慣習へのwhy

日頃生活する中で,人には体に刻み込んだり,その場の流れであまり考えずに何かするということがあると思う.
例えば年賀状.最近切手やハガキの値上がりと反比例に廃れていっているようではあるが,一応長年の慣習として受け取ったら返すし,何をしているか気になったり付き合いの長い相手には送っておこう,というのが暗黙の了解で貰ったら返す,知り合いには送る.ということを毎年皆ひいひい言いながら,強制されるでもないのにやっているのではないだろうか.
私も学生の分際であるとはいえ律儀に毎年贈ってくれる知り合いがおり,年始忙しいんだけどな…と少し疎ましくも嬉しくて簡素に返すようにはしている.
しかし,こうして年賀状を書いていていつも私はもやもやを覚えていた.そして同じ感覚になっている人も多いように思う.

そのもやもやに彼氏がジャストミートに答えを与えてくれた.
遠距離の彼氏と夜中電話しているとき,彼氏は話下手の私に聞かせるように日常の出来事を語ってくれるのだが,ある日母親との口喧嘩についての下りが話題に挙がった.最初は母親のテレビのリモコンを取ってくれという些細な要望からでた「今まで育ててきて(意訳)…」的な親がよく子供に吹っ掛ける恩着せがましい小言に怒りを覚えた彼氏が,理詰めでその偽善と論点のすりかえを指摘したという話からどんどん日々の疑問に話が膨らんでいったのだったと思う.
夜行性の彼氏へ,母親は普段「朝型の生活スタイルにしろ」と口ずっぱく文句を言っているらしい.が,ここで彼氏はめんどくさがってうやむやにしたり生活スタイルを治すという行動に向かう前に疑問に思うわけである.
自分が最も頭を回転させることが出来るのは夜間だし,体調的にベストなコンディションでいられるのも夕方からだ.これ以上の論拠やメリットが無いのであれば,無理をして朝型の生活にするよりは,今の生活スタイルでいた方が自分の最善を尽くせる.という風に
そしてこの朝型夜型の話から彼氏の話は世間一般で信じられていたり,あがめられているかのように独り歩きしている慣習への疑問へと一気に飛躍した.
朝型生活への盲目的な信仰.年賀状を忙しい年始に送ったり返したりするのはなぜなのか.そもそも年始が忙しいのはなぜか?掃除始めなんてものがあるからだ.何故普段掃除して清潔を保っているのにわざわざかしこまって神聖な儀式かのように掃除を繰り返す必要がある?
彼氏の言いたいことは大体こんな感じである.こういった慣習の裏側に,母親が言った小言のような偽善を,彼氏は嗅ぎ取っているのだ.
確かに,年賀状なんてよくよく考えるとおかしな風習である.手紙の丁寧な文章の練習になる?そんなものは年賀などで練習せずとも身に付けておくべきだろう.相手がどうなっているか気になる?余計なお世話である.新年だからおめでたい?そんなことはだれが決めた.また仕事が始まるのか,またこの世界にいなければならないのか.新年への感覚は人それぞれだろう.
私が感じたもやもやは,こういった彼氏が分析しているようなことをすることもなく,漫然と日々を過ごす自分の姿勢へのもやもやであったと思う.
僕の彼氏はなにも妖怪に合理的な説明をするといった無粋なことをしているわけではないし,推奨してもいない.ただただ,伝統や慣習といったものに分析も加えず,漫然と付き従うのはおかしい,そういっているのである.

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