マドンナ 最終話《バレンタインデー》【短編小説】
二月十四日。
四十年前の今日この日に、産み落とした親を軽く恨んでいる。いや、親を恨むのはお門違いなのかもしれない。バレンタインデーとう風習を根付かせた社会を恨むべきか。いずれにしても忌々しい日である。
今となっては、女性が好意を寄せる男性に想いを打ち明けるという意味合いは薄れ、職場や友人へ日頃の感謝の気持ちを表したり、はたまた自分へのご褒美だったり、あれこれ意味が後付けされている。
ユースケにとってはその方がありがたいと思う一方で、いつまでも元来の意味に囚われてもいた。
そもそも、元来の意味だって日本がこの文化を輸入するときに偏った解釈で定着したものというのだから、あまり気にする必要はないのだが、上手いこと心の処理ができないのである。
ユースケが大きく吐いた息は白い靄となって夜空へと消えていった。寒風が身体に堪える。例年にない大寒波が日本を襲っているらしい。
家路につく途中でコンビニに寄ってコーヒーを買った。挽きたてコーヒーが注がれているのを待ちながら、商品が並ぶ棚を見やる。
世の中は相変わらず熱を上げて商戦を繰り広げている。今や、コンビニであろうがブランドチョコを置くのは当たり前のようだ。パッケージは違うが同じブランドのチョコがビジネスバッグの中に入っている。
モナからもらったものである。
あの晩、告白をしたがあっさりフラれた。自分でも引くほど、人生で最も痛々しい告白だった。
聞き役に徹するはずが、酒が回って泣き上戸に拍車がかかり、散々自分語りを繰り返した。あげくにモナの肩を借りながら千鳥足で臨港公園を歩き、今日と同じくらい冷たい港風が吹きすさぶ中で、酔いに任せて泣きながら告白した。
みすぼらしいほどの泣き落としだった。
四十手前のオジサンが二十も離れた娘に泣きながら付き合ってくれと懇願するとは――見苦しいにも程がある。
翌日、二日酔いと敗れた恋に打ちひしがれ一日を潰した。翌々日に冷静さを取り戻し、己の醜態を詫びようとモナにLINEを送った。「二度目はないですよ」と叱るような絵文字をつけた返信だった。
これまで、恋敗れた相手には未練を残さないようにと、連絡先を消去して強制的に想いを断ち切ってきた。キャバ嬢相手にも、それきりその店には行くことをしなかった。
だが、モナとはまだ繋がりを持ってしまっている。謝罪をしたかったこともあるが、それだけではない。
モナの夢を微力ながら応援したい気持ちがあった。
モナのパトロンとして資金援助ができるほどの財力があればよかったが、残念ながらその力はない。あったとしても、モナは望んだだろうか。できることと言えば、今後も通い続け、モナの売り上げに少しでも貢献することぐらいだった。
ユースケはそのことを伝え、その後もいちファンとしてモナのいる店へと足繁く通っている。推しのアイドルに入れ上げている人たちの気持ちが、今なら少し分かる。
モナから今日はイベントデーなので是非来てくださいとLINEがあり、店へ行った。
自分の誕生日であることは言わなかった。だから、かばんに入っているチョコもただの義理チョコである。
出来上がったコーヒーに備え付けの蓋をして外へ出る。
一口すすって吐き出した息は、更に濃い靄となった。
ほろ酔い加減の頭にひんやりした空気と舌に残るブラックコーヒーの苦みが心地よく感じる。
応援とは言っても、いつまでモナの店に通い続けるのだろうか。金が尽きて、借金をして、自分の身を滅ぼしてまで通い続けるのだろうか。普通に考えたらバカバカしい話である。
だが、モナに対してだけはそれでもいいかとも思った。願わくば、ナンバーワンにまでのし上がって、必要な資金が貯まったらスッパリ辞めるところまで行ってほしい。ナンバーワンともなれば、もう今のモナとは違う風格を纏ったキャバ嬢になっているかもしれない。それで縁が遠くなってしまうのならそれも本望。キャバクラを辞めて縁が切れてしまうのなら、それも本望だ。
自分にしかできない、愚かなやり方で応援してやろうと思った。
歩きながら勢い勇んで流し込んだコーヒーはまだ熱く、ユースケは「アチッ」と言ってヤケドした。口の中がヒリヒリとする。
帰ったらこのヤケドした舌でチョコを味わってやろうと思った。
〈完〉
#創作大賞2024 #恋愛小説部門