日本で政治的発言はタブーなのか?
まず、そんなことない。
言論の自由。
だけど、友だちと大学の食堂で政治の話するか?近所の公園ランニングしながらするか?って言ったら大半がノーだと思う。
私もそうだった。
こっち来て、スイスの人は他の国の子たちに比べるとそこまで政治の話は好んでしないけど、自分の意見はちゃんと持ってる、仲良くなったら結構こちらの意見も聞かれるかなって感じ。
それに対して、スロバキア、ハンガリー、ポーランド、東欧の国からの友だちはめっちゃガンガン政治の議論したがる傾向。(あくまでも私の周りのイメージです。)
そして先日、ドイツ人の子とランニング中に「アメリカ大統領選に対する日本の若者の意見はどう?」って聞かれて、ギクっとした。
そういや、日本人の友だちと大統領選について話したことないなー。
「日本の方がもっと関係あるのに?やばくない?」的なことを言われたけど、結局、その結果に生活が関わってくるような人は少なくとも私の周りにはほぼおらんくて、どんな結果であろうが、なんやかんや今まで通り生きていけるんよなーと。
確かに、こちらではLGBTQ+のステッカー、パレスチナのステッカーをパソコンに貼ってる子は明らかに多いし、ベジタリアン、ヴィーガンに関してはもはやそっちがノーマルであるような雰囲気まである。(このことについても今後ちゃんと書きたい)
けど正直、本気で自分が社会とか地球を変えたい、変えられるんだって思ってる人はそこまで多くなくて、ほとんどが、ある種のトレンドに乗ってるのと、自分を定義する何かとして政治的主張を付加しているように私は感じる。アイデンティティの一部、みたいな。
あと、社会や地球が変わるプロセスに参加してる自己効力感(self efficacy)が感じられる。
実際、そんな簡単に社会も地球も変わんないし、私は「変えることが自分の使命だ」と思うタイプでもない。みんなが変えようとしたらそれはそれでKHAOSや。
でも、「どうせ変わらんし、興味ねぇ」ってのは何か勿体無い気がする。
私は単純に、人々の思惑が錯綜してるのを見るのが面白い。(interesting)
なんか、人間だなぁって感じる。笑
ダヴィンチが、「人々は視覚や聴覚で騙されやすく、それを利用するものたちによって支配される」的なことを言ってた。(友だちか)
上か下か、忘れたけど。
一昔前の私は、「こうあるべきだー!」みたいな、正義と悪が存在して、「この正義を人々に伝えたい!」みたいな気持ちが少なからずあった。
でも今は、みんながどんな考え方してるんやろ?って聞いてみたり、議論してみるのがただ面白い。「ほー!そんな感じ方、考え方があるんや!メモメモ」みたいな。
さっきのダヴィンチみたいなこと言うけど、人間ってほんと言葉にすんごく影響を受けやすいんだなぁって。最近改めて感じる。
記事を書く、動画を作ることで、思想をデジタル化して、地球の裏側まで即座に届けられる。そして、それをスマホの光を通じて視覚情報に、空気の振動を通じて聴覚情報に変換して、他の人の思想に影響を与える。
当たり前の用に思えるこのプロセス、めっちゃ面白くない?
こんな技術がなかった時代には、遠く離れた世界の出来事を知るために、何万人もの噂を経て、全く違う形になった話が数十年かけて届いていたんかな。知らんけど。
そもそも、自分の村や身近な世界以外のことを思い悩む必要もなく、知らないまま人生を終えるのが普通だった。そう考えると、昔の人にとっての地球ってもっと壮大でロマンのある星だったのかな。知らんけど。
あの地平線の先がどうなってるのか知りたい。見たことのない世界を見てみたい。
そんな人間の好奇心が、航海させ、科学を進め、自分の部屋にいながら地球の裏側の「今」まで見れちゃう時代になった。
そうして伝えられた映像、文字、人々の意見は、そこで起こってることのほんの一部に過ぎないことを忘れてはならない。
こんなにインターネットが普及した今、あたかも自分は「調べ尽くせる」ような感覚になるけど、調べられるのは誰かが選別してデジタル化した情報だけだってこと。
それも含めて、知ること、意見を交わすこと、は面白い!
【政治に限らず、メディアを見る際に私が最近気をつけてるポイント】
・発信者にとっての利益は何か
自分でブログ、YouTube始めてから、収益化のシステム、表示されるアルゴリズムとか、色々勉強した。クリエイター/発信で稼いでる人の思惑を汲み取ると「あ、なるほどね、この人はこうして収益を得ているのか」ってなっておもろい。(特に政治系のYouTuberのサムネ/タイトルはいかに再生回数稼げるか・ターゲットの視聴者層のアルゴリズムに引っ掛けるか、に着目)これは、個人レベルだけでなく、マスメディアにも応用できる。この発信をすることで、この会社はどんなご利益があるのか??結局は、お金が動いてるってことを忘れてはいけない。
・正義と悪の二項対立の場合、悪の目線に立ってみる
人間は、「自分が正義だ」ってのに快楽を覚える。となると、結局わかりやすい敵を作って、批判することで人々の賛同が集められる。そうした視点で見てみると、大体のニュースが正義と悪の構造の上に描かれてることに気がつく。
しかーし、「悪いことをしよう」という動機で悪者になっている人間は皆無に近いと思う。その人の守りたいもの・こと、欲、信じるもの、正義、そんなものを想像してみる。生まれた時から邪悪な赤ちゃんなんていない。
以上!
他にも「私はこんなこと気をつけてます」コメント欄で教えていただけると嬉しいです。