「不適切にもほどがある!」が抜けないまま「四月になれば彼女は」を観た。
(映画の内容にふれます。)
夫を誘って「四月になれば彼女は」を観た。夫と恋愛映画なんて久しぶり、いや初めてか?とウキウキしながら行った。
そして映画の後。
「前半暗かったね」
「つらかった」
「あそこのシーンの意味、わからなかったね」
「こういうことじゃない?」
「過去と今の場面の切り替え方が良かった」
等々、ちょっと気を使いながらも、内容の消化不良が多くて話がはずんだ。観て後悔はないが人におすすめはしないというのが私達の感想である。
事前に知っていたが「不適切にもほどがある!」の純子ちゃん役の河合優実が弥生の妹役で出てきて、「おー来た来た!」と私は内心盛り上がった。
そして「あれ?ペンタックスってふてほどの安森先生?」と気付き、嬉しい驚きだった。それにしても「ペンタックス」は長いので、呼ぶときには「ペンちゃん」とか「ペンタ」になるのが自然な気がする。
映画の中で、藤代と弥生が同居していても部屋で別の画面を見たりして心を十分に通じ合わせていない描写があり、私も含め今の生活でやりがちなことだと思った。
私も息子たちが大きくなり油断があった。でも「お母さんスマホ見過ぎ」と指摘され、スマホというかイヤホンで家族に少し壁を作ってしまっていたなあと反省したばかり。そこで、バラエティ番組を見ながらそこにいる家族の誰かとダラダラしゃべることなどを意識的にやってみたら、満たされるものがあった。
ここからは、「不適切にもほどがある!」寄りの感想かもしれない。私は「男が作った物語のために女が死ぬ」ことへの拒否感がある。今回の映画はそれがちょっと発動した。
でも人は全員死ぬから、大河ドラマやモデルがいる朝ドラなどでは、史実の順番で登場人物が死んでいく。そこに拒否感はない。「不適切にもほどがある!」でも純子ちゃんは死ぬかもしれない。でも市郎も同時に死ぬとそこは男女平等なのかもしれず、女が死ぬジャンルとは違ってくる。いや、たとえ純子ちゃんだけが死んでもどうなっても、これまでの描写が十分なので納得できる。
一方、「四月になれば彼女は」のほうは「男が作った物語のために女が死ぬ」ジャンルに王道ではまっていると思った。これを言うとめんどうくさい人になりすぎるので、夫には言わずnoteに書くに留める。
そして藤井風の主題歌「満ちてゆく」!
映画館に行ったかいがあった!
映画の世界と歌の世界、かけ合わせて何倍にも思いが膨らむ主題歌だった。