アイアムジャパニーズ。【フィンランドで感じた日本人としての自分】

日本にいた自分

日本人っぽいなんて嫌。最長2週間の旅行を除き、フィンランドに来るまで、日本でしか生活をしたことがなかった。ただ、その最長2週間の海外が、私の世界を広げてくれた。日本以外の広い世界を知りたい。日本だけで、満足するなんて無理だった。そんな私は、海外に対して強い憧れを持ったし、日本へのイメージも相対的に下がっていた。進路選択からも逃げたかった私は、留学を願った。

フィンランドに来て思うこと

「私、日本人だ。」フィンランドに来てから、アジア系で日本人という自分の属性を意識するようになった。日本人がデフォルトの日本では、自分の国民性について、一度も考えたことがなかった。人種や民族に関する情報は、日本でも触れることができた。しかし、自分には関係ないことであり、意識する余裕は持ち合わせていなかった。

面白いことに、日本に対する愛着まで湧いてきた。コロナ禍フィンランドでの私の属する小さなコミュニティの中では、私が唯一の日本人である。あれ、「自分、日本代表か?」

なぜ?

では、なぜそんな変化が生じたのだろうか。自分なりに4つの理由を考察してみた。

一つ目は、周りがみんな外国人であるからだ。いや、自分が”外国人”になったからだろう。人口密度の低いフィンランドにおいて、コロナの影響も受け、日本人に会う機会は少ない。金髪と青い目がデフォルトの地(偏見ではなく、一般論)で、黒髪(茶髪)と黒い目の背の低い日本人が私である。英語やフィンランド語を話す、背の高い人々を見上げながら、「自分日本人なんだなぁ」と思わずにはいられない。日本語しか使ってこなかった自分にとって、フィンランド語、英語、たまにスウェーデン語、さらに別の言語をも話す人々との出会いは、驚きである。親が外国人の子供ほど、多様な言語(フィンランド語、英語、スウェーデン語、親の言語等)を使いこなすため、教育の中における言語の存在位置の違いを強く感じる。

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二つ目は、フィンランドを知るためには、日本を知っている必要があるからだ。フィンランドに来て、日本の常識が非常識となり、フィンランドの常識が自分の中に入ってきた。全てが新しく感じた。が、日本と比べることにより、新たに感じることが可能となる。フィンランド特有であることを、断定するための判断基準が必要である。
また、フィンランドの文化を紹介されて「日本はどうなの?」と尋ねられる機会が非常に多い。「日本はね…えっと…。」と言葉に詰まり、自分の日本に関しての無知を実感した。新しい文化を紹介してもらっているのに、自分の文化すら紹介できないことを恥ずかしく思った。そのため、日本について調べることが増え、日本の特有の文化を意識し始めた。また、日本文化を説明するにあたり、日本の自慢をしたくなるのが自分の性である。日本のいい面をさらに調べるようになったことで、日本の良さを再認識するようになった。

三つ目は、ヨーロッパの多国籍性のためである。ホストファミリーはフランス人で、よく会う友人はフィンランド人で、さらに知り合いにはトルコ人、ロシア人、イタリア人等など...といろんな国の人に出会う。ヨーロッパは、国家間の関係が強く、移動も簡単であるために、いろんな国の文化が混ざりやすい。その中で、自分の国を保つためには、それぞれの文化を大切にしてきているのだろう。そのため、日本人比べて、自分の国の話しをする機会が多いように感じる。特に、長い時間を共にするホストファミリーは、母国であるフランスの文化を日々たくさん紹介し、フィンランドと比べてどうだとか言い、自分の国に対して、強い意見と誇りを持っているように感じる。自分の国が好きってかっこいい。自分も、日本を好きになりたいと感じた。

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四つ目は、自分のネームブランドが「日本人」だからである。自分が、お世話になっている人々に対して何ができるかと考えたときに、日本らしいことをしたいと思った。フィンランドに来て、人との縁の大切さを実感し、何等かの形でお礼をしたくなった。貧乏な学生であるので、高価なものとしてではなく、時間や手間をかけてでも、自分ならではの形でお礼をしたい。自分ならではと考えたら、日本らしいものだろっ!という結論に至った。英語でたくさん話せるわけでもなく、日本美術のセンスがあるわけでもない自分だが、少しでも日本の文化を紹介したいと思うようになった。日本で生活をしていた時に、留学生の友人が母国の料理を振舞ってくれて、その国に対して興味が湧いたし、とても嬉しかった。自分も、あの時の喜びとわくわくを提供したいと思い立った。

いざ実践

では、私がフィンランドで実際に始めたことについて紹介をしていきたい。

フィンランドに来てから、日本料理を作るようになった。ホストファミリーのおいしいフランスの家庭料理を日々味わせていただいている。ホストファマザーはリモートワークに追われながらも、見事な料理をてきぱき作っていく。そんな彼女にあこがれて、食べることが大好きな自分も料理をしたくなった。しかし、洋食は彼らにとっては面白くないだろうし、自分ならではとなったら和食しかなくなった。夕食の後には、デザートを食べる文化もあるため、和菓子も挑戦することになった。大学に入り、一人暮らしをしていたときから料理はしていたが、日本料理をあえて作ろうと思うことはなかった。そんな自分が、日本料理を楽しんで作るようになったし、思いのほか何でも作れることが面白い。日本のように、材料も調理器具も整っているわけではないが、なんとかアレンジできるのだ。
まず、米は鍋で炊くことが基本となった。私の家には、炊飯器はないし、ホストファミリーが鍋で米を炊く方法を教えてくれた。餡子も豆を茹でるところから始め(さすがに育てれてはいない)、花見の季節には、桜の葉の塩漬けを準備し、道明寺粉用にもち米を蒸した。釣ってきた魚で、かまぼこも蒸した。日本料理について、ここで書き始めたらきりが無いことを悟ったので、また別の投稿をしたいと思う…。

また、小学生時代ぶりに折り紙を始めた。折り紙を持ってきていたので、使うべく、折り始めたのだ。Youtubeの普及により、ありがたい折り方動画をたくさん閲覧できる。立体の作品は、美しく、日本ならではの素敵なプレゼントになる。Origamiの認知度は高い。特に、和紙の折り紙で作ると、紙がしっかりしていて、品のある粋な作品となる。ちょっとした折に渡すと、かなり喜ばれる。

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なんて、日本アンバサダーであるわけではない。ただ、自分は日本人だと思うと、少し気が楽になった。日本人なんだから、英語が完璧ではないことも、文化の違いに驚くことも当たり前だ。何も張り合わなくてよいのだし、「私は私」と思ったら、肩の力が抜けていった。”I am me.”ではないのだ。

日本で、自分の両親の元に産まれたことを感謝をしている。今の自分がいること、このnoteを書くことができること・読むことができること。

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