が肺病になるといったように原因と結果がいつの間にか反転していたようです。したがって、美しくない女性が肺病に罹ってもその疾患が肺病とみなされないということや、「あの人は器量があまり良くないから肺病に罹らないだろう」といった何とも失礼な(?)ことが言われていたそうです。びっくりです。
このような風潮の中で、健康で「美しくない」女性が肺病患者の様な外見になることを望んで化粧やドレスが変わってきました。
例えば顔を白く見せるファンデやバラ色の頬を再現するチーク、わざと静脈を描いてみたり瞳孔を広げる怪しい薬を使ってみたりといったことが行われていたそうで。また、ドレスに関しても繊細でか弱い女性を演出するために白い生地のスケスケなドレスを着たり、肩甲骨を強調する背中の空いたドレスを着たりしていたそうです。こういった風潮や19世紀半ばごろまで続いたそうです。
死を纏うということ・「守られたい」という欲求
私はこんな感じで本書を理解しました。驚くことも多いですが、これって現在のファッションの本質と変わらないんじゃないかと思うんです。
ファッションの根本には他人からどう見られたいか、という他者の視線があると思います。その視線を意識して私たちはメイクをしたり服を選んだりしますよね。
美白化粧品が盛んに宣伝されているのは「色白の女性は美しい」という価値観に沿う外見を得たい人が多いということだし、目を大きく見せるメイクもそうです。(最近はアフリカ系やアジア系の美しさも認められつつありますが)
肌の色が白いことは繊細なイメージを与えると思います。家の中で静かに過ごすことで日にあたらなければ必然的に白くなり、そういった「内に閉じこもった」イメージが肌の白さにはあると思います。つまり肌の色を白くすることで「内にこもった」繊細で活発でない印象を与えたいという心理が少なからずあるのではないかということです。これは肺病時代から続く名残のようにも感じます。
(某人気子供向けアニメで褐色肌のキャラクターが登場し話題になったことが記憶に新しいです。しかし彼女以降に褐色肌のキャラは登場していません(2023現在)。不人気だったのでしょう。どのキャラクターも色白で目が大きい子ばかりです。)
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肺病に関わらず病気になれば不活発になり日に当たらなくなることで肌が白くなります。肌の白さが孕む「病」のイメージをまとうことでか弱く繊細な印象を他者に与えることによって他者から「守られたい」という欲求が私には見えます。美しさの根源には病があり、病は死に近い存在とも言うことができます。つまり現代の私たちにも死の影をチラつかせるような美しさを理解する土壌があるのではないか?と感じます。
私の好きなバンドの歌の歌詞に「可愛くないと愛されないの」という歌詞があります。すごく本質をついていて好きなのですが、私たちが外見を気にするのは集団生活の中で他者から守ってもらい生きやすくするため、もっと直接的に言うと子孫を残しやすくするためなのではないかと思います。そのためには死のイメージを纏うことも厭わない。死を孕んだ美しさの中には生への欲求があるのかもしれませんね。