取り残されたまま(自分語り)
ちょうど二年前、走ることが周りよりちょっと得意だった私は夏休みから陸上クラブに通うことになった。でも、好きで通っていたというわけじゃない。むしろ逆。
初回体験でもみんなが真正面からライバルに勝とうとするThe熱血!!みたいなピリピリした空気が滲み出ていた。その空気はそもそも競うことが苦手だった私には重すぎるところもあったけれど、これも社会に馴染むための第一歩だと考えたら苦痛ではなかった。元々運動も好きな方だったし。
さて、ちんちくりんの熱血陸上クラブに見合わない私だが、ここで初めて友達ができた(名前を出すのもなんだか気が引けたので、仮にAちゃんとおこう)。Aちゃんは一発でヨーロッパ圏から来たとわかるような彫りの深い、端正な顔立ちをしていた子だった。1年前にイギリスの方から来たと言っていたが、1年でこんなに異国語を流暢に喋れるものなのかと圧巻された。毎回『スパイクが少しきつい』だとか、『コンビニの新作が美味しい』とか、そんな日常にありふれた在り来りな会話をした。それが思いのほか楽しくて、ちょっと前までの陸上への意気込みなんたらを忘れて、Aちゃんとの会話に夢中になった。
そんなあるとき、Aちゃんが前触れもなく陸上クラブに来なくなった。そして、初めてAちゃんのいない陸上クラブに行った。いつものAちゃんからの連絡が来なくって遅刻したせいでコーチに怒られた。
君、どうして遅れたの、あぁ、家の事情?そういうの先に連絡して欲しかったな。次から気をつけてね。
―ハイ、スミマセン。
Aちゃんのいない陸上クラブは、不安だらけだった。毎回一緒だったから。考えれば考えるほど虚しくなって、心に穴がぽっかりできた気がした。陸上ももういいかも、何度も頭をよぎった。その後も、頭の上に浮かんだこれでいいのかという疑問を抱えながらも、なんとなく陸上を続ける日々が続いた。
そんなこんなで陸上クラブ歴も四ヶ月五ヶ月と経って、春。ワクワククラス替えの時期である。だが、これがまた最悪だった。クラスメイトはよってたかって新任の国語教師をいじめるし、とにかく騒ぎたい!ヤンチャしたい!という思いを抱えたお方が多く集まったクラスであった。なぜこんなクラスに陰湿オーラを放っている自分が投げ込まれたのかもさっぱりわからないが、とにかくクラスが気に食わなかった。それが態度にうっかり出てしまっていたのかクラスメイトに軽く無視されるようになった。こっちを見てヒソヒソ笑われるようになった。それだけで心が潰されそうだった。悲しくて辛くて気持ち悪くて憎くてたまらなかった。
こっちの気も知らないで大声で笑う猿みたいなクラスメイトも、それを作り笑いで誤魔化す国語教師も、気づいているのに助けてくれない隣のクラスの友達も、全部、全部嫌い。嫌い。嫌い。憎い。憎い。憎い。バケモノクラス。バケモノ先生。バケモノ友達。バケモノ学校。こんなところにいたら、死んでしまう。
その時から、自分の状態が悪くなった。陸上のことなんか、今のすっからかんの脳みそには入ってこなかった。朦朧とする意識で生死を彷徨っていた朝。布団が私の殻だった。ずっと、ずっと殻にこもった。殻の向こうから、お父さんの心配する声が聞こえてくる。
ごめんなさいお父さん、私普通じゃない、なにもかも、やっぱり頭がおかしいみたい
殻ごもりして何週間かたったある日、なぜだか外が恋しくなった。特に森の方へ行きたくなった。木がさわさわと揺れる音に耳を傾けたかった。早く行きたいという気持ちが勝ったのか、自然と殻を出ていた。顔を洗って、化粧をした。久々に見る自分の顔は見てられないようなものだったけれど、これで幾分かましになった。髪もちゃんと梳かして、一つに結って外へ出た。太陽はじりじりと私の体を焼いてゆく。久々に歩いたからか、まっすぐに歩けない。ゆっくり歩いていく。
あ。
しばらく歩いたときに、見えるは公立の中学校。グッと現実へ無理矢理引き戻されたような感覚があった。あの中学ではきっと、毎日授業を朝から受けに来ている子が沢山いる。毎日友達や、授業や先生から刺激を受けて、毎日少しずつ成長してゆく。一方私は、何もしないで布団に潜って一日を越す。停滞したまま、むしろ退化しているかもしれない。そんなのわかっていたはずだったのに、すごく怖かった。私、こんなときに何やってるんだろう。劣等感にもみ消されてしまいそうだ。考えてみれば、陸上もそうだった。みんな出来る動きが私だけ出来なかったり、みんなと比べてタイムも遅かった。私と同じタイムだった子もいたけれど、そういう子はいつの間にか私を抜かしている。
ひょっとして、私が一番の化け物なのでは?
急にめまいがして、地べたに座り込んだ。ふらふらの脳みそに浮かんだのは、会話に夢中になっているふたり。ふと会話が途切れたと思ったらまた会話を始めた、私。相槌を優しく打ってくれるAちゃん。そしてやがてそれは、笑い声になってゆく。
私はずっとあの夏に取り残されたまま。
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