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ねむみ 10

 「あら大変!」
京子先生がいきなり甲高い声を上げたので、僕の肩がびくっと動いた。器用に居眠りをしていた奴らも、一瞬京子先生のほうに注意を向けた。
「宿題用のプリントを人数分コピーしてくるのを忘れました。今から急いで印刷してきます。」そういって彼女は慌てた様子で教室を出て行った。先生のいなくなった教室は、なんとなくざわつき始めている。上手に居眠りしていた男子たちが目を覚まし、「長かったな。」「よく寝たな。」などと欠伸混じりに喋っているのが聞こえる。本当に長い長い授業だった。五十分間もよくねむみと闘い続けたなあと我ながらしみじみ振り返る。まだ授業が終わったわけではないけれど。ほんと、よく頑張ったよ、僕…。しかし、自分の健闘を称え感動に浸っていたのもつかの間、僕はあるひとつの事実に気が付いた。闘った結果、僕、勝ててないよな!?ねむみに負けっぱなしだよな!?手を変え品を変えいろんな方向からねむみにアプローチし、周りから変な奴だと思われながらも一所懸命にねむみと闘った結果、僕はその努力もむなしくねむみに負け続けている。このままでは終われない。せめて、京子先生が帰ってきて宿題用のプリントを配るときぐらい、ギンギンに目が冴えた僕でいたい。

 そう思って僕は、制服のポケットからとっておきの必殺アイテムを取り出した。スマホだ。いつかテレビで見たことがある。「寝る前スマホの人体への影響」みたいな趣旨の特集を。夜遅くまでスマホをいじり、寝る直前までブルーライトを見ていたら、目が冴え、神経が興奮して眠りにくくなるらしい。そこを逆手にとろうというわけだ。本当はもっと早くにこの作戦に出たかったのだが、僕は不器用なのでこそこそスマホをいじっているとすぐに先生に見つかって取り上げられるに決まっている。それならば、先生が席を外した今こそ堂々とこの作戦に踏み切るべき時だ。今のうちにたくさんスマホをいじっておけば、先生が帰って来る頃にはねむみなんて影も形も見えなくなっているだろう。SNSのタイムラインを見てみる。クラスメイトの多くが、京子先生の授業に関する投稿をしている。「世界史まじだる。」「一限ねむみ(泣)帰りたさあるー(;_;)」「京子ちゃん声ちっちゃい。聞こえなーい。( ノД`)」中には、「胸子さん今日もバストだけナイス」「可愛いのに授業が残念な胸子ちゃん笑」なんて言っている男子たちもいる。「ヒマな授業中に見る動画」みたいなものも拡散されて回ってきていた。みんなよほど退屈なようだ。

 一通りタイムラインを消化し終えた僕は、SNSを閉じ、ネットで何か検索してみることにした。さあ、何を検索しようか。お笑い動画でも見るか、美女の画像でも検索して目の保養にするか。そうだ。さっき分からなかった、あれを調べてみよう。枯山水の、カコーンっていうあれ。「枯山水」「竹」「水」の三つのワードを検索バーに入力する。全く今の時代、便利になったものだ。分からない言葉があれば、検索ボタン一つで調べられるのだから。しかもこんなに手軽に、いつでもどこでも。トンッ、と検索ボタンをタップする。ザッ、と出てきた検索結果のうち、一番上に現れたサイトを見てみる。ああ!これだ!そうだこれだあああ!!!そのサイトのトップにはこう書かれていた。

 「ししおどし」。分かりそうで分からないモヤモヤ感から抜け出し、まるで霧が晴れるように僕の胸はすっきりとした。同時に、まとわりついていたねむみもすっ、と穏やかに退散していくようであった。ししおどし。ししおどし。僕は何度も心の中でつぶやいた。なんて風流な言葉だろう。この言葉が、僕の身をも心をも清めてくれたように感じる。スマホ片手に少々大袈裟な感慨にふけっていると、その画面がふっと暗くなった。しばらく触れなければ画面は暗くなり、さらに一定時間触れなければ画面が消えてしまうというのがスマホの唯一ちょっぴり不便な点である。いつものことだ。しかし、今までこれほど短時間で暗くなっていただろうか…。僕が画面を触らなかった時間など、せいぜい十秒ぐらいだ。おかしいなあ…。首をかしげながらなんとなく顔を上げると―。
 
(続)

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