お祝い【4分小説】
メインディッシュが運ばれてくると、わたしの心は緊張でわずかに昂った。会話が不自然にならないようにと平静を装う。向かいに座るミナはなんの疑いもなく、運ばれてきた料理に心を躍らせている。よし、計画通りだ。
今日はミナの誕生日。お互い恋人がいないもの同士、誕生日はこうして二人で少しリッチなディナーをするのが恒例となっている。お祝いする方が店の予約を取って、ちょっとしたプレゼントを贈る程度の簡単な誕生日会だ。
今夜選んだお店はこじんまりとしたイタリアンレストランだが、家庭的な雰囲気を醸しながらも品があって洒落ている。客席には夫婦と思わしきカップルやエリート然としたサラリーマンのグループ、ハイソサエティーな奥様たちなど、いかにも暮らしが豊かそうな大人たちが、お店に品格をもたらしているようであった。社会人一年目のわたしたちは浮いて見えるかもしれない。でもそんなことは構いやしない。せっかくの記念日で少し贅沢な気分を味わうのは、何にも代えがたいわたしたちの楽しみだった。
実はこのお店、会社の先輩たちに連れられて一度食事をしたことがある。切り盛りしているのは五十代半ばと思われるご夫婦で、とても話しやすくてノリがいい。雰囲気が良かったので友人の誕生日をお祝いで予約したいと伝えると、楽しそうにいろいろと提案をしてくれたのだった。
わたしは〆のデザートを誕生日用にアレンジするくらいで考えていたのだが、ご夫婦のご厚意で特別にバースデイケーキを作ってくれることになった。さらにギターを弾くのが趣味だというオーナーシェフが、ハッピーバースデイの曲を弾くからみんなで歌ってお祝いしよう。他のお客さんにもクラッカーを渡して盛り上げようと演出まで考えてくれた。
ミナとたわいもない話をしながら、メインディッシュを食べ進めていく。奥さんが各席を周りながら、この後に行われる極秘イベントを伝えてこっそりとクラッカーを渡しているのが見えた。いつもの誕生日会ではこんなことしないから、きっとミナは驚くだろうなと期待が膨らんだ。
メインディッシュを平らげて一息ついたところで、奥さんが食べ終えたお皿を下げに来る。わずかな目配せで「これから始めます」と合図を出したのが分かった。
「おいしかったねー」
ミナは満足げな表情で言った。本当にどれも美味しくて、今度はアレを食べたいだのコレを食べたいだの言いながらサプライズが始まるまでの会話を繋いだ。
「デザートってあんの?」
ミナがそう言った途端、店内の明かりがフッと落ちて、店内が闇に包まれた。すると、突然エレキギターの音がギュイーンと響き渡った。
「え? なに!」
突然のできごとにミナは思わず叫んだ。てっきりアコースティックギターだと思っていたわたしも、予想外の音量に驚いてしまった。
店の奥からろうそくに灯されたケーキを奥さんが運んできて、その後ろをシェフがエレキギターをつま弾かせながら響きのあるバリトンボイスでうららかに唄い入場してきた。他のお客さんからも手拍子が起こり、みんなと一緒に声を合わせてハッピーバースデイの歌を唄った。
が、次の瞬間、そんな祝福ムードが一変した。
シェフが何かにつまづいたのか、前を歩いていた奥さんを巻きこむようにして勢いよく倒れこんだ。ろうそくの灯りが消え、大音量で流れていたエレキギターの音も、バチンッと破裂したような音とともにかき消され、店内は薄闇とともに静まり返った。
思わぬ出来事に、わたしは状況が飲みこめなかった。いったいなにが起こったのか。
——これは……失敗? アクシデント……だよね?
「イタタタタ」
倒れこんだ夫婦が起き上がった。
「ちょっと! なにすんの!」
「ちがう、なにかに引っかかったんだよ。ちょっと明かりをつけろ、明かりを」
奥さんが店の奥へと引っこみ、店内が通常の明るさを取り戻すと、床にはケーキが真っ逆さまに落ち、ギターを繋いでいたコードが乱れていた。
「あぁ、これだ。コードが引っかかっちまった」
「コードって……だからふつうのギターでいいって言ったでしょ! ウチの店せまいんだから」
「せっかくのサプライズなんだから派手にやりてぇじゃねぇか。まさかこんな派手に転ぶとは思わなかった」
「なに言ってんの、ホントに。あーあケーキがもう……どうしてくれんの。すごい空気になっちゃったじゃないの!」
その後ご夫婦からはしきりにお詫びをされた。クラッカーを準備していた周りのお客さんにもこの顛末を詫びていたが、どう答えていいものやら、とまどいだけが見てとれた。
「ごめんなさい。これからデザートを作り直してくるので少々お待ち下さい」
奥さんがそう言うと、かかあ天下のごとくシェフの尻を引っ叩いて、店の奥へと消えて行った。
「ビックリしたぁ」
ミナは呟いた。
そりゃびっくりするだろう。わたしだってびっくりしている。一時はとんでもない空気になってしまっていたが、時間の経過とともにだんだん可笑しくなってきた。
やがて準備が整ったのか、何ごともなかったかのようにまた明かりが落とされた。今度はアコースティックギターの音が店内に響いた。すでに分かりきった演出にわたしもミナも思わず吹き出してしまった。他のお客さんからも笑い声が漏れている。
店のあらゆるデザートを盛り合わせた豪華なプレートを奥さんが運び、シェフがギターを弾きながら朗々と唄って入ってくる。先ほどの大失敗などどこ吹く風と言わんばかりで、その潔さが客席から笑いを呼び起こしていた。今度は無事にテーブルに運ばれてくると、あやうく出番を無くしかけたクラッカーが唄い終わりにあちこちで弾けた。
帰りがけにシェフと奥さんは”お詫びとお祝いで”と言って、それぞれにボトルワインを贈ってくれた。わたしたちは恐縮して遠慮したが、どうしてもと言うのでありがたく受け取って店を出た。
「面白かったねー」
満足したようすでミナは言った。レストランで食事をした後の感想として”面白かった“と言うのはおかしい気もするが、やっぱりその感想がふさわしい。
なんだかこのお店のファンになってしまった。ちょっと高いけど見合う女になってまた来ようねって、ミナと約束を交わす。お互い右手にワインの袋をぶら下げながら、ヒールの音を夜空へと高らかに響かせて歩いた。