「文学部って何するところ?」の答え
「卒業する時にこの大学でよかったと、そう思える4年間にしよう」
これが大学入学時に決めた、唯一の目標だった。
実際に卒業を迎えた日、私は、この大学でよかったと心から思うことができた。それ以上に、よかったという言葉だけでは足りないほどだった。
文学部は、自分というものを表現できる、成果物を作る場所だった。
哲学科全落ちという、人生最大の挫折
将来やりたいことがないから、好きなことができる学部に進もうと、文学部を選んだ。その中でも、高校時代特に私を救ってくれた「哲学」を学ぶために哲学科に決めた。
指定校推薦を使わないかと担任が家まで電話をかけてきたが、どれも哲学を学べるところではなかったのですべて断った。
代わりに公募推薦を使って、自分にとっては難易度の高かった大学を受けた。結果は不合格だった。合否が出た時期は12月の中旬で、今の偏差値だと一般受験ではどこの大学にも受からないんじゃないかと、焦りと不安と悲しみでいっぱいの中、本気で、本気で勉強した。
哲学科に行きたい、その一心で挑んだ入試もすべて不合格に終わった。第一志望の合否が出た時と、私が卒業した大学の合格通知がきたときはほぼ同じだった。哲学を学べない、でも受かった大学は1つしかない。停滞感と閉塞感で満ちていた私は、とにかく今の状況から脱却しようと、不本意な気持ちを抱えながら進学を決意した。
こんな大学に行くはずじゃなかった。
自分は哲学科の人間のはずだった。
授業を受けるたびにそういった言葉が浮かんだ。しかし自分の実力が足りていなかったことをじわじわと実感してきたことも確かだった。
もうここで頑張るしかない。でも頑張れるモチベもない。コロナで外に出られないことを言い訳に1年間抜け殻になった。
苦しかった記憶は、すべて創作の材料にしたい
私にとって中高6年間のバスケ部での記憶は、忘れたくとも忘れられないもので、頑張って良かったという気持ちと、バスケ部のせいで失ったものを考えた時に、どうしても失ったものの方が多いと年々感じてしまう。だからこそその当時の記憶を無駄にしたくなかった。
バスケ部一色の中高時代だったため、バスケしか自分を評価することができなかった。第一志望に行くために勉強はしっかりとやっていたが、結局希望は叶うことなく終わった。つまり、何か新しいことを始めない限り、自分には価値がないと考えてしまっていた。今振り返ると、当時はすごく辛かったが脱却を強く望んだ自分に今は感謝をしたい。
それは自分の関わった活動すべてにおいて実績を作ることができたからだった。
ありがたいことに、映画、コピーライティング、書評、小説、ラジオと本当にたくさんの成果物ができた。文学部として一応はメインの活動であった卒業制作の小説は優秀作品に選んでいただき、夢だった創作論文集にのった。映画祭で賞を取ったことで、むらさき会賞という賞も大学からいただいた。コピーライティングゼミとして制作したリーフレットは燕市で実際に配布された。また、コピーゼミの活動のおかげで大学の100周年事業にも参加できた。ラジオのイドバタコウギでは、町田先生の影響力のおかげもありYouTubeで公開した動画の再生数は8万回を超えた。
自分の名前をネットで検索した時、大学名と共に私の4年間の活動がたくさん、並んでいた。
これを見た時、自分には価値がないんだと絶望していた4年前の私を、今を生きる私がやっと肯定してあげることができた。
本当に頑張ってよかった、死ななくてよかったと思うことができた。
夢中になれたことがあったこと、それで結果を残せたこの4年間は、人生で最も大切な時間だ。
人生は受験だけでは決まらない。
いつだって自分が一歩踏み出せば変わることができることを、これからも忘れずにいようと思う。
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