香港シンポジウム《新しい情勢下の香港研究》⑵
立教の香港シンポで、アジア地域の音楽が「アジアンポップス」として消費される現象の時代的整理を試みた報告を聞いた。
K-POPや、標準中国語ポップスなど、他地域の芸能産業の台頭により、音楽消費がそちらへと流れる結果、今や“死につつあるカントポップ(広東語ポップス)”への弔辞のようにも聞こえたが、昭和オジサンの耳にはこの「アジアンポップス」分析の主たる対象としてその消費者層が若者世代に限定されていることに強い違和感を覚えた。
というのも、中国への郷愁今尚捨てがたい(!)昭和オジサン世代にとって鄧麗君/Teresa Teng/テレサテンこそ「アジアンポップス」の中核に今尚鎮座しているからだ。アイドルとしてのデビュー失敗を乗り越え、演歌へと変貌を遂げ、紅白歌手となった……日本マーケットでは、日陰の、堪えるオンナといった演歌イメージに限定されがちなテレサテンも、アジア全域に浸透した文字通りの「アジアの歌姫」だった。標準中国語はもちろん、広東語、台湾語、福建語あるいは山東語、そして日本語、英語、時にドイツ語で響くテレサの天性の美声こそまさしくアジアの歌声だったからだ。
いまなお「全球鄧麗君歌迷総会」あるいはフェイスブック上の「世界君迷連盟」ほかに世界各地の熱烈な鄧麗君ファンが集い、その声望は依然として高い。鄧麗君追慕の意味からも、《小鄧麗君》、すなわち,鄧麗君をフォローする模倣歌手はアジア各地に数知れず存在しており、われらが(!)陳佳のほか、李玲玉、盛燕、王靜、侯小媛、桐瑤、秋玲、李海音、李爍、劉家妏、朗格拉姆、馮小寧、侯小媛、段品章等枚挙の暇もない。中でもタイ出身の朗嘎拉姆、台湾の盲人歌手張玉霞、王添翼(男版鄧麗君!)は異色の存在だ。 https://kknews.cc/zh-tw/entertainment/j6z9mve.html
特に、鄧麗君の長兄の鄧長富に見出された北京出身の陳佳KEIは、鄧麗君文教基金会によって鄧麗君後継として初公認されており、陳佳KEIが中国各地で開く鄧麗君演唱会(コンサート)には毎回多くの聴衆が詰めかけ、テレサのヒット曲を斉唱する。NY、LA等世界各国の現地コンサートでは現地華人を中心に大好評を博している。
元来「アジアンポップス」という語自体極めて広義にして曖昧にとどまる。日本の歌謡曲を含むこともあれば、ダンドゥット(マレーシア、インドネシア)やルークトゥン(タイ)などの演歌風な音楽も時に含む。注目すべきは、こうした現代版「アジアンポップス」、精確にはオールド「アジアンポップス」を懐メロとしてこれを支えるのがオジン、オバンのシニア世代だという点にある。「アジアンポップス」現象の解明も、若年世代のみに限定してはならない。 [了]
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