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駿府の春は

朝10時、マンションの出窓から暖かい日差しが入ってくる。そこから見える景色は、見本のような鮮やかな空色の青空と、これぞ日本一だと言わんばかりに胸を張った富士の山。

文庫本をジーンズのポケットに押し込みスニーカーを履く。
そう、今日は何をしてもいいし、何もしなくてもいい散歩から始まる日曜日。
そばの浅間神社の大きな楼門をくぐり、たくさんの参拝者に紛れて桜を眺める。
浅間通り沿いの商店を覗きながらのんびり歩く。
店先の古びたテーブルでは、静岡おでんがちょい喰いできる。

そんな昭和風情に気をよくしながら、一の鳥居を抜け駿府城公園に向かう。
お堀の鯉は、水面の花びらに興味を示すことなく泳いでいる。

駿府城公園では陶器市が開催されていた。若いカップルや、子犬を連れた老夫婦が品定めをしている。青磁の器は料理が映えるよな、などと思いながら文庫本を取り出し暫し読書にふける。

この日は、カレル・チャペック「園芸家12ヶ月」。
1年中、心休まらないアマチュア園芸家の庭造りの日々をユーモアたっぷりに描いたエッセイだ。

『いったい何のために園芸家は背なかを持っているのか?ときどきからだを起こして、「背なかが痛い!」とためいきをつくためとしか思われない。』

そうそう、確かに。

ぬり絵をしたくなるような味のあるイラストは、カレルの兄ヨゼフのもの。

さて、そろそろ小腹が減る時間だ。何をしてもいいし、何もしなくてもいい日曜日にすべきは、蕎麦屋の昼酒である。

鷹匠の「つむらや」か、ちょっと足を伸ばして音羽の「くろ麦」か。
つむらやの日本酒のラインアップは魅力的だが、今日は是非とも、くろ麦の花巻で〆としたい。

カレル・チャペックを相手に、まずは瓶ビールと板わさをいただく。生わさびが板わさを引き立て、板わさがビールをさらに美味しくしてくれる。

余談だが、カレル・チャペックの愛犬の名は「ダーシェンカ」といい、「ダーシェンカ」という名を付けた飼い主はカレル・チャペックの愛読者である。

次は藤枝の特別純米「初亀」、アテは引き続き板わさをつまみながら「天種」を追加する。
我ながら流れるような素晴らしいセグメントだ。

「初亀」とは、初日のように光り輝き、亀のように末永く栄える事を願い命名されたとのことである。

この頃には、目ぶくろがほのかに紅く火照ってくる。隣のカレル・チャペックとは会話することもなく、置き物の様に静かに閉じられている。

どうして昼酒はこうも早く気持ちよくさせてくれるのか。

体内に入ったアルコールを分解する酵素があり、この酵素がお酒が強い人、弱い人を決めるらしい。
酵素が体内でたくさん分泌されている夜の時間帯は酔いにくく、少ない昼間の時間帯は酔いやすいらしい。
人間の端くれのボクも、昼間は酵素の分泌量が少ないのだろう。

お店も混み始め、おっさんひとりがちびちび、うだうだしても迷惑である。
〆の花巻をお願いしよう。

「花巻」とは、上品な旬の海苔を浮かし、香りを楽しむ粋な種物である。

鼻腔に磯の香りを残したまま散歩の帰路につく。まだ昼を過ぎたばかりだ。

昼寝から目覚めたら「ハニーローストピーナッツ」で春菊と松の実のサラダとギネスの1パイントを頂こう。

これこそがボクの駿府の春のフルコースだ。


*つむらや:残念ながら2017年に閉店しました。
*カレル・チャペック:チェコの作家、園芸家。ロボットという言葉を作ったと言われている。
*天種:天ぷら。
*種物:関東でかけそばやかけうどんに、てんぷら、卵、油揚げなどの具をのせたもの。

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