マドンナ 第9話《自分の土俵》【短編小説】
バッティングセンターはボーリング場やスケートリンクの入ったアミューズメント施設の中にあった。エレベーターに乗り屋上階へ上がる。ドアが開くと同時に金属バットでボールを叩く音が飛び込んできた。
随分と久しぶりに聞く音だった。考えてみると最後にやったのはいつだったのか覚えていない。ゆうに十年を超えるのではないだろうか。
美術館を出て、晩飯まで少し時間があるからバッティングセンターへと誘うと、モナは意外にもはじけたように賛同した。これまでに縁の無かった場所のようで非常に強い好奇心を示した。
ところが、調べてみると津先地区にはバッティングセンターが無かった。一番近いところで浜側駅まで出なければならない。地下鉄に乗ると二駅。どこにでもあると思い込み下調べしなかったのが抜かった。
なにしろレストランは津先で予約しているのである。バッティングセンターのためだけに電車で往復するなど、ひどく非効率的なデートコースであるのは明白だった。
しかし、自分の良いところを見せたい。その上、モナも乗り気だ。この名誉挽回のチャンスを逃す手はあるまい。
このことをモナに告げると、やはり面食らったようだった。モナの心が面倒に侵される前にすかさず、駅から近いのでここからでも十分程度といささかサバを読み、手間はかからないことをアピールした。なんとかモナの興味を保ちここまでやってきたわけである。
「すげぇ久しぶりだから、ちゃんと打てるかなー」
モナに言っているのか独り言なのか、どちらとも取れる声量で呟く。打てなかったときの保険をかけているようだが、自信はあった。
ユースケは140kmのマシンを選び、置いてあるバットを手に取り、腰をひねったり屈伸をしたりして軽く体をほぐす。モナは金網越しにボックスの外で見守っている。
バシバシと打つイメージしかない。後ろから「スゴーイ!」と黄色い歓声が聞こえてくるようだ。
バットを数回振って準備が整い、金の投入口に百円玉を転がしていく。フェンス一枚隔てたモナに「まぁ、見てて」と声をかけた。
エキシビジョンに映ったプロ野球選手が投げるモーションに入り、集中して構える。すると球は一瞬にして目の前から消え、後ろの球受けのマットからドゴォッと鋭い音が立った。モナもびっくりしてキャッと小さく悲鳴をあげる。
――こんなに速かったっけ?
心の準備を整える前に、エキシビジョンの投手は二球目のモーションに入っている。ちゃんと構えていない状態で二球目が投げられ、慌ててバットを振るが大きく空を斬る。またもやマットが大きな音を立てる。
ちょっと待って。高校の時は全然打てた球なのに。
三球目、四球目と投手は無情にも一定のペースで投げてくる。懸命にバットを出すがかすりもしない。心を落ち着かせる時間がほしい。けれども投手は容赦なく投げ続ける。
十球を過ぎたあたりからようやくバットがチンと音を立てるほどにかすり、徐々に球に当たるようになってきたが前には一球も飛んでいない。そのまま見るも無残な形で二十数球の投球が終わった。
ユースケは軽く肩で息を切らし、ボックスを出た。外にいるモナが呆気に取られている。
「あの――間違えたわ。プロが投げるスピードだからコレ。久しぶりでコレやっちゃダメだ」
「すごいですね……」
モナの言うすごいは、もちろん投げられたボールに対してである。
「ちょっと速度落としていい? 130kmならイケるから」
速球を打ってくれなんて誰も頼んでいない。しかし、ユースケは経験者のプライドで素人には打てない球速を打って面目を立てたかった。
なんとかモナの前で良いところを見せようと速い球速にこだわるのが仇となる。
130kmもバットには当たるもののヒット性の当たりが一本も出ず快音は放たれなかった。
今度は120kmでと速度をちょっとずつ落としても、鈍った体でバットを振っているユースケの体力も一緒になって落ちているので、二、三本のヒットが出ただけで力尽きてしまった。
モナもそんな様子を見ていてはかける言葉も見当たらない。
「モナちゃんもやってみる?」
「いや。こんな速いの、怖い」
「コレじゃなくても一番遅いヤツあるから。80kmとか」
「そうですか。でも思ってたより怖いんで、大丈夫です」
ユースケが前に飛ばせず、後ろで見ているモナの方ばかり球が向かっていったので、すっかり怖気づいてしまっていた。
「じゃ、飯に行こうか」
いったい何のためにここまで来たのか。はるばる電車に乗り、良いところを見せられず、モナをビビらせ、また電車に乗って戻る。
バッティングセンターを出るエレベーターの中はこの日一番の気まずい空気が漂った。
〈続〉
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