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『人生のテーマ』や『目標の生き方』が無いまま都会に出たっていいんだよ

少し前から話題になっている
・#私が退職した本当の理由
・地方からの女性流出問題
の2点について、同意しかない私です。

が、今回は自分の具体的で詳細な被害記録ではなく、これらに関連する話として家族から受けた空気感がやっと言葉にできそうなので書いてみます

私のストーリー

高校は進学校を卒業したものの、家にお金もなく、失われた10年の中で高卒地元就職しましたが、その後もずっと向上心とか学びたい欲が捨てきれませんでした。

底辺仕事であっても、その気持ちが良い成果をもたらすこともあったし、褒められることも喜ばれることもあったけど、地方の女性には大きなことに挑戦できる環境が与えられることはほぼない。

何かやりたければ、自分で店を出すとかそういう感じになる。店とはスナックや小料理屋ということ。

そうなると外(都会)に出たくなる。

ここ(地方)より何かあるんじゃないか、挑戦をしても好奇の目で見られることもないし、村八分にされることもなく、なによりも普通に全力で仕事頑張っても怒られないんじゃないか、と思う。

外に出たいと家族に言ってみた

20〜30代の頃、外に出たいと考えていることを家族に言ったことが何度かある。

その時に家族に言われたのは、

え?あなた何かしたいことがあるの?
何になりたいの?
今さら言ってどうしたいの?

という言葉。

たしかに人に語れるほどの夢はない。やりたい職業もこれといってない。情けない。

あえて言うなら仕事を全力で頑張る機会がほしいのだけど、

こっちで頑張ることいくらでもできるじゃない。認められないのはあなたに原因があるんじゃないの?

となる。ですよね、となる。

わたしは能力があるわけでも学歴があるわけでもないし、特別に見た目が良いわけでも、誰からも愛されるコミュニケーションが取れるわけでもない。認められないわたしに原因があると言えばそうです。

別に認められたくて出たいわけではなく、認められることを目指す権利のある場所で働きたい、働いてみたい、という気持ちを言葉にして伝えてわかってもらうことはできなかった。

こういう話をすると毒親とか共依存とかって捉える方もおられると思いますが、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そうだとしても、乗り越えられなかったというだけの私個人の話です。


40代になってやっと言葉にできたこと

40代になって思うのは、別にやりたい事やなりたい自分がなくても、動きたくなっていいんじゃない?って思います。

動いた先にやりたい事が見つかるものだし、やりたい事は変わっていく。

スーパーでの買い物だって、「わたしはチョコレートが好きだから、チョコレート買おう」と思って出掛けても、いざ売場に行くと隣に売られていたグミを買っちゃうことがある。

お金を預かって行ったおつかいなら怒られるかもしれないけど、自分の買い物なら別にいいじゃない。

だから、自分の人生、家族に宣言した通りに送らなかったからって何?!って話ですよ。なんで事前に宣言しないといけないの!?

これを若い頃に気付いて行動に移せなかった自分は本当に至らぬ若者だったと思う。勇気の無さ、ボキャブラリの無さ、知見の狭さ、ベクトル間違ってる親孝行マインド、プレゼン能力のなさ、そして改めて勇気の無さ!

10代、20代の頃の自分にこの言葉を掛けてあげていても、外に出られなかったかもしれないけど、伝えられたらなって思ってしまう。


これから目指していくこと

都会に行けば、自分の中の田舎問題が全て解決しないことをみんなが知っている。

都会に出てもノンデリな人はいるし、色々な思考の人がいて、中にはより差別的な人もいる。

田舎からもただ距離をとれて、人間関係をある程度リセットできるだけなのもわかっている。

ただ、地方の地元から出ることで、『どこにでも行くことができる自分』という自信みたいなものが得られると思う。

それは人生を豊かにする大切なカードの一枚。

40代のわたしも、これからもそういうカードをもっと増やしていきたいと思う。


#女性の働き方

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