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ねむみ 9

 「コショウやナツメグやクローヴなどの香辛料は、ムスリム商人を介してアジアからヨーロッパにもたらされました。これらは高額で取引され、単なる調味料としてではなく、豊かさの象徴としても扱われたため、ヨーロッパの商人は香辛料の直接取引をのぞむようになりました。一方、オスマン帝国の攻勢で、ヨーロッパ世界がふたたびイスラーム勢力の脅威に直面すると、……。」
カタカナばかりだ…。何が何だか分からねえ。だめだ、またねむみが……。やる気を取り戻した瞬間から時計の秒針が丁度一周回った頃には、僕はすでに再びねむみにとりつかれていた。三日坊主どころではない。一分坊主じゃないかこれでは。仕方なくもう一度文房具を落としてみることにする。今度は、ピンクの蛍光ペン、水色の蛍光ペン、ものさしの三点セットだ。自然なタイミングで…。カタカタン!今度は音がばらけて枯山水のあれのような風情はなかった。しかし、三つ落としたことによる音の増幅で、僕の意識は格段に覚醒した。席の近い連中が一瞬僕のほうを見たが、そんなことは気にしない。三点セットを拾って、再び授業に戻る。

 「ポルトガルにややおくれて新航路の開拓にのりだしたスペインは、地球球体説を根拠にインドへの西回り航路を主張したコロンブスの航海を支援しました。彼は、一四九二年にカリブ海に到達し、…。」
京子先生の授業は、進度が速いと先生たちの間で評判らしい。そりゃあそうだ。こうやってただ教科書を音読していくだけなのだから。詳しい解説をすべて端折れば、どんどん先に進めるに決まっている。しかし、そんな授業では僕ら生徒が内容を理解できるわけがないので、当然テストの成績は他の教科より格段に悪い。この間の学期末テストでも、世界史のクラス平均が低くて担任にホームルームでねちねちと説教された。僕らを説教する前に、京子先生のろくでもない授業方式を改めさせてほしい。学校側は授業の進度とテストの成績だけがすべてだと思っている。これだから進学校は。

 そんなことを考えているうちに、またあくびが出てきた。もうやけくそだ。ねむみに対してイライラさえしてきた。僕はこの際机の上の文房具を筆箱ごと落としてみることにした。ガチャガチャガチャーン。盛大に音が響いた。ふう。これでまた少しの間は目が冴えるだろう。すぐにまた眠たくなるんだろうけど。筆箱と筆箱から飛び出した文房具を床から拾い上げようと腰をかがめていると、妙な視線を感じた。顔を上げると、僕の席から半径机二個分ぐらいの奴らが、みんな僕のほうをガン見していた。男子たちはニヤニヤし、女子たちは冷ややかな目で見、がり勉君たちはうるせえんだよさっきからと言わんばかりの迷惑そうな顔をしている。幸い京子先生は、熱心に板書をしていたから気づいてないみたいだが。
…やってしまった。思えば僕は三回連続でものを落とし続けている。クラスいちのクレイジー決定だ。僕はガン見している奴らから目をそらし、赤面しながらそそくさと床に落ちたものを拾った。まったく今日という日は。ねむみに打ち勝てないどころかクラスの中でも妙に目立ってしまっている。とっとと授業が終わってくれればいいのに。時計を見ると、もう残り時間は七分ぐらいだった。もう一息!頑張れ僕…!
 
(続)
 


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