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家族のこと 4

この時の祖母というのは父の育ての母親である。病弱で子供を産むことができなかった祖母である。病気で片方の肺しかなかった祖母が息を切らしながら、必死で首を絞めている私を止めていた。

ハッと我に返った私は祖父を殺すことなく済んだ。

なので、テレビで家族の暴挙に耐えきれずに殺したというニュースを聞くと、その人の思いは痛いほど分かる。本当に耐えられずブチギレて殺してしまうという心境になるのを身をもって知っている。ただ私はそこに祖母がいたから、人殺しにならなかっただけの話だと思う。

さて、この酒乱の祖父の妻…いわゆる父の実母、毎日のように私の家に来ていた祖母はこういう時どうしていたかというと、、、自分の夫が酒を飲み出したという報告をしに来るだけであり、暴れに来るのを止めさせようとはしなかった。
自分に攻撃されるのを避けるために、私たちに矛先を向かわせるように何かと祖父に私たちの暮らしぶりの告げ口のようなことをしていた。
ズルい祖母だと思っていた。
でも祖母自身も包丁で脅されたりしていたようで、自分の身を守るためそうするしかなかったのかなとも思う。
この祖母がもっと家庭的な人ならもしかしたら祖父は酒に走らなかったかもしれない。祖母はお嬢様として曽祖母に育てられたので、本当に一切家事はできなかった。掃除洗濯、料理は本当にめちゃくちゃな有様だった。お正月に家に挨拶に行くと、ゴミ屋敷のようだった。

そう思うと、、持参金目当てもあっただろうが、祖父はこんなできそこないの嫁を送りつけてきやがって…という思いがあって、曽祖母のいる我が家を攻撃しだしたのかもしれないなと思っている。後から聞いた話だがこの父の実父である祖父の先妻はとても家庭的で素晴らしい人だったらしい。その先妻が亡くなって、後妻として来たのがお嬢様として育てられた父の母である。

父は子供の時に伯父宅に養子に来たわけだが、父には弟がいる。(腹違いの兄もいるが、また書き出すと面倒くさくなるしほぼ関わりもないので省略する)この父の弟家族は少し離れた場所に暮らしていたので、酒乱の被害に遭うことはなかった。またその子供たち(私の従兄弟)にはお酒を飲んでも一切酒乱の姿は見せなかった。いとこの中で女の私だけが祖父の酒乱の被害にあっていた。


私が高校生の時に祖父を殺しかけて以来
祖父は一気に暴れにくる頻度が減った。全くなくなったわけではなく、私が就職してからも数年に一度くらいはまだあった。
だが、酒乱とはいえどんどん老いていく祖父は全く迫力もなくなり、私が目の前に立ちはだかると「おぅおぅ、またわしを殺そうとするのか。怖い女や、お前は」と言って帰っていく程度だった。

昔、全く抵抗しない父に私は不満をぶちまけたことがある。家族を守る気があるのか、自分の父親の方が私たちより大事なのかと。今まで父に対して思いを話したりしたことはなかったけれど、我慢ならずにありったけの思いを全部ぶちまけた。
そうしたら父は外に出て行き、嗚咽するほど泣いていたと後から母に聞いた。その時は私は「だからなんやねん。泣くくらいなら守れよ」としか思わなかったが、その時の父と同じ年齢になった今は、なんとなく父が一番不憫で、あんなこと言わなきゃ良かったなと反省している。

幼稚園の時に養子に出され、養子先の母にはあまり手をかけてもらえず、また自分の実父にはしょっちゅう酒乱で怒鳴り込みに来られる、、そんな環境で育った父が一番辛かっただろうなと。
自分の実の親と育ての親の間に入りどんな気分だっただろうなと思う。

ただ私はあの時、祖父を殺しかけて良かったと思ってる。あそこまでの気を見せたから、一気に暴れにくることが減ったと思っている。父のようにおとなしくされるがまま、時が過ぎるのを待つだけにしていたら、あれからもずっと辛い目に遭い続けていたと思う。
母に「あんたは女やけど、性質は男みたいやな。男やったら跡継ぎとしてほんま頼りになったのに」と言われたことがある。
私は性質は生まれつき男っぽいのかは分からないけれど、曽祖母からずっと、この家の跡継ぎやからなと言われ続けていたことが頭に残っていて、跡継ぎとしてしっかりしなければと男っぽい面を持っていくようになったのは確かだと思う。


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