3月5日の総務委員会における市の答弁の問題点
2024年3月5日に行われた総務委員会では、今回の条例案を提出した市からの説明と、総務委員(市議会議員)から市への質疑が行われました。
3月5日の総務委員会速報版 ⇩(人権条例については18ページから)
https://www.gikai.city.mitaka.tokyo.jp/reference/pdf/20240305administrationprompt.pdf
上記のリンクから当日のやりとり全てを読むことが出来ますが、話し言葉なので、理解しにくい部分もありますし、人権条例についての部分だけでも30ページ以上になるので、この記事では市の答弁から分かった事や問題点をいくつかあげてみます。
まずは、「市民の会」が陳情を出して修正を求めた禁止規定と救済措置について取り上げます。
〇禁止規定について
「市民の会」の陳情では、第4条(権利侵害等の禁止)の各項は過度に広範、または不明確な表現なので、内容をより明確にするため、差別してはならない属性を具体的に例示したり、禁止事項を絞り込む等の修正を求めました。
パブコメの対応集同様、この日の市の主張は、前文で差別してはならない属性を例示しているのだから条例全体に適用される、条文に重複して書く必要はない、というものでした。
ですが、前文はあくまでも前文であって、何かを定めている訳ではありません。
こういう気持ち、考えでこの条例を作ったよ。
こういう必要があるから、この条例を作ったよ。
などという事が書いてあるのが前文であって、実際に効力を持つのは条文です。
今回の場合、条文に明記しなければ拡大解釈する余地が残ってしまいます。
総務委員の野村議員(きらりいのち)も「具体的な項目をきちっと例示をして、こういう差別、こういう行為が差別であり、だからそれはしてはいけないのだということをきちっと明示していかないと、逆に何でもかんでも差別だって叫べば差別になってしまうのか(なぜ差別してはならない属性を条文に具体的に例示をしないのか)」という質問をしました。
市長は、「個別に差別された事象を例示として挙げていったら切りがないんじゃないですか、それこそ」「具体的な例を100でも200でも挙げるという話ですか」と答え、話が全くかみ合いません。
前文に書いてあるのに条文に書かないのは、あえて、何か意図があっての事かな?と深読みしてしまいます。
以前「市民の会」が主催したイベントでも、差別してはいけない属性を条文に例示しなければ効力を発しないと、複数の専門家から指摘がありました。
このことについて、市長は以下のように答弁しました。
「私は全く理解できませんが、ほかの自治体で前文で書いてあって、個別の条文で書いてあると何か効力発しているんですか。私、他の自治体の実例、いろいろ調べて聞いていますけれども、実際にこれによって禁止して、それでもって何か裁判してどうのこうのという話も聞いたことないし、かえって悩んでいるところが多いですよ。ですから、我々からすると、前文で書いてあるんだから、条文の中で書くことで二重に重複しちゃうだけの話じゃないかと思いますけどもね。ですから、何度も言っていますように、この条例の前文を見ながら判断していただきたい。川崎とか、国立とか、事例で我々も調べておりますけれども、それによって効力を発したということを特段聞いていませんが」
市長が例に出した川崎市と国立市の人権条例では、条文でも差別してはいけない属性を例示しています。
そして、「裁判でどうのこうの」という話ではなく、市が実際に対応し、一定の効果が出ています。
「かえって悩んでいる」って、どう悩んでいるのでしょうか。
この後も、差別してはいけない属性を条文に書かない方が良い具体的な理由を聞くことはできませんでした。
前文と同じ例示で良いから禁止規定に明記するべきだ、という意見を頑なに否定する意味が分かりません。
〇相談員や救済措置について
まずショックだったのは、市の救済についての考え方でした。
「救済の範囲というのは難しい」(企画部長)
「人権の救済の認定という判断ってどこにするのか。そうなると、やはり一定の司法判断なのかなと」(企画部長)
「本質的な救済というのは市の条例の中で対応するのはほとんど不可能」(市長)
救済する気、ありませんよね。
他にも「何が差別にあたるのか、結局は司法判断になる」という趣旨の発言も、複数回ありました。
差別された被害者がいちいち裁判を起こさないと救済されない社会で良いのでしょうか。
被害者が裁判を起こすには大きな負担がかかります。
金銭的な面もありますが、精神的な負担も大きく、泣き寝入りせざるを得なくなる場合が多いのではないでしょうか?
市の考えでは、裁判を起こさなくても解決できる事もあるという事を全く想定していないようです。
市は、相談体制について、次のようにも述べました。
「法的な助言をするといったところに重きを置いています。まずは相談があった場合は職員がお伺いをして、その方が何を御相談したいのか、何にお困りなのかといったところ、きめ細かにお受けさせていただいて、しかるべきところを御案内する、場合によっては相談員を御案内すると、そういった運用を想定しているところです」
大雑把にいうと、窓口に相談しに行くと「訴えますか?訴えるなら法的な助言をする相談員につなぎますよ」と対応される感じでしょうか。
もしくは、違う部署や警察を紹介されるのでしょうか。
相談しに行った人は、たらい回しにされた気になってしまうのではないでしょうか。
「救済はできないけど、相談は受けます(弁護士紹介します)」
こう書いてある窓口に相談しに行こうと思うでしょうか。
〇権利規定が無いのはなぜか
誰もが差別されることなく安心して生きる権利がある事を、市民の権利として条例に明記するべきだと、パブコメでも多くの意見がありました。
野村議員になぜ条例に明記しないのか問われ、市長は次のように答えました。
「この条例全体を見ていただきたいんですよね。1つの文書の中に全ていろいろ詰めていると恐らく膨大なものになると思いますけれども、第4条で権利侵害等の禁止ということを一般的に述べているわけですから、この中に含まれると思いますし、第3条で、「自己と他者の人権に対する意識を高め、全ての市民が不当な差別を受けることなく暮らせるまちを実現する」ということでありますから、この文章全体、前文もそうですけれども、その中におっしゃる話はちゃんと入っていると私どもは認識している」
書いている側が認識しているのは分かっていると、質問した野村議員も言っていました。条例全体を読まないと分からないのなら、それは問題なのではないでしょうか。
総務委員の栗原議員(共産)も、なぜ市民の権利について書かないのか質問し、企画部長は次のように答えました。
「今回の私どもの理念条例としているところにつきましては、それぞれの責務を果たすことによって、誰もが暮らしやすいまちの実現を目指すといったようなところを想定をしているところでございます。そうした中にあって、権利も様々ございます。それをどこまで書くかというところもありますが、基本的にはそういった問題は日本国憲法においても十分規定されている内容でもございますので、私どもの考え方とすると、それぞれの責務を果たすことということに重きを置いた理念としているところでございます」
この企画部長の答弁を要約すると、
みんなが責務(基本理念に基づき、相互に人権を尊重するよう努めなければならない)を果たせば、誰もが差別されることなく安心して生きる事ができる。
日本国憲法に基本的人権として規定しているから、ここでは書かない。
この条例では、皆が責務を果たす事を理念として重視している。
という事ですね。
こう言われて、みなさんはどう感じるでしょうか?
権利が明記されていないと責務のみを科せられているような、
義務を果たさないと権利は享受できないと言われているような感じがして、とても違和感があります。
「憲法に書いてあるから」と言って済んでしまうなら、そもそものこの条例の必要性にも疑問が湧いてきます。
〇まとめ
大事なポイントに絞って取り上げてみましたが、いかがでしょうか。
市は「今回の条例はあくまでも理念条例である」という事を繰り返し言っていて、パブコメでも「市が考える理念条例の定義」の範疇を超える意見は一切受け入れていません。
「あくまでも理念条例」とする事によって、市は色々なことをやらなくて済むようにしたかったのではないでしょうか。
実際に何かあっても「人権侵害だ」「差別事案だ」と認定することもしない。
上記の認定をしないので、もちろん非難声明を市長が出すこともしない。
市は、この条例によって人権を侵害する行為を容認しない姿勢を示すといっていますが、容認しないだけで、実際に市民の誰かが差別されたとしても、ほぼ何もしてくれないと思います。
何が「差別」にあたるかは、結局は司法判断だ(市は判断しない)と言っているのですから。