なぜ非認知能力が子どもの未来を豊かにするのか➀
アメリカでは貧困率が約50%という状況でこれは日本の約4倍に近いと言われていますが、
ある意識調査によるとアメリカと日本には類似した結果が出ているみたいです。
『国や政府が、自力で生きていけない貧しい人たちの面倒を見るべきだ』という意識調査に対し、、
『そう思う』と答えた人は、中国・イギリス・ドイツなどは90%であった。
つまり、貧しい人たちの支援を政府がすべきと考えている人がほとんど。
しかし、しかし、あのまともに医療保険が整っていない「The 自己責任」の米国でさえ約70%に留まっていたのに対し、日本では約60%という結果でした。
つまり、貧困は自己責任という考え方が日本では4割もいるということになります。
日本が「きわめて他人に冷たい国」
イギリスのチャリティー団体Charities Aid Foundation(CAF)が、
人助け、寄付、ボランティアの3項目についての評価を
各国別にまとめて発表する世界寄付指数(World Giving Index)。
その2018年の調査では日本は144カ国中、128位だった。項目別でみると、
恐ろしいぐらいに他人に無関心で、冷淡な国民ということになります。
和の国、なんて言われることもある日本ですが、実は「自己責任論」がとても強い国なんですね。
確かに、この数年のコロナ騒動では、「マスク」や「トイレットペーパー」に大行列。。。自分の身は自分で守る、そのような日本人特有の気質を感じますね。
しかしこれからの時代、自分1人の力では何も守れなくなってくるかもしれません。
他人の失敗に対するSNS上のバッシングや渦巻く自己責任論。
母親が子どもを乗せたベビーカーを一人で持ち、
階段を上がっているのに、
手を差しのべない人々。
お年寄りが目の前に立っていても、
スマホに気を取られ、
お構いなしに座っている人。
または、手を差しのべる人に対して、「余計なお世話」とキレる人……。
このようなギスギスとした日常をおくっていても、、、
そこで多くの人が口にするのは
「だって、自己責任やろ...」
という言葉です。
行き過ぎた自己責任論は、社会を停滞させる
自分の人生や暮らしの良し悪しは、
日々の自分自身の努力や頑張りが必要なのは勿論そうなんですが、
貧困が自己責任だと突き放し、結果として自己責任なんて持ちようがない子どもたちの間に貧困が広がることを、放置してしまっている。
「そんな子どもたちの未来のために何をしたらいいのか」
将来豊かな人生に成るか否かは、幼少期のある能力差で決定的に変わります。
○○○能力を育み、格差に挑む
少子高齢化社会により、
ますます人口減少が進み
個人の力だけでは世界に太刀打ちできなくなります。
最初に話を戻すと、
貧富の差が子育てに深く影響を与えているアメリカと、
日本も同じ方向性に歩んでしまう、それに警鐘を鳴らしたのが
著書
将来、貧困社会を解決するべく、子どもたちの未来が豊かになるような研究結果や成功事例の中で最も重要な役割を果たしたことが、
非認知能力であります。
非認知能力を考える上で避けて通れないのは、
認知能力です。
認知能力を一言で言えば
「測定できる能力」です。
目に見えやすく、評価しやすい力。つまり「学力」を指すと考えて良いでしょう。
例えば、読解力や計算力があげられます。
これらの力は、偏差値やiq(知能指数)のように数値化できます。
したがって、公平性が必要とされるテストで用いられていますよね。
現にあらゆる場面で、このような「目に見えるものさし」を用いた評価が多いのではないでしょうか。
非認知能力とは、
一言で説明すると「測定できない能力」です。
具体的には、
粘り強さ・自信・感情コントロール力・ポジティブ思考などのことです。
これらは、目に見える「形」や「数字」としては表れません。
しかし「目に見えない、測定できない」にしても、
日々の行動や勉強の取り組みに関係していますよね。
粘り強さを例にあげると、
「問題を解いたけど、間違えたし、やり方もよく分からないからやめた」とすぐに諦めてしまう。
つまり「粘り強さのなさ」=「努力が続かずに諦めてしまう」ことにつながるのです。
認知能力は訓練次第で何歳からでも習得できるのですが、
非認知能力は中高生から、ましてや大人になってから習得することは非常に難しいスキルです。
ここで重要なことは、
将来の成功の鍵は認知能力ではなく、
”非”認知能力である、ということです。
では非認知能力はどのようにして習得するのか。
次回の記事でお伝えさせていただきます。