どっかで見たことあるような小説の一文

作家を真似る遊び

今日友達とLINEをしていて、その友達がらしくないことを言った後に「なんかかっこよく表現しようとしたけど上手くいかんかったからふて寝します」と返ってきました。
これに対して、思い付きでめちゃくちゃかっこつけた文章送ってやろうと思い、いかにも小説とかでありそうな表現を長文で送り返してやりました。
そこそこうまくいったと自分の中では思っているのでnoteで供養しときます。

作家大先生(笑)の革命的なレトリックに富む表現

原稿をよこせとぐちぐちメールをよこす編集者を横目に酒を飲みながら仲間との麻雀を楽しんでいた。
仲間との麻雀でくだらない軽口を叩いているときは辛い作家生活も忘れることができる。

しかし、仲間との至福の時間にも関わらず携帯が鳴り響く。
携帯を覗くと編集者であることがわかった。
「これだから新米編集は...」
そんなことを思いながら仕方なく携帯を手に取る。
「またいつもみたいに飽きもせず麻雀ですか!私は先生の作品を読んで憧れてこの業界に入ったんですよ!」
またいつものセリフだ。厄介なファンがストーカーと化し、事件として報道されるなんてことはよくあるが、これほどまでに厄介なファンは果たしてこの世にいるのだろうか。
そんなことを思いながら適当に言い訳をつけて流していた。
作家というものは編集の催促をどれだけ躱せるかで生き残れるかどうかが決まる。
原稿の出来など二の次なのである。原稿の出来だの言っているうちは三流である。

さて、原稿のことなど忘れて麻雀に戻ろうと電話を切る。
周りを見渡すと場の空気が変わっていることに気づく。
先程のやり取りを眺めていた仲間達からの非難で紛糾し、その対局は中止せざるを得なかった。それはもう麻雀どころの騒ぎではない。
やれ原稿を書け、やれ編集を泣かせるななどの文句を得意の言い訳で切り抜けようとしたが、十年来の仲間である。手口などバレバレであり言い訳など通用するはずもない。そんな前提がなかったとしても多勢に無勢であり、勝利の女神があちらに手を貸しているのがわかった。
流石にその場を収めるために原稿を書くしかなさそうだ。つくづく民主主義とは残酷なシステムだと今日ほど感じたことはない。
さっさと原稿を終わらせて平穏な日常を取り戻すためにも重い腰を上げるとしよう。

所感

なんかそれっぽいとは思った。それっぽくするために麻雀させたけど麻雀なにも知らないから、そっち方向に話広げられてないのが悲しい。
もっとおもしろくする自信あるぞ!と思った方は添削しながら遊ぶと楽しいかもしれないですね。

作家が編集さんと相談していい文章に添削するところとか絶対おもしろいし、私が書いた文章とも偶然()マッチしていてなんかエモいですね。
我こそはという方の添削を気楽にお待ちしてます。
ていうかこういう伏線を回収する文章めちゃ流行ってないです?伏線回収って手垢ベタベタであんまり好きになれん。やるとしても一捻りほしいし、自身の腕を存分に活かしていい文章にしてほしいなーとか偉そうに思ってます()

でも手垢ベタベタでしか得られない栄養素があるし、書いててなんか楽しいよね。実際に作家として活躍してる方も最初の最初はこういう表現を練習曲とした作品を書いてたりしそうですよね。
供養できてよかった!終わり!

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