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独裁者の娘
幼稚園の時、遊具から落ちてひどく頭を打ち病院に運ばれた。幸いにもどこにも異常はなかったが、翌日、先生達が全員変わっていた。
大好きな先生が突然いなくなって泣いたのを覚えている。
私と目が合うとすぐそらす人ばかり。
数秒間目が合ってもその数秒間は、怖れ、好奇心、緊張、の色がほとんど。
私に積極的に話しかける人はいない。
父に取り入るために親子で近づいてくる人もいたが、邪な心はすぐわかるものだ。
そんな人たちとは仲良くしない。
なぜ私はこうなのだ?
なぜ私はこういう目に合うのだ?
成長して知った。
それは、私が独裁者の娘だから。
友達になりたい、仲良くなりたいと思ったクラスメイトはいたが、迷惑をかけると思い、遠慮した。
なんとも不思議な絵を描く子、ピアノの音色がとても軽やかな子、素敵な詩を書いた子…。話をしてみたかった。
学校ではいつも一人だった。
でも、私は寂しくなかった。二卵性双生児の兄がいたから。学校ではクラスは違ったので話はしなかったが、家では一緒に遊んで勉強をした。いつも、一緒。
私達はくちに出さなくてもお互いの気持ちがわかった。
母は柔らかい雰囲気の、大きな瞳がとても美しく、心優しい人だったが私達が十一歳の時に死んだ。元気な人だったのに、突然死んだ。病死とのことだ。
心臓の病気、とのことだった。
大好きな母を失い、兄と私は悲しみに溺れた。
兄がいなかったら、私はどうなっていただろう。
父は悲しんだのだろうか。表情からは何もわからなかった。
父とは、楽しく遊んだ記憶はない。一緒に出かけたこともない。
いつも忙しそうで家にはいない。
ほとんど会わないから、家族という感じはしない。
たまにあっても、近寄りがたい雰囲気で、私達は緊張する。
残念ながら私の顔は母に似ていない。冷たい印象を与える瞳と薄い唇、くるくるした天然パーマの髪の毛は父親似。
私には母の面影はない。
兄は瞳が母に似ている。
成長するにつれ、この絢爛豪華な家、たくさんのご馳走は大勢の国民の犠牲の上に成り立っていることがわかってきた。国民の大半は貧しい。貧しいままだ。
私はどうしたらいいのかわからず、どうすることもできず、気がつかないふりをしていた。
外国に留学したことがある。
私の人生で、一番楽しかった時間。
私は本名ではない名前を名乗り、メイクで顔の印象をかなり変えて、髪は金にしたり赤にしたりピンクにしたりと自由に染めた。
どこかの国のお金持ちの家のお馬鹿な娘。まわりはそう思っていただろう。私もそう演じていた。
夜通し女友達とおしゃべりしたりドライブしたり踊り狂ったり飲み歩いたり、毎日自由で楽しかった。やってみたかったことが全部出来た。
友達が出来たことが一番嬉しかった。
違う大学に留学中の兄から、しょっちゅうメッセージが届いたため、私はハメをはずしすぎなかったと思う。
SNSに顔を載せるな、ドラッグはやるな、飲み過ぎるな、報道されるような事件を起こすな、事件に巻き込まれるな、勉強しろ、など、保護者のようであった。
こんな私に恋人と呼べる人が出来た。外国人。
お互いにくちには出さなかったが在学期間中だけの恋人だった。
お互いに、卒業して、国に帰ったら〝決まっている道〟に進むことがわかっていたから。お互いに外国人との結婚は許されない。
そんな彼に様々な話、彼の母国のこと、彼が感銘を受けた本や映画のことを聞き、一緒に音楽を聞いたり、映画を観たり。
普通のこと。普通の生活。
忘れられないのは一緒にハイキング、キャンプをしたことだ。
寝転んで見た青い空。満天の星空。
緑の匂い、自然の雄大さ、美しさ、一緒に過ごした楽しい時間は一生の思い出だ。
一緒に山を歩きながら、野鳥の声を聞き、野鳥の名前や、食用きのこと毒きのこの見分け方、毒のある植物のことを教えてくれた。スキワリソウ、スズラン…。
現在も、毒きのこを誤食して死亡する事例がある。
イヌサフラン、ニセクロハツ、ドクツルタケ、カエンタケ、スギヒラタケ……。
彼は何でもよく知っている人だった。見るもの全て初めて見るものばかりで珍しく、興味深かった。
初めてテントを張って、寝袋で寝たのもおもしろかった。
今でも思い出す。あの楽しい時間があったから、私は今まで生きてこれたのだ。
彼は、私と過ごした時間を思い出すことはあるのだろうか……。
今頃は、仕事に家族との時間にと多忙な毎日を過ごしていることだろう。
彼には言っていないが、私は彼との子を堕胎した。
一人で産んで育てることは不可能だった。結婚できるはずもなかった。
私以外の人に知られることなく天に帰った子。
私は十字架を背負っている。
今思えば、ルームメイトや友達のうちの一人も、父が送り込んだ者だったのかもしれない。父は何もかも全て知っているのだと思う。色々なことに目をつぶり、最初で最後の自由な時間を与えたのだろう。
大学を卒業して、兄とともに帰国した。
空港から自分たちの住む家に帰る時に車窓から見た景色。
母国は、より一層貧しく、疲弊しているように見えた。
目を背け、思考をやめなければ苦しくて生きていけない。
帰国して数年後、兄が亡くなった。事故死。らせん階段から落ちて頭を打ったという。
立っていられないほどのショックを受けた。とても辛く悲しかったが、もしかしたら兄は自由になれたのかも、と思った。
私は大切な家族を二人も失い、ひとりぼっちになってしまった。
ただぼんやりと過ごす毎日。
母と兄をなくしてから、どのくらいの時間が流れて行ったのだろう。
いつからか、母と兄が亡くなった八月に、父と私だけでワインを飲むようになった。
その時は、父はとっておきのワインを開ける。
プライベートなリビングルームの奥から赤ワインを持ってくる。
私はぽつりぽつりと母の話をする。兄との思い出話もする。父は黙って聞いている。
私達は血のように赤いワインをゆっくりと飲む。とても高価なワインだ。
ワインを見て思う。国の貧しい人たちは、売るものがないから自分の血を売る。そのお金で食べるものを買う。
貧しい人たちはずっと貧しいままだ。
母は本当に病死なのだろうか?父に殺されたのでは?
兄は本当に事故死なのだろうか?自死なのでは?
生まれてこれなかった自分の子のことを思う。
私は息苦しくなり咳き込み、ワイングラスを落とした。痙攣が起こった。
心臓がとまる数十秒前、
麻痺していない方の目で父を見ると私と同じように、もがき苦しんでいた。号泣しているようにも見えた。
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