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暖かくて心なごむ快適な店で

鳥かわ100円、枝豆220円、キンミヤのボトルキープが1,400円。
ボクはそんなせんべろの常連客のひとりである。
枝豆、やきとり3〜4本、キンミヤとホッピー黒ソト1本でしっかり酔って一丁あがりだ。

定員7席のカウンターは常連さん達の指定席。
たまに10人ほどが譲り合い、鈴なりすし詰めになりながら酒を飲み串を引く。

ボクの指定席はカウンターの右端。目の前には1軍(ボクが勝手に言っているだけですが…)の常連さん達のボトルが並ぶ。
準常連さん達2軍のボトルは入口右のおしぼりケースの横だ。
少し浮気が続くと2軍落ちしてしまったのではないかと心配になるが10年以上1軍をキープしている。

カウンター左端は、いつも着古した赤いフランネルのシャツを着た米寿間近のお爺さん。ふたつに畳んだおしぼりを縦長に置き、奥に熱燗徳利、手前にお猪口を並べる。厳かな儀式のように決められたルールに従いゆっくりとお酒を味わっている。

その隣、席をひとつ空けてはロン毛で小指の爪を伸ばした還暦を越えて久しそうな几帳面な男性。生ビールを横に、見開き1週間の手帳と年季の入った色鉛筆。今日の欄に絵日記を付けている。
先程のピーマンの串焼きが色鮮やかに描かれていた。

ボクはといえば、寒かろうが暑かろうがまずはビール。枝豆をつまんでメニューを見ると「コーヤ」がゴーヤに直っていた。

ひと息つくと、何も言わずとも店長は1軍メンバーの中からボクのボトルを出してくれる。
せっかくだけど今日の気分は熱燗だ。味付きうずら玉子となんこつ(やげん)、文句なしのメンバーを頼んだ。

「私も喉が渇き、ラム酒のセント・ジェームズを注文した。寒い日にはこれが素晴らしくうまい。」「とてもいい気分で、上質なマルティニーク産のラム酒が身心に温かくしみとおっていくのがわかった。」
ヘミングウェイがパリですごした日々の思い出を綴った「移動祝祭日」の一節だ。

ボクは菊正宗の熱燗。
寒い日にはこれが素晴らしくうまい。まさに身心に温かくしみとおる。そしてBGMは昭和歌謡、たまに流れる「虹とスニーカーの頃」。
ボクはとてもいい気分なり、熱燗が心に温かくしみとおっていくのを感じる。

移動祝祭日では、彼は作品を書き終えた達成感と共にくる脱力感を鎮めるために、牡蠣を1ダースと辛口の白ワインをハーフ・カラフで頼むシーンがある。

「牡蠣には濃厚な海の味わいに加えて微かに金属的な味わいがあったが、それを白ワインで洗い流すと、海の味わいと汁気に富んだ舌ざわりしか残らない。」

たまらなく食べてみたい。

「それを味わい、殻の一つ一つから冷たい汁をすすって、きりっとしたワインの味で洗い流しているうちに、あの脱力感が消えて気分がよくなった。」

んー、たまらない。

この冬は、暖かくて清潔で心なごむ快適な店でセント・ジェームスを飲み、牡蠣を1ダースと辛口の白ワインのハーフ・カラフを頼もう。

酒飲みの酒飲みは場所も理由もさまざまだが、心に抱えた好悪の感情を鎮め、気持ちを整えたいという思いは皆おなじなのだ。

そんな気分に浸り店長にお勘定を伝えた。「コーヤはもうなくなったんだ?」とからかうと2千円でお釣りがきた。

*せんべろ:千円でべろべろに酔えるという価格帯の酒場の俗称
*ホッピー黒ソト:淡色麦芽で造られるのがホッピー、濃色麦芽で造られるのが黒ホッピー。焼酎を「ナカ」、割りモノ(ここではホッピー)を「ソト」と呼ぶ。
ホッピーはプリン体ゼロで、痛風持ちの放蕩飲み助の最後の砦。

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