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内的欲求

目指すもの、志すもの

内的欲求に駆られて、彩られて、野菜や堆肥、そして花を育ててきましたが、その価値を共有できる人に出逢うことは稀である。ほぼ無い。

具体的な生ごみリサイクルにおいても、またコンポスト学校の取り組みにおいても、具体的な活動はコピーできても、真意を伝えるのは困難である。

形やレシピは伝えることができるが、伝授は難しいものです。それは感性の世界、自然と
意識の融合なのです。

有機栽培において意識的、感性的な技術開発をすることで、少しは社会の役に立ってきたようですが、殆ど共有理解が生まれないものです。

私は20才の時、ジョージアダムスキーの「宇宙哲学」という本を少し読んで、人間の本質は「宇宙意識」Cosmic Consciousness
とわかり、その意識の元に生きてきたからです。
農業の持つ公共性や美的要素(芸術性)に、魅入られたのも、それは私に内在する生命的な存在意義を顕現しているからです。

しかし世の中は具体的な腐敗しやすい生ごみを発酵型に変えて、発酵堆肥を作るとか、の技術として顕現しないと、伝えられないものです。

もう少し美的要素が強い有機和花になると、心が美しいとか、ニルバーナ欲求に目覚めていないと伝わらないのです。

形としては無肥料、不耕起、草生栽培は、入り口としては用意されているのですが、その花の持つ霊性(誤解されやすい言葉)と同調できるかです。

人生で気をつけてきたことは、世俗のマスコミ、政治、行政、金銭欲、怒り、不安から離れることでした。これらの中身は自己中的な欲の顕現しかないのです。

だから畑に入り、堆肥の香りに透明化し、這いながら土や雑草の影響を受けて、同化することで客主同一に進み、自然から本然と一体化することができるのです。

これは我がこどもにも伝えることは不可能です。それは感性と霊性の世界だからです。

農業の持つ公共性と芸術性に目覚める農家が増えれば、日本農業も進化すると思う。

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