もとき

「もとき」、「まほろ成吾(ユニット)」のペンネームでKindle出版しています。 憂ふるものは、冨貴にして愁い、楽しむものは、貧にして楽しむ。 公共政策修士(専門職)、社会活動家 表現家

もとき

「もとき」、「まほろ成吾(ユニット)」のペンネームでKindle出版しています。 憂ふるものは、冨貴にして愁い、楽しむものは、貧にして楽しむ。 公共政策修士(専門職)、社会活動家 表現家

最近の記事

いくらなんでも

4月は新学期の始まり、ピカピカの1年生が生まれたての大きなランドセルを背負っている。ようやく身体に馴染んだランドセルは新2年生だ。 くす玉から飛び出したように桜が舞い、みんな新しい出会いにワクワク胸を弾ませてスキップしている。 眩しく微笑ましい光景に手を振って応援したくなる。 そんな輝かしさの陰には、勉強机の上で憂鬱な気持ちの主人を待っているランドセルもある。 新学期の朝、特に理由があるわけでもないけれど身体にチカラが入らない。ふとんの中から出てこれない。大人にもある憂

    • 今日も鍋にしよう

      冬と言えば鍋だろう。これに異論を唱える人はまずいない。冷えた身体を暖めてくれるだけでなく、その満腹感は心を和ませ、とても幸せな気持ちにしてくれる。 「冬と言えば鍋」に異論はないが「鍋と言えば冬」は異議ありである。 何故なら我が家の鍋は、冬のみならず四季を通じて活躍するからだ。 ちなみに熱あつの鍋のお供は冷酒がいい。サウナと水風呂のように。 冷酒からぬる燗、熱燗まで食事に合わせて味わえる日本酒って素晴らしいですね。 さて、我が家で鍋が活躍する理由は主に4つ。 ①短時間で準

      • 暖かくて心なごむ快適な店で

        鳥かわ100円、枝豆220円、キンミヤのボトルキープが1,400円。 ボクはそんなせんべろの常連客のひとりである。 枝豆、やきとり3〜4本、キンミヤとホッピー黒外1本でしっかり酔って一丁あがりだ。 定員7席のカウンターは常連さん達の指定席。 たまに10人ほどが譲り合い、鈴なりすし詰めになりながら酒を飲み串を引く。 ボクの指定席はカウンターの右端。目の前には1軍(ボクが勝手に言っているだけですが…)の常連さん達のボトルが並ぶ。 準常連さん達2軍のボトルは入口右のおしぼりケー

        • 振り返れば房総半島

          以前、伊豆半島の南東部にある片瀬白田に借りた温泉付きトランクルーム「アジト」のお話をさせていただいた。 神田川俊郎氏がボクの中に降りてきて、「ちょっとの工夫」により3つの課題が解決できる最善案を教えてくれたのだ。 実際には、アパートの敷金礼金、伊豆までの引越費用、それから交通費がかかった。 それを差し引いても、青い空と蒼い海、目に鮮やかな深緑の山と澄んだ空気。家では温泉三昧。 新鮮で美味しくて安い鮮魚や野菜たちに軍配が挙がった。 どこをとっても申し分のないリラックスできて

          真夏の純白な出来事

          狙撃兵は卓越した射撃技術と精神力で、遠く離れた標的をワンショットワンキルで仕留める特殊能力を持つ。 イギリス陸軍王室騎兵隊の狙撃兵クレイグは、味方の部隊を助けるために2.5㎞離れた相手を射殺し、敵の大部隊を足止させた。 今日、クレイグに挑戦する。朝6時に目覚めた瞬間にそう決めたのだ。 彼は距離で卓越した成果を残したが、ボクは時間に挑戦する。 ターゲットは6時間後、ジャスト午後0時のカレーうどんだ。 真夏日が続き、疲労により落ちた集中力を取り戻し再び戦える身体にするには

          真夏の純白な出来事

          ボクのヒロシマ

          人類史上初めて原子爆弾を落とされた広島は、終戦の8年前に6男として生まれた親父の故郷であり、多くの先祖や兄弟と一緒にいる青山でもありました。 親父の生まれは、広島駅からJR呉線を瀬戸内海沿岸を東に25キロほど走った帝国海軍の拠点だった呉市にあります。 呉で育った親父は戦争で多くの親族を亡くしましたが、本人は戦火の中を何とか無事に生きたため、今ボクはこのエッセイが書けています。 終戦後、米兵が艦上から撒き餌のように食品缶詰を海に投げ込み、それを泳いで拾いにくる子どもたちに

          ボクのヒロシマ

          ちょっとの工夫で

          日本料理人の神田川俊郎氏が「○○も、ちょっとの工夫でこの美味さ」を決まり文句としていた昭和の料理番組をご存知だろうか。 どんな素材もちょっとした工夫でとても魅力的で美味しい料理作ってしまうあの番組だ。 まさに、ボクにとっては、ちょっとの工夫でこの美味さ的なお話。 年老いて単身生活への不安を自覚し始めた義母とひとつ屋根の下で暮らすことになった。 1世帯で住んでいた家に、2世代で暮らすということは、精神的な負担はもちろんだが(こちらの不安はあまり無かったが)、物理的な負担、と

          ちょっとの工夫で

          飛行機

          その会社は、年度始めに全国の管理職を集め経営会議を行う。 経営会議では、前年度の予算達成状況と最優秀所管と最優秀営業社員の表彰が行われ、その後、新年度の経営計画が発表され、各部署に営業予算が示達される。 最優秀社員は表彰のあと壇上でスピーチをすることが恒例になっている。 「この度は名誉ある賞をいただいたありがとうございます」 「この成績は、私一人の力で出来たものではありません。こんな私を見放すことなく我慢強く見守ってくれたた所属長、適切に指導してくださり、影に日向にフ

          大物を釣り上げた

          「でっかいマッカチンがいる秘密の場所を見つけたぞ!」 「誰にも言うなよ、言ったらゼッコーな!」 小学校低学年の男の子たちはみな、こんな秘密が大好きなのだ。 1週間後には、みんなが知ることになるこの秘密の場所にマッカチンを捕まえにいくことになった。 いつもの3人でチャリンコをこぎこぎ向かう秘密の場所は、鎌倉街道を北上し薬師池公園の先の鶴見川。 ポケットにはタコ糸と、エサのスルメだ。 スルメにタコ糸を結べば準備完了。 マッカチンは、流れの緩やかな草の茂みに潜んでいる。スルメ

          大物を釣り上げた

          少年時代

          まずは、枕元の目覚ましが準備万端で出番を迎える前に口を封じる。ボクはいつも先手をとる。まして夏休みなら尚更のこと。 目覚まし時計は、気休めの御守りみたいなものだ。 誰も起こさないように慎重に着替えると、忍足で玄関を出る。何も知らない家族を巻き込むわけにはいかない。 日の出は4時半、空はまだ薄暗い。今日が始まる前に今日を始めるのだ。 無事に脱出できたことに安堵し、まだ目覚めていないひんやりとした8月の朝の空気を思いきり吸い込む。 じっとりまとわり付く湿気と、蒸し暑さの日中と

          少年時代

          美味しさの表現方法

          父は礼儀作法はもちろん食事にも厳しかった。箸の使い方やお椀の持ち方、雑な扱いで食べ物を落とそうものならこっぴどく怒られた。 口の中に食べ物を入れたまましゃべるとゲンコツで殴られた。 少年の頃から魚が好きで、よく家族でキャンプに行って海でも川でも湖でも釣りをした。 運転免許を取るとルアーやテンカラ、フライフィッシングに夢中になり、枕元には開高健の「私の釣魚大全」や「オーパ」「雨の日の釣師のために」があった。 釣った魚は捌いて食べる。自分で釣った魚は格別に美味かった。今でも

          美味しさの表現方法

          どんだけ楽しみにしてたと思うよ

          テレビ台の1番上の引き出しに、えんぴつやボールペンに紛れて肥後守ナイフがあった。 その頃、どの家庭にも肥後守ナイフの2、3本普通にあったと思う。 わが家ではナイフではなく小刀と言っていた。 ボクの所属していた小さなギャング・グループは、いつものように山を駆け巡り、秘密基地を作り、鶴見川のマッカチンを捕まえていた。 もちろん敵に襲われたときに備えて、常に肥後守はポケットに入っている。4歳の弟は万が一に備えて靴下の中に緑色の粘土ベラを隠していた。 ある日みんなで、山から切り

          どんだけ楽しみにしてたと思うよ

          おにぎりあさごはん

          小学4年生と学校に向かいながら、一緒に流行りの歌をを口ずさみ、道端のダンゴムシを捕まえる。今日も遅刻だけどそれでもいいんだ。 卒寿のおばあちゃんと、今朝のニュースについて感想を交わす。病院までの数百メートルを手押しのシルバーカーで歩きながら、休みながら、また歩きながら。 ボクはこんな感じで、不登校ぎみな小学生と一緒に登校したり、お年寄りの病院同行や買い物代行などのお手伝いをしています。週末は、こども食堂や食品配布会も開催してます。 育児に疲れたご家庭にレスパイト・ケアが

          おにぎりあさごはん

          良き日の背徳めし

          週末の朝、気持ちよく目覚めるとシェービングクリームを頬に塗り、いつもより丁寧に髭を剃る。髭剃り負けには注意しよう。今日は負けるわけにはいかないのだ。 パリッと糊の効いた真っ白なシャツに腕を通し、シルバーグレーのネクタイを締めると、俄然気分が高揚し、背筋にピンと緊張が走る。 久しぶりのスーツは、腰まわりがひとまわり小さくなっていた。日頃いかに怠惰なスウェット生活を送っていたかを感じさせるが、一瞬で忘れることができる。 なぜならベルトの穴をひとつ緩めれば済むだけのことだ。歳を

          良き日の背徳めし

          おかんの獺祭弁当

          中学高校の頃は、非日常的な面白い事ばかり探し続けていたし、授業中は夢を見て、放課後はグラウンドでストップウォッチと競争する日々を過ごしていた。 なので、クラスは何組だったのかとか、担任の先生の名前とかクラスメイトに誰がいたとか、そういった日常の記憶がとても曖昧なのです。 それが中学時代のことなのか、高校時代の出来事なのかは、ほとんど覚えていません。 ボクにとっては、どうでもいい事として勝手にゴミ箱行きになってしまっているようです。(決して薄情なのではありませんが、今もそん

          おかんの獺祭弁当

          発作がくる前に

          昭和風情が残り、酔っ払いとギャンブラーが彷徨う街、錦糸町。この地に5年ほど勤めていた。 オフィスから見えるスカイツリーの背丈が、ようやく東京タワーに追いついた時期だった。 土曜日の朝、翌週の仕事の段取りをするために休日出勤しなければならないのだという雰囲気を周囲に漂わせ、そそくさと家を出る。 オフィスで2時間ほど仕事のフリをしていると、やった感がアタマを満たし、同時に腹へり虫が鳴きはじめる。 ならば仕方がない、昼酒といこう。 その店は、オフィスとは反対のJR錦糸町駅の南

          発作がくる前に