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学校が怖くて不登校になった話
小学校のときは、嫌なこともあったけど、なんだかんだ楽しくて学校に通っていた。不登校という存在は小学生高学年あたりのときに知り、そのときは「そういう人もいるんだ」くらいにしか思っていなかった。
そこから、自分がまさか不登校になるなんて思ってもいなかった。
不登校の兆し
不登校の兆しは、中1のGW明けからだった。なんとなく行きたくないなと感じた。
その時は単純に学校に行くのが面倒くさいからだと片付けて、無理やり学校に行った。
次に行きたくないと感じたのは夏休み明けだ。夏休みの宿題を終わらせれなくて、それが先生に怒られると恐れたからだろう(別に怒られはしなかった)。
2学期が始まって一週間経ち、何とか通えるようにはなった。というか無理やり行かせられた。
そして、中学1年の冬ぐらいから段々と学校に行かなくなる日が増えた。
かろうじて学校の前まで来るのだが、呼吸はしづらくなるし恐怖に押しつぶされるため、結局家に引き返す。その日々の繰り返しだ。
地獄の2年間
中1から中2までの2年間はとにかく辛かった。親や先生に「これ以上休むと休みグセがついてしまって通えなくなるよ」と言われ続けた。
それで私は、「みんな普通に学校に通えているのにどうして自分は通えないんだろう?」「学校に行けない自分はなんてダメな人間だ」と、自責の念に駆られまくった挙げ句、私は狂ったように自傷行為に走った。
右腕をハサミやカッターで切ったり、顔を思いっきり何度も殴ったり、髪の毛をむしったりしてた。
おまけに、死ぬことより学校に行くことが怖かった私は、最悪、首を吊って死んでやろうとも思った。
学校に行けと言われなくなった
中3になって、もう当事者だけでは解決できないレベルに達していたので、精神科に通った。
ここからはお医者さんの助言により、無理やり学校に行けと言われたり、行かせられることはなくなった。
不登校になった理由
現時点でも不登校になった明確な理由はよく分かっていない。これはあくまで推測なのだが、「中1ギャップ」をもろに受けてしまったのだろう。つまり、環境の変化に適応できなかったのだ。
それに、全体的に教師たちの態度はなんか上から目線というか見下してる雰囲気を感じ取ったり、宿題も大量に出たりもして負担に感じたのだろう。
今思い出しても本当に辛くなる。学校が本当に怖くてしょうがなかった。
高校2年から再発
高校1年のときは、他の生徒と比べると遅刻や欠席は多かったが、なんだかんだ楽しく過ごせた。
ところが高校2年からまた地獄が始まった。
高校2年からは文系・理系・情報系と進路を選ばなければいけなかった。
私は理系が得意だったので、理系を希望したのだが、人数が少なすぎで開けないと担任の先生に言われた(後から聞いたのだが無理にでも開いてほしいとお願いすれば開けたらしい)。
それで仕方なく文系を選んだのだが、この選択が間違いだったかもしれない。
そもそも私は文系が苦手で、授業の大半が文系の授業で占めていたため、授業の時間がとにかく苦痛で仕方なかった。
ちなみに、こんな私だが友達は出来たし、好きな人も出来た(告白はできなかったが)。
友達や好きな人に会いたいという気持ちはあったけど、それでも学校に行くのが怖いという気持ちが勝ってしまい、ここからまた学校を休みがちになった。
欠席しすぎると出席日数が足りなくなって留年してしまうので、補習や別室登校など、先生たちからの優しいサポートにより、留年はせず無事に卒業はできた。
まさか大学でもなるなんて!?
高校3年の冬から「マジで早く高校終われ」と懇願していた。
「早く高校終わって大学になれ。今までと比べて比較的自由だし、充実した大学生活を送れるだろう」と期待していた。
そして晴れて大学生になった初日。大学生活を謳歌してやろうと意気込んだ。
最初は慣れないし不安と緊張もあった。でも大学の仕組みもなんとなく理解できたし、ずっとやってみたかったバンドも軽音サークルに入部して出来るようになったり、それなりに楽しく過ごせていた。
ところが大学1年の夏休みが明け、後期が始まり大学に通った初日、異変が起きた。
なんと教室の近くまで行くと、突然怖くなって教室に入れなかった。
「え?嘘?大学になってもこれが起きるの?」と自分を疑った。
これにはさすがに自分でもショックを受けた。「まさか大学でも不登校になるなんて」と。
どうしようと思い詰めていたなか、大学側から休学をしてみてはどうかと提案を受けた。そこで私は、病院に通い、適応障害の診断書をもらった。
一年の後期は治療に専念ということで休学した。
大学2年になり、復学できるか不安だった。少し怖かったけど、無事に通えた。
でもそれは1ヶ月しか持たなかった。
この年は2019年で平成から令和になる年。例年よりも長いGWだったため、私は酷い五月病を患い、そこから段々と大学に通う頻度は減っていった。
案の定、単位はほとんど落とした。
そこでまた私は、二年の後期も、一年のときと同じ理由で休学した。
大学を卒業できたのは運だった
大学二年の春休みも明ける頃、私は復学しても通える気がしなかった。ところが例のウイルスが大流行し、授業はリモートになった。
そこで私はこのチャンスを逃さず、この3年間(3年生と4年生の2年間+休学した分の1年)、リモートを駆使し、ありとあらゆる単位を取りまくった。おかげで卒業に必要な単位はすべて取ることができ、なんとか卒業できた。
卒業できたのは本当に運としか思えない。
怖い思いをしてまで学校に行かなくていい
不登校だった私だが、学校に通うことのメリットは少なからず感じている。
勉強ができるというのもあるが、それよりも私は人間関係を学べるという体験ができるのが一番大きなメリットだと感じる。
でも、その恩恵を受けるために、無理してまで学校に通う必要はない。
それよりも、自分の体、心、そして命を本当に大事にしてもらいたい。