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マドンナ 第10話《正念場》【短編小説】

 予約したピッツェリアは港に面した場所にあった。実際に行ったことはないが、調べる限りオーシャンビューが売りの店であるらしい。これまでに思ったほどの成果が出せていないユースケは、せめてここだけでも思い描くイメージに合うことを願った。
 津先つさき駅から地上へ上がると、日はすっかり暮れて、街には明かりが灯っている。通りを吹き抜ける風が強くなり、陽が落ちたことも相まって寒さが増したように感じる。
 けやき通りを歩き、大きなイベントホールの建物を通り抜けて向こう側へ超えると、視界が開け浜側はまがわ港が見渡せる。そこからボードウォークを歩いていくと目的のピッツェリアに着いた。
 店に入り予約した旨を告げると、全面ガラス張りの窓際の席へと案内された。ライトアップされた湾上の大橋、フットライトで縁取られたボードウォーク、色とりどりに光を放つ大観覧車、津先つさきのシンボルがきらびやかな明かりを灯し、うっとりするような夜景が眺望できる。
「すごい、おしゃれですね」
 モナは目を輝かせながら呟いた。ひとまずは、モナを喜ばせることができたようである。まだ挽回のチャンスは残されている。
「とっておきの場所でさ、モナちゃんにこの景色を見せてやりたかったんだよね」
 だいぶ芝居がかっているクサイ台詞だ。それにウソもついている。だがようやくモナにアピールできるこの取っ掛かりを、逃すわけにいかなかった。
 ここからはサチの教えを遺憾なく発揮する場面である。
『女性の警戒心を解いてやること』
『女性が魅力的に感じるのは話を聞いてくれる男性』
 この二つのポイントを忘れてはならない。
 モナが先に座ったのを確認してから、ユースケは着席した。
 一枚のメニュー表に、店の全ての料理が羅列されている。品数はそれほど多くない。ピザが二種類と、アンティパストがサラダや肉料理を含めて十種類ほどだった。
「あれ、メニュー少ないな。こんだけ?」
 メニュー表を裏返しても、なにも書かれていない。
「そうですね」
「他にないのかな。ちょっと聞いてみようか」
 すいませんと言って手を挙げ、厨房の出入り口付近に立っていた女性のホールスタッフを呼んだ。
 あまり大したことではないが、店員をわざわざ呼んだのには訳があった。
 店員とのコミュニケーションで、くだけた雰囲気を作れると、一緒にいる女性は好感を抱くという。ユースケにとっては得意分野であり、モナに安心感を与えるいい機会だと考えていた。
「メニューって、ここに載ってるもの以外はないんですか?」
「そうですね。ここに載ってるものだけになります」
「あ、そうなんだ――ピザも二種類だけ?」
「はい。ただ、本場のナポリで修行をしたピッツァイオーロが作ってますので、伝統的な素材の味を楽しんでいただけると思います」
 何度も質問されているのか、女性スタッフは淀みなく、自信を持った調子でハキハキと答えた。
「へぇ、本場のピザ。どっちがオススメ?」
「んー、どっちもオススメです!」
 本当に悩むようにして、どちらも美味しいという気持ちが伝わってくる。
「どっちも? まいったな、そしたらどっちも食べなきゃダメかぁ」
「食べられるようでしたら、ぜひ」
「これ大きさはどれくらい?」
「約三十五センチなので、デリバリーピザなんかで言うところのLサイズぐらいはありますね」
「いや、デカいな。デカいよ、お姉さん。二枚はムリだ」
「そうしましたら、次にまたお二人でお越しいただければ、どちらも召し上がっていただけますので、ぜひ」
「あら。ここでもう次の予約を取っちゃうの? 商売上手だね、お姉さん」
 別の意味でモナと次に来る機会があるなら、こっちだってそうしたい。
「じゃ、また二人で来れるように頑張るから」
「ありがとうございます」
 こっちの真意は伝わっていないだろうが、向こうもそんなことは気にしていないだろう。
「また、決まったら呼びます」
「かしこまりました」
 女性スタッフは、また厨房の方へと戻っていった。
「本場のナポリピザだって」
「こだわってそうですね。すごい楽しみ」
 二人で再びメニューに目を落とし、ピザはマルゲリータに決めた。アンティパストも種類が少ない分だけ迷うこともなく、すんなりと決まった。
 ドリンクメニューの方が種類が豊富だったが、お互いはじめはビールということで、こっちも決めるのに時間はかからない。
 再び女性スタッフを呼んで注文をすると、また元気で溌溂とした調子で料理名を復唱し、少々お待ちくださいと言って下がっていった。
 食器やおしぼりを渡してあげて食事の準備を整える。
 ほどなくしてお互いの手元にビールが届いた。ジョッキではなくオシャレなビールグラスである。
 乾杯をし、喉に流し込む。
 通常ならビールグラスくらいだとほぼ一気に流し込んで「クーッ」と声を上げるところだが、ここではそんなことはしない。モナの飲むペースに合わせて、少しずつ口にしていく。順調な滑り出しではないだろうか。
 次に前菜の盛り合わせが来た。生ハム、サラミ、海老のマリネ、オムレツ、鯛のカルパッチョ、キノコのソテー、豚ロースのロースト。それぞれ二人前ずつ盛られた品々を取り分けにかかる。
 この取り分け作業はユースケにとって非常に苦手とするものだった。
 なによりも面倒が先立ち、取り分けるスプーンとフォークが上手く扱えない。取り分けてもらうにしても、なんとなく話ができずその様子に見入る時間になる。マナーと言えばそうなのだろうが、ユースケには不毛な時間に思えてならない。
 だが、この場面ではそうも言ってはいられない。普段はモナが接客する立場でやっていること請け負うことで男の株を上げるのだ。
 取り分け用のスプーンとフォークを手に取ると、途端に緊張が込み上げてきた。
 取り分けの上手い人は、これを片手で持ちトングのように扱う。そんな高度なことができるはずもないのに、なぜか片手に収めてしまった。
 右手の握りが上手くいかず、左手で添え直そうとカチャカチャカチャカチャと音が鳴る。サラミを挟もうとするが、なかなか掴ませてくれない。やっと掴んだサラミはUFOキャッチャーでかろうじて引っかかっているぬいぐるみのように危うい。プルプルしながらなんとか小皿へ移った。
 静かに一息つくが、緊張は高まるばかり。次の鯛のカルパッチョを取ろうとしたところで震えが極限に達し、皿にカチカチカチと音を立てたところで、モナが両手で鼻と口を覆うようにして笑った。
「そんな――ムリしなくてもいいですよ」
 込み上げる笑いを抑えるようにモナは言った。
 どこか自然体の笑顔のように見えた。
 キャバクラにいるときも今日のデートでも何度となく笑顔は見てきているが、それはあくまで仕事上での社交的なもので、この瞬間は友達感覚にも似た、気を許したものに感じた。
 高まる心臓の鼓動がスーッと引いていき、自然と余計な見栄を張るのはやめようという気になった。
「そうだよね。ちょっとレベル高いわ、オレには」
 右手にフォーク、左手にスプーンを持ち直し取り分けに入るが、さしてクオリティは変わらなかった。常に危ない橋を渡っているような有様だ。
 モナはずっと両手を鼻と口に当てたまま笑い続けている。
「わたし、やりましょうか」
 目尻に涙が溜まったのか、軽く拭った。
「いや、大丈夫。ここはオレがやるから」
 下手でもなんでもいいから、とりあえずこの場はやり切りたいと思った。
 どうにか前菜を全て分け終え、小皿をモナの前へと置く。
「大変お待たせしました」
「大変お待ち致しました」
 モナが珍しくおどけるように返した。
「大変、失礼致しました」
「いいえ、ありがとうございます」
 そのノリに合わせるようにして応じて互いに一礼を交わし、食事へと移った。
 モナが笑ってくれたのは救いだった。イメージとは違ったが、結果的に『女性の警戒心を解いてやること』はできたような気がする。
 だが、まだまだ油断してはならない。
 食べるとき、飲むときもモナへの気配りを欠かさないこと。ガツガツと食べ進めずにペースを合わせ、グラスが空きそうになったら次の飲み物を訊く。そのことを意識しながら相手の話を聞いてやるのだ。実にやるべきことは多い。

〈続〉

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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