まとめるには容量オーバー
年明けからの2週間について
ざっとまとめておこう
コメダ珈琲のモーニングコーヒーを飲みながら、はたまた湯船に浸かって数分で書きまとめる日記の様なものを付け始めてはみたものの、それもままならない慌ただしさがひしめいていた。
正確に言えば最後の強大な壁を攻略中なのでそれが終わるのは今月末、ひいては3月半ば、と言えば誰しも理解できよう。
まず年明けから行こう。
年明けに何に慌てていたのか、それは成人式に向かっている。
今年も変わらずお声かけ頂いた。妹の前年以来なので前回は3年前だったか。この年を数える行為もどんどん不得意になっていくな。
楽しみの方が大きいと感じたのが引き受けた理由で、技術の不安さは前回以上になっていた。
年末の休みに入ってから本格的に練習し始めて、5日間の休みは毎日2時間程度練習に充てた。それ以外の時間にも動画や写真やらをずっと調べていたので、いつものことながら精神的な負担の方がでかい。今回も道具の調達があり、ヘアアイロン、鏡、セット剤諸々の経費を合わせたら、全く利益がない。
そんなこんなで月曜に控えた成人式の前々日、土曜日、朝からの腹痛が夜に向けて酷くなり、とうとう熱が出た。家に帰ってから測ると38.1。言葉が出ない。腹痛以外に辛いところがないのがおかしな症状で、朝から整腸効果がある食事やら飲み物をしこたま口にしていたが、治るどころか酷くなってしまった。布団に入るためにシャワーだけ浴びて寝ていたが、お腹がキュルキュルと鳴り始める。日曜の夜には東京に向けて出発する予定だったのでどうしたものかと悩む。お腹が痛いだけなら何とかなるが、熱が出ていては何のウィルスを持っているのかもわからない。スタッフはもちろん新成人の子達に移してしまうなんてことがあってはならない。どうにか良くならなければ。
しかしながら尋常ではない腹痛。
横になって少し落ち着いたところで携帯でそれらしい病気を調べる。ーもしかすると虫垂炎(盲腸)の可能性が高いのでは。調べれば調べるほど今の症状に似ている。もしそうだとすると早めの診療が必要らしい。どうにせよ、熱があるままでは明日のランチ営業には仕事に行けないので休日診療の病院を受診することにした。毛布をしこたまかき集め、くるまって、寝た。
朝、ずいぶんと良くなっていた。お腹の音は相変わらず鳴っていたが、歩けないほどではない。熱は37.6。微熱に留まっている。ひとまず病院に電話をかけるが出ないので直接向かった。休日にも関わらず患者は沢山。平日も土日も関係ないのが病気なのは当然なので、近所に立派な病院がある事はありがたい。
先生がとても良かった。地元に戻ってきて体調不良で病院に行った事は無かったが、これは良い先生だ、と感じた。診察もしっかりとしてくれた気がする。おそらくだが。名札をもっとしっかりと確認すれば良かった。もし次に不調が起きた際にはハキハキとしたあの先生に診てもらいたい。ひとまず虫垂炎ではないと診断され、処方を受け帰宅した。私に出来る事は寝る事だけだと思ったので、ひとまず寝る。すぐに起きてしまい夕方に練習ウィッグを少し触りってから出発の準備をした。前日には全く練習出来なかったが、緊張感が抜けて良かったのかもしれない。妹に借りたキャリーケースに道具を詰め込み、完璧に準備を整えた。
店は忙しいらしく皆んな帰ってこなかった。申し訳なさが増す。
車と電車を使い自由が丘に向かった。その頃にはだいぶ調子は戻っていたので一安心だった。
自由が丘のホテルにはスタッフの中で最後にチェックインし、真美ちゃんと相部屋で過ごした。数年ぶりに会う真美ちゃんはなんと1歳になる子供がいるらしかった。久しぶりなのに相変わらずで母になったからと言って何かが変わった様子もなかったし、結婚観や恋愛観も本当に興味深いものだった。
アドレナリンで全く寝れず、部屋の温度も暑い。1時間くらいは寝れただろうか。
当日は4時起き5時出発、6時スタート。
12時半で解散だった。
体感としてはあっという間だったが、練習した流行りのスタイルは一切担当することがなかった。良いのか悪いのか、残念ではあった。着物を着て完成した新成人を見れなかったのも残念だった。
兎にも角にも、予定通り仕事をこなせた事は何よりだった。
その後の仕事の営業も相変わらず忙しく、人手も足りず、しかしこなさなければ終わらない、こなせば終わる仕事を続ける。
火曜の夜は弟夫婦が愛知から帰省してくれていたのだが、流石にひとりの時間が必要で本屋に行き、全ての本棚を眺め、今年最初の新品本を購入して一冊読み切るつもりでスタバで読んだ。21時になったところで一旦切り上げ、家に帰ってから寝る前に読み切った。『ロシア語だけの青春』、新年最初に読む本として、熱量に溢れ、努力と活力を奮い立たせる良い本だった。
成人式と同じ週の水曜日、休む暇もなく友人夫婦のヘアを受け、午前中から15時頃までお仕事。会って話ができる場がある事は嬉しいし、息抜きにもなっているが、とにかく時間を拘束されるのがストレスらしい事はもう承知の事実でどうしようもなかった。自由であるはずだった時間を誰かのために、どこかに奪われている気がしてならず、この感情を払拭する術はない。
いつもほんわかと穏やかな友人夫婦なのだが、年末より空気がよろしくないらしい。傍目には解らないが、友人(女性の同級生)曰く『仮面夫婦』中らしい。ヒソっと真剣な顔で耳打ちして来たので笑いを堪えるのが難しかった。
その日の夜は、弟夫婦と恒例の焼き肉屋に行った。好きなのもあるが、家族全員がまとまって食事できる場所をそこ以外に知らないという理由もある。
弟達が帰った後も忙しかった。お願いされた菓子折りを週末までに焼かなければいけなかったので、金曜、土曜と連日製造所に行き、夜中まで作業して30〜40のお菓子を用意した。朝早いのも大変だが、夜遅くまで作業するのはもっと辛い。しかも土曜の夕方から降った雪の影響で早朝の出勤は恐ろしい通勤路だった。田舎の豪雪はたまったものではない。
週末の営業も変わらず忙しかったが、空きあらば伊坂幸太郎の洋書を開き、リーディングブックと一緒に読むようにした。目で追うだけでも大変だが、大好きな一冊を英訳してある文章を聴き、イメージする時間は面白い。音声もとても聴き心地が良くて嬉しい。
とまぁ、息抜きもしつつだがそんな具合で昨日の月曜日、やっとの1日休みだったが、いよいよラスボスステージに突入だった。
早起きして取り掛かるつもりだったが、最近は朝の布団の中で気分を押し測る。
もう少し寝ていたいか、起きて早々に出かけるか。
今年のテーマは『意気込まない』にしたので、何をするにもひとまず肩の力を抜くところから始めている。
私にとってはとてもとても大切な作業で、後のパフォーマンスがまるで変わる。
近年は力を抜く事、心配を大きくし過ぎない事、頑張り過ぎない、こだわり過ぎないこと等、とにかく凝り固まったガチガチの思考や肩の力を緩くする練習を意識している。意識し始めてからの2、3年で随分と生きやすくなったし行動もしやすくなった。
その日の朝は結局いつもよりゆっくり起きて、みんなが仕事に行った後の家で猫を横目に身支度をして、豆乳チャイを作り、甘いお菓子を2つも食べ、テレビを少し眺めてからタンブラーを持って車で出かけた。雪が残って路面が不安定な場所もあったが、大部分は溶けてくれていたので良かった。
山の麓にあるおばあちゃんの家に缶詰を決め込み、板チョコ、鉄分を飲むヨーグルト、ホットコーヒー、パンとご飯を用意して、14時にPCをスタートさせた。
とにかく時間を気にしないこと。パニックになって焦らないこと。気長に、でもできる限りやること。休憩や、食事、水分をしっかり摂ること。
21時まで作業した。
解説書と、携帯の検索を使えば大概のことがわかったので良かった。
もちろんやれば解らないことが出てくるし、面倒さも浮き彫りになり、今後について不安なことがチラついて来たが、とにかく今ある手札でやれる事をこなすことに集中した。3分の1はやれたかな。というところだった。そう上手くはいかないと思っていたので、わかる事を進められたのはよかった。
今度はPCを車に詰め込み、後2週間、少しずつストレスを分散させて進める作戦で行こうと思っている。まとまった休みは1日、半日休みが1日。どうにかしなければ。
年明け、まさに1月1日だった。
2024.1.1.16時過ぎ。石川県での震災が発生した。
栃木でも体感した揺れは、テレビの特番を全てニュースに変え、NHKのキャスターが避難誘導を叫ぶ事態となった。
16日現在、多くの死者を出し、石川の歴史ある朝市は火事で跡形も無くなり、多くの道路が土砂で埋まっている。
日本に住む人達が被災の深刻さを我が身のように考え、備えに向き合うのは当然の事となっている。まだ記憶にある「うちはまだ準備してないや」と言った悠長な台詞はもう聞く事はないだろう。
明日は我が身。もはや今この瞬間かもしれない事態を髪の毛一本にも意識して『生きる』ことを全力でこなしている。
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