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日本人として海外で生きること

英語を話せるにも関わらず、英語で話さないのは「差別」なのか。


今日はセメスター最後の日で、授業に関する匿名アンケートの振り返りをしていた。

その中で、改善点として誰かが書いたのが「休み時間であっても、この授業の言語は英語だと設定されているのだから、英語以外(ドイツ語)を使うべきではない」というものだった。

このクラスに、(スイス)ドイツ語話者じゃないのは私ともう一人、博士課程にいる中国人の学生だけ。その他12人は全員スイス人。

この時点で、この回答をし得るのは理論上二人に絞られるわけで。

そこで先生が「I mean, it's obvious that either YOU or YOU wrote this opinion…」と言って、私と彼を指差した。

(いや、匿名アンケートの意味ないやん…)とか思ったけど、中国人学生の方が「これを書いたのは自分だ」と言い、主張を始めた。

「たとえ授業時間外であったとしても、授業に関する議論をドイツ語でするのは、自分達(私を指差して)をexcludeしている(除外って言葉がなんかしっくりこないからそのままexcludeで)」

といったもの。

それに対する先生の答えは、
「もし君たちにも有益な話だと思ったら、その都度英語に翻訳して授業内で共有するように心がけていた。だから君たちに何ら不利益はなかったはずだ。」と。

このピリついた空気の中で「then what's your opinion, YOU」と私にバトンが渡された。

(マジか)

「私の意見としては、確かに、授業内でドイツ語がわからないことで困ることはなかったかもしれないが、自分達”非ドイツ語話者”は間の休憩時間の議論が有益かどうか判断することすらできない。そして常にwhat's going on?を憶測するしかなかったのは事実だから、休み時間であれ英語で議論してくれたら嬉しかった」

的なことを言った。

休み時間になった瞬間、さっきまで英語で議論していたのが🤌パチンっとドイツ語に切り替わる。そして突如議論に参加できなくなる。

英語で話してくれよぉ、とは常々思っていた。

でも、これをスイス人側の立場になって考えてみると「休み時間に自分の国で母国語で話して何が悪いねん」よなぁ。

日本に置き換えて考えると、もっと分かりやすいと思う。
たとえ留学生がいる授業であっても、日本人同士では授業中でも普通に日本語で喋ると思うし、それが「差別だ」なんて意識持たないと思う。

しかし、プレゼンの評価のためにこの日だけ参加してた学科のボスみたいな教授の答えは違った。

「アカデミックの場で非ドイツ語話者がいるにも関わらず、英語以外を使っていること自体がそもそも不適切だ。それはこの授業だけの話ではない。そもそも、アカデミックの共通言語は英語なのだから。」

といったもの。

その時ふと頭に浮かんだのは、留学開始時の英語ですら何を言っているのか分からなかった時の私だ。

その場合は、「アカデミックの共通言語である英語」を使えない時点でexcludeされることになる。し、実際そうだった。

そして、ある種のトラウマのようにフラッシュバックしたのが、初めてのテストで「well, I know you understand, but you have problems with English」と言われて返された❌だらけのテストだった。もちろん、落単。あの時の屈辱は鮮明に覚えている。みんなの前で言われたのだから。

ここで私が主張したいのは、「日本の英語教育が悪い」とかそんなことではない。

いかに、この「世界」が「欧米」基準であり、あたかもそれが「世界の標準」かのように受け入れられているか、ってことだ。

日本の大学でよく言われる「グローバル化」という言葉には、常に違和感を覚えている。

日本で主張される「グローバル」=「欧米」のように思え、明治時代前期の欧化政策の現代版のように思えるからだ。

「欧米かっ!」って言いたくなる。(伝われ)

英語が他の言語とは違うレベルで「世界の共通言語」になっているのは、疑いの無い事実だ。

しかし、「英語がいつの間にかできてた」ような人たちに、「英語ができない」ことで英語以外の部分でも「劣っている」かのように扱われるのが本当に気に食わない

英語ができて当たり前の世界線に来たのは自分の意思なんだけど。

「それが嫌なら自国に帰れ」ってのも、分かる。だし帰れる国があるのは非常に恵まれているんだってことも、つくづく感じる。
そうじゃない友達もいるから。


同じ日の午後の授業でのこと。

最後の授業だから、お楽しみ会(懐かしい単語)みたいな感じで、学期中に学んだ内容のクロスワードを先生が用意しててくれた。

その中で、begin of European settlementという答えがあった。

そのヒントとして、先生が言ったのが「all of us, except YOU」だった。

私はヒントを聞く前に答えが分かってたから、「その通り〜」とは思ったんやけど、なんか心がザワザワした。

こんなちっちゃいこと気にしてるようじゃ、日本の外で生きていけないのは十分承知なんだけど、なんとも言えない寂しさを感じた。

私がasianで彼らがeuropeanなのはただの事実に過ぎない。し、別に「europeanになりたい」とも思わない。

どれだけ英語でもドイツ語でも言葉が話せるようになったとしても、見た目、文化的に海外にいる日本人というマイノリティとして生き続けることに変わりはない。

それが悪いことだとも良いことだとも思わない。

私の生きたいように選択してった結果、そうなったのだから。

だけど、私が日本にいるとき描いていた幻想は、「ヨーロッパでeuropeanのように生きる私」だった。なんとなーくの憧れ。

でも実際来てみると、私は「日本人」であり、まず「日本人」として興味を持たれる。当たり前だよね。

それがプラスに働くこともいーっぱい経験してきたし、逆も然り。

留学前よりも自分の「日本人」としてのアイデンティティが強くなった気がするな。

(文章のまとまりが無いけど、感じたこと、徒然なく…)

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Marea🇨🇭| ヨーロッパ移住計画
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