君たちはどう生きるか、、、
先日、話題の映画「君たちはどう生きるか」を見た。
何となく気になっていた映画で、反響も賛否両論あり見るか見まいか悩んでいたところ、娘からお誘いが。
50代の私、20代の娘、さてどんな感想になるか、ワクワクした気持ちでいざ鑑賞。
穏やかさが刺激に
エンドロール後、明るくなった会場で二人顔を見合わせ、「んー、良かったね」の笑顔。
確かにパーツパーツを見ると難解な部分も多くあったのは確かだが、久しぶりに考えながら見た映画だった。
最近ネトフリ、アマプラに侵され甘やかされた私の脳には、終始穏やかな流れのこの映画が逆に刺激的で、自分の頭で考え、想像する楽しさと感動が蘇った。
映画では祖父、母、子の三世代が描かれているが、私は自分に置き換えて5世代を回顧し各々の立場や思いを振り返る良い機会に。完全に頭の中でN〇Kのファミリーヒストリーが再現されていた。
戦時中を体験した祖父母、原爆投下、東京大空襲を経験した父母、そして古い価値観・風習の堅持と進化を求める中で揺れ動く私たち、物に溢れ恵まれた時代と言い放たれた子供たち、そして令和5年生まれの孫。
「今」を生きる若者の悩み
映画を見終えて、数日前まで悩んでいた新社会人の娘が少し元気になったような気がした。
いまの子供たちを見て思う事は、私たちはこんなに悩み、苦しんでいただろうかと言う事。
今を生きる子供たちは遥かに頭が良く、問題意識が高い。現在は昔と違い、主義主張もしやすい。しかし取り巻く環境は決して生きやすくなく、こころと身体のバランスを保つことさえ時に難しい。正解が何かを見つける前に様々な壁が立ちはだかる。
また、自分の「現在地」を図る様々な基準や物差し的ツールがある。
声高に叫ばれる自己肯定感もその一つ。
私の青年期を振り返っても自己肯定感などの意識、記憶がほぼない。その存在すら気づいてなかったのだろうか。
完璧な自己肯定感なんて誰も持っていないよ、生きながら身に着けて、失敗を繰り替えしながら得ていくものと思える。
しかしそれが備わっていない事がまるで大きな問題、欠点であるかのように悩み、長点を闇に葬ってしまう。
自己肯定感がなくても息はできる、生きている事だけでOK。そんな昭和おばさんの価値観は一蹴されるかもしれないけど、苦しみ病む前に、そんなものは生命を脅かすほどのものではないと見限った方がいい。
グレーで生きる
自分に様々なスキルが備わり、自信に満ち足りていればそれに越したことはない。でも世界中のほとんどの人がそれには当てはまらない。
完璧を求めるあまり、自分の良さを評価、認識できない。そんな世の中は病む人を増産する。
際立つ白でも、漆黒の黒でもないグレーで生きる。これって大事。時には白寄りのグレーだったり黒寄りになったり…
君たちはどう生きるか、、、
まさに子供たち、孫たちに向けられた言葉でもあり、老年期に差し掛かる私自身にも投げかけられた問いかけだ。
娘も私も答え探しはまだまだ続くだろう。
一緒に生きながら考える、考えながら生きる。
そして答えが見えてくればいい。
それでいい。
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