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祖母と再会し感じた100年後

年末年始は実家の秋田に帰省をしました。

1月2日


コロナの影響も世間がようやく落ち着いてきたこともあり久しぶりの里帰りで祖母に再会しました。


私の祖母は、1930年昭和5年生まれ。
現在93歳です。

祖母は3年前から老人施設で生活を送っています。

秋田市から郊外にある老人ホームにつき、祖母と面会ができました。
しかしコロナの影響もある為、施設内に入る事は出来ず、アクリル板越しでの面会となりました。


祖母の声はマイクを通して何とか聞こえましたが、逆に祖母は耳が遠いのでアクリル越しでは私達の声はほとんど聞こえていないかなぁと心配になって、
マスクを外し「会いたかったよー」と言うと祖母は驚いた顔をした後に泣き出しました。


「ありがとう…」と話す祖母の言葉を聞き、目の前に生きているという事の大切さを、身に染みて感じた瞬間でした。
15分の面会時間が終わる時、手を握ろうとするも
アクリル越しのため握る事は出来ず…
いち早くこの状況が戻り祖母の手を握れる日が来る事を願わずにはいられません。
とはいえ数年ぶりに対面できたので言葉に表せないほどの感慨深さを感じました。

祖母との想い出





祖母は家族や友人に囲まれて、寂しい思いをすることなく、のびのびと育ったといいます。


福島県で育った祖母は、子ども時代はいつも友達と海で泳いでいたことや戦争を経験したこと。
20代で結婚し、二人の子どもに恵まれたこと。
看護師として命に関わる仕事をしてきたことが人生にとって大きな財産となったこと。

数々の人生のエピソードを聞いてきたが、そこには若かりしころの祖母の姿、景色、出来事があって、とても興味深く眩しいものでした。

90歳を過ぎた今、祖母は生まれ育った今の日本をどのように見ているのでしょうか。

施設に入るまでは、毎日のように私の身に起きた出来事やニュースについて語り合ってきた。
けれど、最近は認知症が進行して祖母の話を聞くことができなくなり、寂しさを感じています。

私の子どもを見て、ニコニコしながら見つめている祖母。
祖母の子どものころの子どもとは、また違うタイプの子どものはずです。

子どもが持っているものも、着ている服も、学校生活も、何もかも違うはずだ。

「すごいなぁ、イッキくんは。」

と、いつも子どもを褒めてくれていた祖母。

「沢山のことに挑戦するのもいい。けれど、一つのことを一生続けられる何かを好きなことを見つけなさい。」

そう祖母は言ってくれました。

祖母が50年も勤続していたナースの仕事のおかげで自分自身も健康で長生きしてきたのだろうと思います。

昭和から平成へ、平成から令和へ。祖母は、常に時代を感じながら、時代を読み解きながら、生きてきたのでしょう。

だからこそ、今の時代の子どもを見て、祖父の時代の子どもとは全然違うけれど、「一つのものを長く続ければ必ず自分の財産になる」ということは変わらないと教えてくれていると思いました。

これから100年後の日本はどうなっているのでしょう。
その頃、私の子どもは105歳になる。
元気な祖母のひ孫だから、105歳の我が子もこの日本に生きているのかもしれません。

100年後は、私たち大人にとっては、生きていない確率のほうが高いだろう。けれど、今の子どもたちは生きているかもしれない、とても近い未来。

105歳になった子どもに聞きたい。


「今の日本をどんな目で見ていますか?」

「あなたは、何を長く続けてきましたか?」

子どもはなんと答えるでしょうか。
私は直接聞くことができない。
けれど、105歳になった我が子の答えが少しでも良いものであってほしいと心から願っています。

そんな未来にするためには、100年後は生きていない私たちが、自分がいなくなったあとの未来に志を残すため毎日を生きていくことが大切だと思います。

今の時代を生きる私たち一人一人が、
未来に想いを馳せて一生懸命に生きる。

一つだけ一生続けられる仕事や好きなことで成し遂げたい事など、なんでもいいから何か志を見つけて、それに精一杯打ち込む。たったそれだけのことでも、この世界にいる一人一人がそんな行動をすることによって、世界は今より活気づいていき笑顔が溢れるのだと感じています。


そして、私にとって一生続けたい事、
生きづらい世の中だからこそ希薄になったコミュニケーションとスキンシップを取り戻し親子が笑顔で心から繋がる社会を創っていきます。
そのために出来ることは何か、親子を取り巻く課題について問い続け行動していく事です!

子どもにとっては何だろうか。5歳の我が子にも、何か「これだ!」と思うものを見つけて、力強く生き生きと100年後に向かって生きていってほしいです!

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