マドンナ 第1話《恋愛講座》【短編小説】
『LINEとか電話で告白したほうが緊張しないし、もしフラれた時に気まずくないからいいな、なんて思ってませんか? いえいえ告白するときは直接会って告白しましょう』
――何を今さら。
ユースケは当然とばかりにニヤリと笑みを浮かべた。
カタツムリのようにこたつに入って、スマホに映る美人ユーチューバーを食い入るように見ている。
こたつの上には、スープの残ったカップラーメンが数時間前から置いてあり、空になったペットボトルや食べかけのポテトチップスの袋、丸めたティッシュなども散乱している。サラリーマンの怠惰な休日である。
あとひと月で四十を迎えるこの男の、いかにも不健康な生活を咎める者は誰もいない。
八畳一間の暮らしは、もう十年になる。入居当時は新築だったこの部屋も、すっかり物が増え、雑然としている。悠々自適とも言えるし、怠けるに任せた暮しとも言えた。
手元の画面に映し出されているのは【サチのモテ男養成講座】というYouTubeチャンネル。元ナンバーワンホステスが、五万人もの男と接客してきた経験談から、モテる男の秘訣を指南するチャンネルである。
開設されてから二、三年ほど経つが、早い段階でこのチャンネルを見つけ、登録をしてアップされた動画を欠かさずに観ている。
動画主のサチはタレントと遜色ないレベルのルックスを持っているが、目の保養という目的以上に、動画内で語られる〈女性はコレをされるとキュンとする〉〈モテる男が必ずやっていること〉〈この会話ができれば彼氏候補〉と、モテるための恋愛テクニックを真摯に学ぶ目的の方が強い。
ユースケには、付き合いたいと想いを寄せる女性がいた。通っている店のキャバ嬢でモナという二十歳の娘である。
キャバクラを始めてまだ一か月の新米キャバ嬢で、彼女が入ったその日からすぐに気に入り、この短い期間で何度も通い詰めた。そして、その甲斐もあってモナをデートに誘うことに成功した。
もちろんデートの誘い方も、この【サチのモテ男養成講座】から学んでいる。
なにしろデートの約束を取りつけるのも一苦労で、その第一関門を突破できたのは、偏にサチの指南のおかげだと思っている。
〈告白を成功させたい必勝法〉とタイトルのついた動画がアップされたのを見て、他の動画に目もくれず、すぐにタップした。まさに今、学んでおきたいノウハウだった。
このチャンネルの良いところは、サチの経験則から語られるのみならず、心理学を学び、それに基づいて女心がどのような状態にあるのかを解説してくれている点である。ただの感覚的な話に終始するだけでなく、心理的根拠や裏付けがあるのは非常に心強い。
『目の前で告白されると断りにくくなります。断って関係が悪くなったり気まずくなったりしたらイヤだなと、不安になったり罪悪感が生じたりします。相手が目の前にいることでその心理的負担がかかるので、断りにくくなるわけです』
――そんな効果があったのか。
ユースケが考える直接告白する理由は少し違っていた。
正面切って「好きだ!」と言えば、女性はその衒いのない言葉に心が揺れて、成功率が高まるものと考えていた。本気で付き合いたいと思うのなら、ちゃんと目を見て言わなきゃ、本気さが伝わらないだろうと。
いずれにしても、直接告白すること以外に考えていないので、これは問題なかった。
『告白は食事デートの後にしましょう。美味しい食事をしながら話すと相手に好印象を与えやすくなります。美味しい食事は快楽感情を生み出し、その場にいる人と結びつけてしまいがちです。その結果、素敵な話だったな、魅力的な人だなと相手に好感を持たせることができます。そういうわけで、食事した後に告白した方が成功率は高くなるでしょう』
――言わずもがなだな。
告白までの流れで、どれだけ盛り上げていけるかが告白成功のカギになるのは、十分承知している。
そう考えれば自然と、美味い飯を食って、美味い酒を飲んで、この人と一緒にいて楽しいなと思わせてから告白する流れになるだろう。これも定石である。
『ムードのある場所で告白することが大切です。告白する場所も重要なポイント。周りがざわざわしていたり、明るくていろんなものが目に入ると、相手は意識が散漫になりアナタに集中できなくなります。静かで暗い場所であれば相手はアナタに集中します。それに、暗い場所にいると目の瞳孔が開きます。人は恋をしている相手を見ると瞳孔が開きます。するとそれを見た相手も、脳が勘違いを起こしアナタに恋をしてしまう可能性があります。また瞳孔が開いていると魅力的に見えるという研究結果もあります。ですから、告白するときは静かで暗い場所を選ぶといいでしょう』
これもユースケは心に決めている場所があった。ズバリお洒落に整備された港である。
繁華街の灯りを遠めから望めて、かつ暗すぎないように小さな街灯が散らばっている。ベンチがそこかしこにあり、たゆたう波の音と薄闇に隠れてカップルというカップルがイチャイチャのし放題。これほど女心をくすぐる格好の場所はない。
ただ、瞳孔が開くと魅力的に見えるというのは新情報だった。これは意識しておく必要があるなと、ユースケは瞳孔を開こうと何度も目をひん剥いた。
サチの心理的解説は、しばしばユースケを誤った解釈へと導く。
瞳孔の開閉は己の意志でできるようなものではない。だが、ユースケは敬愛するサチが言うのならと誤った形で鵜吞みにし、デートの最中は瞳孔を開こうと考えているのである。
これだけではない。
例えば、『建物に入るときや車に乗るときは、ドアを開けてエスコートしてあげましょう。女性は気遣いをしてもらえていると感じると、アナタを魅力的な人だと思うようになります』とサチが言えば、行く手を遮る位置に立ってドアを開けるものだから、女性は狭いところを窮屈そうにすり抜けて入る。
『彼女と二人で歩くときには、男性は車道側を歩いてあげましょう。そうすることで女性は守られていると感じられるようになります』と言えば、守ろうと意識するあまりグイグイ距離を詰めるものだから、女性はどんどん端へ追いやられユースケと板挟み状態になったりするといった具合だ。
サチのアドバイスを忠実に実行してはいるのだが、ユースケの手にかかると見事なまでにズレが生じる。もちろん、ユースケはアドバイス通りにやっているので、モテ男ポイントは上がっていると思っているのである。
〈続〉
#創作大賞2024 #恋愛小説部門
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